このページは旅行記『バルカン半島9ヵ国 2009夏 2009 AUG.11 - AUG. 31  です

7日目 2009年 8月 17日(月)
===アドリア海沿岸の世界遺産巡り(1/3)================================
    小さなドライブイン(バス)→ シベニク(バス)→ トロギール(バス)→ スプリット
(1) シベニク(世界遺産)観光
(2) トロギール(世界遺産)観光
(3) スプリット(世界遺産)観光
====================================スプリット泊(1/1)====

4:30 起床
 すばらしい施設に宿泊できて満足している。寝る前は蒸し暑く感じていたが、起きた時は肌寒く感じて、今では長ズボンと長袖シャツを着ている。下のレストランでカプチーノ(大、14クーナ)を購入し、部屋に持ち込んでマックと一緒に快適な時間を過ごしている。さて、先ほど目の前にいたバスをチェックすると、ザダル行きが2台で、運転手に聞くと『スプリット行き』はないと言うから、腹を決めてザダルから世界遺産・歴史的都市巡りにシフトチェンジしなければいけない。となると、ザダルまでの時間が問題になるが、ここから5時間かかるとなると、シベニクに到着するのは、午後2時過ぎになってしまう。それでも、世界遺産の教会は20時まで開いているから、シベニクの次にあるトロギールと合わせて2つのポイントを楽しむことができそうだ。

6:00 朝食
 英語は全く通じない階下のレストランで写真右のようなものを頂いた。45クーナ(クレジット払い)。白いものは乳酸菌飲料を期待していたが、実際は固めのヨーグルトだった。胃腸の調子が整い過ぎてしまう。豚肉はとても美味く、ソースはパンに付けると最高に美味しかった。

 それから、シャワーを浴び、髪を洗い、髭をそり、出発の準備に備えた。外は明るくなってきたが、完全に明るくなる前にバスへ乗り込みたい。

8:20 ホテルの自室で
 未だに出発できない。4:30に起きた時は、目の前の駐車場にザダル行きが2台停まっていたので、いつでも乗車できると安心していたが、それから1台もお目にかからない。何てことだ。空は青く、私を屋外へ誘っているのに、私の足となるバスがない。適当な観光バスが止まれば、運転手と交渉できるのだが、、、。レストランのおばちゃんに尋ねると、次のバスは10時というから、それまでは日記の整理をしよう。何も書いていない日もあるから、ここは一気に頑張って書きたい。いずれ書かなければいけないものだから、、、。ところで、旅の始まりは公開できないプライベートなことばかり書いていたけれど、少しずつ中欧の旅らしい手記になってきた。またいつどこで、どのように変わるか分からないけれど、できるだけ一般的な記録にしたいと思う。ま、どんなに一般的にしようとしても、僕の個性は失われないと信じているからね。


上:私の部屋


上:とてもリラックスして充実した時間が過ごせてたドライブイン

10:00 バスが来た
 部屋の窓からバスを見ると、すでに車体横へ荷物を押し込んでいるので、最悪の場合すぐに出発してしまう。私は急いでマックを閉じて、荷物をまとめ、部屋の鍵を持って階下へ降り、誰もいないレジに鍵を置き、バスまで走った。フロントガラスの行き先を読むと、ザダル経由のドヴロクニクになっている。ラッキー。これで、私は乗り換えることなく、第1目的地『シベニク』へ行くことができる。それ以上の計画をすることは今の時点でやめておこう。どうも上手く進まないことが多いので、1コマ進んでから次の計画を立てることにしよう。ところで、バスは10:25頃に出発したと思う。

 バスは良い席に座れなかった。


上の2枚:車窓からの風景。石灰岩の大地が続いている。


上:ザダルのバスターミナル。このバスはザダル経由で、結局ここに来てしまった。現在時刻は、とほほの12時半。


上:アドリア海っぽい感じになって来たと思うけれど、僕はまだアドリア海を見たことがない。

14:30 シベニク
 バスの車窓から見るシベニクの街は広く、バス停から世界遺産に指定されている教会まで歩いていけるか不安だった。バスターミナル前に貸し自転車屋があったので、数kmなら自転車を借りようと思った。私はバスの扉が開くと同時に外へ飛び出し、インフォメーションセンターへ走った。あまりに遠い距離なら、乗っていたバスでポイントとなるトロギールまで行きたいからだ。案内所だと思ったところは一般の旅行会社だったので、貸し自転車屋の扉を開いが、有益な情報は得られそうもないので、大きな市内案内図の近くに座っている男に声をかけた。「大聖堂はどこですか? そこまで歩いて行けますか?」「ああ、400mだよ」 私は途端に元気になった。


上:シベニクのバスターミナル裏の海岸

 私はリュックを締め直し、元気良く旧市街へと歩き出した。


上:バスターミナルの裏から見た旧市街。正面やや右に見えるのが、世界遺産に指定されているシベニクの大聖堂


上:観光客が目につく。僕も観光客だけど、、、


上:よく見かける路地裏の印象


上:シベニクの旧市街のあちこちに、このような観光案内図がある。少なくとも6箇所に設けられている。


上:ここも重要な観光ポイントだと思うけれど、詳細は分からない。


上:感じが良いシベニク旧市街の風景

  緑の窓が印象的だった。


上:シベニクの旧市街の風景


左と上: 狭い路地を降りていくと、世界遺産に指定されている大聖堂が見えてきた。


上: シベニクの大聖堂の正面入り口
上: 全ての荷物を持って歩く私



上左:大聖堂の入り口。注意書きと共に、身体を被う布が用意されている
上右:神父さんがやって来たと思ってシャッターを押したら観光客だった。画面中央の男性が来ているのは写真左にある「羽織もの」の男性用。


上:シベニクの大聖堂の内部


上2枚:詳細は分からないけれど、入場無料の大聖堂内部にある有料のところ。撮影禁止の表示があったけれど、入場券を売ってくれた教会関係者2人がシャッターを押してくれらのだから、問題なしと判断して掲載しました。


上:大聖堂前にあるカフェ。かなりガラガラ。



上の2枚: 時計台がありました。


上:シベニクの港。ここからアドリア海クルーズを楽しむのも悪くないけれど、僕には時間がなかったので時刻表やルートは全く分からない。


上:大型バス乗り場で、日本のツアーバス発見(写真は一部修正しました)! シベニクはたくさんのツアー観光客がいたけれど、無線を使ったガイド説明を聴いている様子を見た時は、さすが!と思いました。もちろん、自由気ままな旅が好きな私は無理ですが、、、

15:48 ATMでキャッシング
 バスが出発するまで12分あるので、近くのATMで現金を引き出した(500クーナ)。シティーバンクのカードは使えなかったけれど、UFJのカードが使えた。それよりも、カードが吸い込まれることなく戻ってきたことが嬉しかった。


上:大型バスに乗って、シベニクからトロギールへ向けて出発!

16:00 バスを間違えた
 バスは定刻通りに発車した。行き先を確認して乗車したつもりだったが、逆方向へ曲がったので運転手に確認した。間違えていたので、その場で降り、バス停まで500m走る。私が乗るバスは16時発だから、もしかしたら間に合うかも知れない。しかし、バスはいなかった。この8分の間にバスは着て、出発してしまったようだ。時刻表を確認すると、15時台は3本もバスがあるのに、16時の次は17時。つまり、バスに運がない。この流れを早く断ち切りたいけれど、3時間待たさせて昨日と比較すれば、大きく改善しているから、良い流れなのかも知れない。
 それから、1つ分かったことは、16時のバスと17時のバスは会社が違うので料金も違う。私は8クーナ余分に払うことになった。

16:35 チケットを購入し直す
 44クーン。

17:00 再度、シベニクからトロギールに向けて出発
 以下に、アドリア海の印象っぽい写真を掲載します。


上:観光客で溢れた車内。
 1時間前に乗り間違えたバスには、誰も乗っていなかった。なぜなら、逆方向には観光ポイントがないからだ。今乗っているこのバスは、アドリア海沿岸にある文化的な世界遺産をめぐる黄金ルートなのだ。


上:僕は一番後ろの席になり、隣の女性と同じように寝たり起きたりの状態だったけれど、アドリア海を感じたり、その印象的な写真を撮ろうと窓の外を見張っていた。


上:小さな無人島が時々見える。たくさんはない。

 さて、クロアチアのアドリア海沿岸はどこでも泳げるようだった。自家用車やレンタカーで来た人々は、自分が気に入った場所に車を止め、パラソルを開き、日光浴をしたり泳いだりする。日本のようにバーベキューをしたり何かを食べたりしている様子はあまり見ないが、泳いでいるところはそこそこ見かける。

 それから、日本を感じさせる『松の木』が印象的だった。美しい海と松は良く似合う。古の日本の同じだったことだろう。虹色の海、青い空、白い砂浜、黒い岩、松(左の写真を参照)の組み合わせは、島国日本において、日常的に見られる風景だったに違いない。これは憧れではなく、日本の原風景の1つであることを認識しなければ、日本人として恥ずかしいと感じた。日本はもっともっと色鮮やかな国であり、古代日本人は古びた色を知らなかっただろうし、好まなかったと思う。昔を愛すると自負するなら、太陽の光とともに目まぐるしく変化する色彩、原色に近いエネルギー溢れる色彩を愛さなければいけないと感じた。

18時半頃かな ロトギール
 小高いところから見たトロギールは美しいと思う。しかし、この地に立つと、小さな埋め立て地にように起伏がなく、変化に乏しい。地図を見なければ、どこから島が始まるのか分からない。小さな島の内部には、歩く隙間もないほど多くの観光客が押し寄せている。波止場には数億円を軽く越えるであろう個人の船が停泊している。遺跡都市を観光する気分にはなりにくい。したがって、あなたが旅行を計画して時間がないなら、ここをカットしても構わない。ただ、足を運んだなら、旧市街の中心にある教会に入り(20クーナ)、その鐘楼に昇って欲しい。鐘楼からの眺めはすばらしく、トロギールが小さな島であることや周囲との関係が分かる。朝や夕方なら言うことはないだろう。


上左:トロギールの観光案内図。トロギールの旧市街は小さな島になっているようだ。
上右:スプリットとの間には、たくさんのバスが走っている。


上:運河?を渡る。観光案内図や旅行ガイドブックの地図を見ると、トロギール旧市街は海浮かぶ島のように見えるが、実際は狭い運河によって陸地と隔てられているだけなので、島のように感じない。橋も短いので、「あれっ」て感じ。



上: とても小さな島の中にたくさんの観光客がいるので、橋を渡ったばかりのところは、背中を押されて歩いている感じ。


上左:狭い路地に段ボール箱の上に貝殻を並べて商売をする少女。彼女は熱心に読書をしていたけれど、とっても逞しく生きているな、と感心した。これぐらいの根性がなければ、地元で生きていけないと思うから、頑張って下さい。勉強も頑張るんだよ。


上:旧市街の反対側は、広いアドリア海に面しているから、とても開けた感じになっていた。


上:個人の大型船(数千万円〜数億円)が何艘も並んで停泊していた。ここはそんな人々が集り、遊ぶ地域なんだと思った。


上:旧市街の外れにある要塞

 とても小さな島なのに、たくさんの観光客が訪れて、僕みたいなカメラを持った奴が狭い路地を歩いてとても申し訳ないと思うけれど、ビールで酔っぱらったおじさんはちゃんと挨拶してくれたよ。こんにちは!


上:旧市街の中央にある時計台。この向いに大聖堂がある。



上:トロギールの大聖堂

上:大聖堂の入り口


 それから、大聖堂の鐘楼に登った。ここは有料だったけれど、本当に価値があった。正直なところ、トロギールの旧市街は狭く、観光客の背中を見に来たようだったが、この鐘楼から街全体を見下ろした時、ようやくここに来て良かった、と思った。そこでは1時間近く過ごしたのではないかと思う。トロギールを観光する予定なら、ここは外すことはできない。


上:トロギールの大聖堂の鐘楼から見た旧市街の風景

20:10 トロギール発
 スプリットまでのバスは、ローカルバス(37番、10クーナ)だった。それは1時間に3本あったけれど、長距離バスなら40分のところを1時間かけて走った。しかも、到着したところは、スプリットの近郊バスターミナルで、私が宿を探そうとしていた長距離バスターミナルとは1kmほど離れていた。かなり残念。ガイドブックを見ても、その地図がはっきりしないので、自転車に乗っている女の子に声をかけたら、一緒に歩いて案内してくれることになった。


上:ここがスプリットの終着駅だけど、良く分からない辺鄙なターミナルについてしまった。

21:00頃 スプリット
 彼女は大学生でコンピューターの勉強をしている。この街に生まれ、この街の大学に進んだけれど、この街は退屈だし、就職先がないから、どこか他の国に行きたいといった。また、スプリットの人は午前10時頃に起き出して、午前1時ぐらいまで起きているというけれど、翌日僕が散策したところでは、人々はとても早起きで良く働いていた。それから、「一緒に自転車に乗っていた男の子はボーイフレンド?」と質問すると、「ただの友達よ」と答えた。


上:いつものように、明日のバスの時刻をチェックしてから街の散策を始める。というより、宿を探さなければいけない。

 宿はバスターミナルの近くで決めたかったけれど、適当なところがなかった。私は自分から何人かの客引きに声をかけた。1人目の老婆は英語を話さないが、地図を片手に場所を示し、紙に料金を書いた。ファーストプライスは250クーナだったけれど、すぐに200クーナに下がった。でも、どんな部屋かさっぱり分からないので、決めかねていたら、すぐ傍にいた男が英語で「僕はいろいな部屋をもっているけれど、安くていいならいくらでもいいよ」を言い出した。私は「それは困るから値段を言ってくれ」と言うと、彼は「100クーナ」だと言うので、その値段で決めた。場所は、それほど遠くないらしい。歩きながら、見たスプリットの街は、異様(異常)な興奮に包まれていた。町中からアドレナリンが吹き出ているようだった。アルコールのような薬物とは違う、人間本来が持っている身体から湧き出る原始の薬物を感じた。どこかの漫画で見たような、カリブの海賊のようなかんじだった。自分の欲望を満たすために、そこの住民と旅人が交錯している状態だ。これは、Fと比較すると面白いと思う。


上:急いで撮影したスプリットの街


上:私の宿がある薄暗い路地。

20:00 夕食
 客引きのミルコに教えてもらった小さな店で、ファストフードとビールを頼んだ。ファストフードは、1種類しかないらしく、ウムを言わせず、ひき肉を焼いたもをパンに挟んだものが出てきた。ビールは、大ジョッキ(38クーナ)。どちらも大変美味で、もう一度食べたいものの1品だ。肉は香ばしく、パンはもっちりとしていて、ビールは見た目よりもよく冷えていて、一気に半分飲み干した。


上:本日の夕食

 それから、夜のスプリット旧市街を散策した。白い麻のジャケットとドレスを着たカップルや、腰まである長い髪をなびかせて歩く赤いドレスの女性、白い民族衣装を着て頭に緑色の葉をつけて歩く4、5人の男女、職人風の民族衣装を着て効果的な音を出したり大仕掛けな道具を使って土産物を売る人々など、それも漫画で見たイメージのままだった。アドリア海を舞台にした物語は、ここスプリットにおいて霊感を受けたものだろう。


上:旧市街の風景


上:大聖堂の裏が激しい照明によって彩られていた


上:二酸化炭素の煙りの中でエレキ・バイオリンの演奏


上:宴の後の大聖堂裏

 十分な写真を撮れなかったけれど、スプリットの街は観光客のために十分なアトラクションを用意していた。それは良い意味で『金を巻き上げるためには手段を選ばない』と言わせるほどの多様性を持っていた。とくに、誰でも無料で見学できる音楽やパフォーマンスは異常な興奮を与えた。スプリットが全盛期だった頃、ここが貿易の中心だった当時のことを考えれば当然なことで、旅人が求めるものを準備することは必然の結果だ。あらゆる種類の娯楽、酒、男や女が存在することができた街だったと想像する。

 宿に帰ると、さっさと充電の準備をして、シャワーを浴び、目を閉じた。何度か屋外に人が通る気配がしたが、次に時計を見たのは翌朝7時過ぎだった。


上:私の部屋。ここは一般家庭の食堂だったらしい。作り付けの食器棚や流し台がある。それに引き換え、私のベッドはとても粗末なものだった。


上:部屋を出て狭い通路を挟んだ向こうにあるバストイレ。設備としては十分だし、私1人しか使っていないようだった。


続きをどうぞ!

私の日記 8日目

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