このページは旅行記『バルカン半島9ヵ国 2009夏 2009 AUG.11 - AUG. 31  です

10日目 2009年 8月 20日(木)
===サラエボ(ボスニア)観光============================
  モスタル(バス)7:00 → 9:30 サラエボ
日中: サラエボ観光
  (1) 旧市街の職人街『バシチャルツァ』
  (2) サラエボ事件が起こった橋と『サラエボ博物館』
  (3) セルビア正教会
  (4) カトリック大聖堂
  (5) ユダヤ博物館(シナゴーグ)
  (6) 昔のセルビア正教会
  サラエボ(国際バス)15:00 → 22:30 ベオグラード(セルビア)
=============================ベオグラード泊(1/1)===

5:55 起床
 顔を洗ってから朝のモスタル(ボスニア)の散歩をして、できれば7時のバスに乗ろうと思って屋外に出たけれど、誰もいないし何も起こりそうにないので踵を返し、荷物をまとめてチェックアウト。ここは3部屋だけのアパートだから、約束通りに部屋の鍵を郵便ポストに入れて、さようなら。最後にもう一度、有名な石橋『スタリー・モスト』を観て、バスターミナルまで観光客用メインストリートを歩いた。

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上:トルコ系の銀行が進出している

左:早朝6時のモスタルのマルサラ・ティラ通り(バスターミナルおよび鉄道駅に面している)


上:歴史博物館のような外壁の建物は、爆弾で破壊された痕のようなものがあった。1990年代の戦争で被害を受け、使われないままになっているような気がする(上の画像をクリックすると全体像)。

6:49 サラエボまでのバスチケット購入
 ユーロで購入(現地通貨で18KM。10ユーロ出し、釣り3クーナ。ここでクロワアチア通貨を手にするとは思わなかった)する。ユーロが使えるのは便利だけど、現地通貨(KM)を触りたい。

7:00 モスタルからサラエボへ向けて出発


上:バスは比較的空席があった。朝早いからだろうか。

右上、右下:車窓からは、石灰岩の美しい大地が広がっていたけれど、人々が自分の領土にしようと奪い合い、殺しあった歴史を知ると、単純に楽しむ気分にはなれない。もちろん、これはアドリア海沿岸の歴史的な世界遺産の街も同じことだ。

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上の2枚:サラエボ市内に入ったようだ。トラム(路面電車)が走っている。

9:30 サラエボ
 僕が乗ったバスは、鉄道『サラエボ中央駅』の前にあるバスターミナルに到着した。

9:46 トラムに乗って旧市街の職人街『バシチャルツァ』へ向かう
 1.6KM。ユーロが使えないので焦ったけれど、モスタルの小売店でもらった小銭で助かった。路線番号『1』のトラムに乗り、車内で職人街『バシチャルツァ』へ行きたいことを伝えると、後ろにすわっていた男性が積極的に教えてくれた。


上:おっと! とある駅で検札の男性が乗り込んできた。僕はチケット買い、自分で日付パンチで穴を開けてあったから大丈夫だけど、何も知らない観光客なら罰金を払うことになる。

 さて、僕は同じバスに乗っていた男性と一緒に降り、彼に手を引かれるようにして歩き始めた。60歳を過ぎた男性だから、とくに問題はないと思う。彼は英語を話さないので、私も日本語で話した。ここは美味しいレストランだとか、モスクがあっちにあるだとか・・・ 僕は自分の居場所が分かったところで、男性と熱い握手を交わして別れ、ツーリストインフォメーションセンターへ向かった。

10:10 ツーリストインフォメーション
 スタッフはとても親切に教えてくれた。僕がベオグラードまたは他のポイントへ抜けたいと言うと、さくっと資料を出してくれたし、バスの時刻が変更しているかも知れないから、といって電話をかけてくれた。本当に嬉しい限りだ。バスターミナルまでの行き方も丁寧な英語ではっきりと教えてくれた。ただ、あまりに親切に正確な情報を教えてくれるので、サラエボで宿泊する計画が浮かばなかったことが残念だ。日本に戻ってからサラエボのオリンピック跡地にある集団墓地の話を聞き、僕は重要な見学地(本当に見て感じて学ばなければいけない場所)を見逃したことを残念に思った。これからサラエボ訪問を計画されている方には、事前学習をしてオリンピック跡地を慰霊訪問されることをお勧めします。

10:17 銀行で両替
 インフォメーションの目の前にある銀行で50ユーロを両替したら、97.3KMになった。わずかに損をした。それでも、インフォメーションのお兄さんがバスチケットはKMしか使えないと言ったので仕方ない。たくさんお金ができたので、全部無くなるように美味しいものでも食べよう。


上:旧市街の職人街『バシチャルツァ』。駆け足の観光では、お土産屋に見えてしまった。

10:35 早めの昼食
 ひき肉を焼いたもののサンドウィッチ(5KM)とコカコーラ(2KM)を頂く(写真左)。 

 店は上手に選んだつもりだったけれど、観光客専門店にひっかかってしまった。残念!

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10:50 サラエボ事件が起こった橋
 第1次世界大戦がぼっ発するきかっけとなる事件が起こった橋


上:かなり有名な橋だけれど、このミリャツカ川には同じような橋が何本もかけられている。


上:同上。

11:00 サラエボ博物館
 2KM。 サラエボについては、冬季オリンピックが開催されたことしか知らなかったが、ここに来て第1次世界大戦が始まる切っ掛けとなった暗殺が行われた場所であることを知った。それならば、ここでオリンピックが開催される意義がさらに深くなるというものだ。暗殺があった橋のたもとにある博物館を見学すると、当時の暗殺は私たちと身近にあるように感じたが、それ以前に、多くの人々を苦しめている一部の人々がいることを知らなければいけないと思った。そのような恨みを買うことがいけない。有名人や有力者になれば、不当な理由でいろいろな非難にさらされたり命の危険を感じることがあると思うけれど、誰がどのように考えても、大多数の人を苦しめたり、古くからそこに住んでいる人を迫害するのは間違っていると思う。どうしても火種になるのなら、こそは独立させれば良いし、独立させてうまくいかないなら、さらに分裂させればよい。自治権は小さければ小さいほど良いと思う。それは資本主義や便利さの追究からは反しているが、生きていくことは危険なことであり常に命を危険を伴うことである。それを理解していなければ、何もできない。幸せは、占有する金や物や領土の大きさと関係ない。

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上:1914年6月28日、前述の橋でオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が暗殺された時のもの


上:事件当日の写真(右にある写真は上から順に、皇太子が列車で到着したところ、夫妻が正装して馬車に乗るところ、バレードの最中)


上:暗殺現場の橋(僕が撮影した実際の橋)。


上:暗殺に使われた拳銃の実物や手榴弾の写真、実行した青年達の写真、現場の詳しい地図が展示されている。


上:暗殺を実行したボスニア党のセルビア人の青年達。僕は、青年達が一方的に悪いとは思わない。この事件をきっかけに第一次世界大戦がぼっ発したのは、それ以前に、世界大戦に発展するような行為を当時のオーストリア・ハンガリー帝国(暗殺された皇太子の国)行なった結果であることは間違いない。この大戦いの前にある、たくさんのセルビア人が殺された事実を記さなければいけない。もちろん、さらにその前に行なわれた殺戮の歴史を調べなければいけないが、人々の殺しあいは間違っていると思う。少なくも、自分と直接関係がない人々の幸せや命を一方的に奪う行為は、人として許されない。


上:事件現場の地図。通し番号順に、そこで何が行なわれたか解説してある。


上の2枚:1878年、オーストリア・ハンガリー帝国がボスニアを占領するために侵攻したルートを示した展示物


上:1910年のオーストリア・ハンガリー帝国の領土を示す地図

 僕はサラエボ博物館で小1時間使った。ここはワン・フロワーのとても小さな博物館だけれど、中欧の火薬庫といわれるこの地域について良く考えることができた。僕の他に誰も観光客が訪れなかったことが気になるけれど、このページを読んだ方は、サラエボに行くなら絶対に訪れて下さい。

11:50 セルビア正教会

上:セルビア正教会の外観

 時間の都合で、見学時間は数分間でした。

12:00 カトリック大聖堂
 ここも時間の都合で、見学時間は数分間でした。
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上:カトリック大聖堂の内観

左:その外観



 セルビア正教会とカトリック大聖堂をすばやく見学させて頂いてから、近辺のスナップを何枚か撮った(写真下)。

上:サラエボ市内のスナップ


上:同上


上:同上


上:同上。そうそう、ここは『スパイナー通り』という名称を持った道で、本当にたくさんの人が暗殺された場所である。ここは一方通行の狭い道で、路面電車も走っている。


上:同上。観光客が多いので、宿探しに苦労することはなさそうだ。

12:10 ユダヤ博物館(シナゴーグ)
 博物館の入り口が分からなくて、その外壁をぐるぐる回っているドイツ人観光客と一緒に入り口を探した。もう少し分かりやすい入り口にすれば良いと思うけれど、ユダヤ人は自分達のことを積極的に宣伝しないから仕方ないかも知れない。入場料2KM。


上:ユダヤ人博物館の外壁のすぐ傍の壁に描かれていた落書き


上:博物館の敷地内から、その外壁を写す


上:内部の様子


上:ユダヤ人の民家を再現したもの

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 それから、ポーランドのアウシュビッツで見たものと同じような写真がいくつかあった(写真下)。ユダヤ人が受けた残酷な歴史を思い出した。

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12:30 昔のセルビア正教会
 現在のセルビア正教会は、前に見学した通りであるが、ここは昔のセルビア正教会。寄付金を払って内部を見学することができるが、写真撮影は許されていない。一見の価値があるので、是非とも訪問したい教会だ。


上:その入り口
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上:スパイナー通りに面した昔のセルビア正教会


上:敷地内に入ったところ

 以上で、予定していた見学地の訪問を終了した。それからバシチャルシァ広場へ向かって歩いたが、その途中で外人と歩いている黒髪の女性に「こんにちは」と声をかけた。彼女は日本語を話す日本人で、ハンガリーの男性と一緒に車で旅行をしていて、今日はサラエボに泊まって、明日ハンガリーに帰国するらしい。実は、彼女達とは同じルートで旅行していて、スプリットなどいろいろな場所で出会っていた。

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上:バシチャルシァ広場の水飲み場(セビリ)。ここの水は美味しかった。

 すぐ近くにあるモスクの尖塔では、1人の男がコーランを地声で唱えていた。拡声器を使うものばかりだったから、生コーランは新鮮だった。ただし、内部に入ろうとしたら信者に制止された。僕は少し離れたところにあるサラエボ最大のモスクを訪問しようと考えていたが、この件で中止を決定した。時間にゆとりを持って、バスターミナルへ移動しよう。2時間ある。


上:バシチャルシァ広場にあるモスク

右の2枚:バシチャルシァ広場

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13:05 サラエボ市内から『セルビア方面への長距離バスターミナル』へ
 トローリーバス(103番)に乗った。乗車券は、すぐ傍にある発券所で購入(1.8KM)。待ち時間は0分。タイミングが良かった。乗ってからすぐに自分で改札をしなければいけないが、切符を通しても機械が動かないので車掌に頼んで穴をあけてもった。機械をぐるっと回転させるタイプなので、自分ではできなかった。バスはゆっくり走り、予定していた45分をオーバーした。地図の縮尺とは違うのかも知れない。最後は集合住宅の中を走り(2枚下の写真)、全ての乗客を降ろしたバスは、住宅内のターミナルへ入った。長距離バスターミナルとは接続していない。


上:トローリーバスの車内で乗車券を持って撮影する


上:落書きされた車内から見た集合住宅。社会主義だった時代を彷佛とさせる


上:トローリーバスは、屋根の上にあるパンタグラフを使って電線から電力の供給を受ける

14:00 小さなバスターミナル着
 バス停から長距離バスターミナルまで徒歩5分。


上:小さなバスターミナルから長距離バスターミナルまで歩く。このように不便なのは、ボスニアとセルビアの政治家の仲が悪いからである。それが国民レベルで仲が悪いかどうかは不勉強なので分からない。


上:路上でロウソクが売られていた。これがいかなる宗教のものかも不明。



上:右手奥が長距離バスターミナル

 私は予定していた15時発のベオグラード行きバスのチケットを買った。窓口では現地通貨しか使えないと思って準備しておいたのに、ユーロでも購入できるのでがっかりした。料金は高くて驚いた40(20ユーロ)。それから、電源コンセントのある近くのレストランでビールを飲みながら日記を書いている。時間はあと20分ある。

 何か食べ物を頼もうとしたら、隣の店で買ってもってこいというので、サンドウィッチを注文した。数分も経たないうちに持ってくるかも知れない。そこでアメリカンコーヒーかトルココーヒーを頼んでみよう。なければエスプレッソになってしまいそうだ。


上:詳細は分からないが、ビール(大)とコーヒー(大)の合計で3KM。電気を拝借したので、チップとして0.5KM。


上:パソコンの上においたバス切符

15:00 サラエボからベオグラードへ
 長距離バスは定刻通りに出発した。8時間の道のりになるというから、到着は23時になる。あまり考えていなかったけれど、疲れるバスの旅だ。到着後は客引きに勧められるまま宿泊することになりそうだ。


上:さようならサラエボ

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上:僕が乗った国際バス。会社は『コンドル』。サラエボからベオグラードへ向かう。

 さて、バス内ではちょっとした事件があった。
 僕がサンダルを脱いで寛いでいたら、1人の男がぎゃあぎゃあ騒ぎ出した。何が始まったのか全く分からなかっが、僕の足元を見て言うので、靴がどこかに行ってしまうのを注意してくれてたのかと思ったら、サンダルを脱ぐのはいけないんだって・・・ 隣に座っている女性が英語で教えてくれなかったら、騒ぎは発展していただろう(靴を注意されたのは、この旅でこれ1回限りだったし、素足を良しとする文化もある)。これが下手な形で発展すると殺しあいになるから、言葉が通じること、相手の文化に合わせることの重要さを改めて思い知った。


上:僕に英語で注意してくれた女性。とても助かりました。彼女は、車内のDVDに集中している。

左中央:小高い山の頂きに城塞のようなものを発見!

左下:ダム発見

18:00 とある24時間営業のスタンド(写真下)にて
 ベオグラードには何時に着くか分からないが、今はDVDを楽しんでいる。それは、10世紀の話で、殺戮と愛の繰り返しを描いたものだ。この国で観ると、それがリアルに感じるので面白い。それかこのガソリンスタンドを併設した商店のような建物はボスニアの出入国事務所だったような気がする。車掌がボスニア出国のための準備をしたのだと思う。

上:右の青い建物は、ボスニアに出入国事務所?

18:45 ボスニアを出国する
 それから、川沿いにあるゲートへ行った。審査官が乗り込んできたので、私はいつものようにバスポートを提示した。他の人は顔写真と見比べるだけだけれど、僕にはサラエボで何をしていたか質問してきた。僕は観光旅行であること、昨日モスタルの宿泊して、今朝サラエボに入り、今ここにいることを告げた。審査はそれでおしまいだった。

 バスは川を渡り始めたが、すぐ目の前のセルビアの入国審査所が待ち構えていた。僕はその写真を撮った(写真下)。

19:00 セルビアに入国する
 審査官が乗り込んでくると、僕には何も質問しなかった代わりに、パスポートを車外に持ち出せれてしまった。同じようにパスポートを手放した外人は3人だったので、セルビア人国籍以外の人間が3人いたのだと思う。ところで、このバスの乗客数は出発地点では15人程度だったけれど、それから乗り降りを繰り返し、今は20人ぐらいになっている。国境を越える時は、15人ぐらいだった。


上:セルビアの出入国管理

 セルビアに入り、とくに景色が変わったわけではないが、平地が増え、麦畑が目につくようになった。ビールが美味しくなると良い。それから、石灰岩が目立つ山間部は、標高1000メートルを楽に越えているような風景だけれど、実際は100メートルを切る場合が多く、1番高い所でも700メートルぐらいだった。車内温度は24℃だったので、地上は30℃を越えているのだろう。


上:太陽が傾き、麦畑の色がよくなった

20:00 とあるドライブイン
 どこか分からないスタンドでコーヒー(1ユーロ)を飲みながら、サッカーのテレビ観戦をしている。みなさん熱心に観ているが、どちらのチームを応援しているのか良く分からないので、僕も大人しく観戦した。良いプレーに「おー」とぐらい声を出したいけれど、控えめになっている自分がいる。ところで、ユーロが使えるのが嬉しかった。僕はまだセルビア通貨を持っていないのだ。今回はどうなるかわからないけれど、両替し過ぎないようにしよう。

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21:00 バス内で
 バスの中で日記を書いている。すっかり暗くなったので、草履を脱ぎ、あぐらをかいて、その上にPCを置いて快適に仕事をしている。ただ、運転手が聴いているラジオと、無音声で流れるDVDの2つが僕から集中力を奪うので、くだらない現状を書き留めることしかできない。予定では、22時にベオグラードに到着するというから、ドミトリーにチェックインして、外食しよう。もちろん、ビールは大ジョッキにしよう。おっと、その前に、鉄道の時刻表を調べなければいけない。できれば、明日の午後2時過ぎの列車に乗って、再び国境を越え、マケドニアのポゴドリアに行きたい。ただ、この列車は12時間ほどかかるので、早朝6時ぐらいの出発だろうな、と思う。その場合は、ペオグラードで2泊することになるし、どこかで飛行機か夜行列車を使うことになると思う。ベストは夜行列車を乗り継ぐことだけれど、そこまで遠い距離ではないことが残念だ。うーん、それから、ベオグラードからポゴドリアまでの路線は景勝路線だというけれど、夜行しかない場合は、車窓からの景色をあきらめると思うけれど、それよりツーリスト・インフォメーションで安全確認をする方が重要だ。

21:24 バス内で
 高速道路に乗った。ベオグラードまで56km、外気温22℃。いい感じになってきた。23時までにはチェックインしたい。

22:15 ベオグラード着
 夜中だったので本当のことは分からないが、比較的大きなバスターミナルに到着したように感じた。僕はガイドブックの地図を見て近くのユースホステルへ行こうとしたが、発見できなかった。仕方ないので、鉄道の時刻表をチェックするために鉄道駅へ向かったら、その構内にあるツーリスト・インフォメーションセンターの窓口に2つのユースホステル紹介状があった。僕は近い方のホステルを目ざして歩き始めた。ここから徒歩5分の距離。

 鉄道駅の前ではタクシー運転手に声をかけられたけれど、僕がユースホステルの紹介状を見せると親切に教えてくれるだけでなく、自分の携帯電話で空き部屋があるか確認してくれた。あまりに親切なので僕は用心してしまったけれど、結果はとても良い人だった。本当にありがとうございます。


上:ベオグラードの長距離バスターミナル

22:40 ホステルセンターにチェックイン

上:ベオグラードの中心部にある本日の宿『ホステルセンター』の外観

 フロントでは、チェックインと同時に『宿泊証明書』を作ってくれた。さらに自家製のお酒まで頂いて、僕は一気に酔っぱらった。アルコール40度だから仕方ないでしょう。残すわけにはいかないし・・・


上:フロントでほろ酔い気分の私。大きなコップで水を2杯頂きました。宿泊客用のミネラルウォーターがあるのです。

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左上:ここはドミトリー(共同部屋)専門のユースホステルで、私のベッドは一番手前
右上:同室の男性と一緒に記念撮影。その彼はセルビアの紛争地帯『コソボ地区』から仕事を探しに来ているが、見当たらないらしい。彼は自分の故郷の惨状を私に詳しく説明してくれたが、その悲惨さは彼の顔に滲み出ていた。上の写真で、彼が私よりも10歳若いことを確かめて欲しい。今も本当に大変な状況にあること、コソボ地区には踏み込んではいけないことを繰り返し教えてくれた。そして、1時間ほど話し込んだ後に、彼は1枚の絵(写真上)をプレゼントしてくれた。それはセルビア正教の聖者の肖像画で、私は翌日、ベオグラードにある世界最大のセルビア正教の教会で同じ肖像画を拝観することになった。

 それから、僕は夜の街を散策した。治安状態は良くない感じだったけれど、十分に用心すれば何とか歩ける感じだった。


上:鉄道駅


上:同上


上:24時間走る路面電車。画面中央奥にある白い建物はベオグラードの鉄道駅。

翌00:15 夜食
 別に何かを食べたいわけではないけれど、やっぱり夜食でしょう。それにビールでしょう。

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上:雰囲気も上々で、かなり旨い。ハンバーガーもビールも最高。向えに座っている2人の男性も、良い感じでビールを飲んでいた。

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上:この消火栓は使えるのだろうか?

左上と左下:スロットやルーレットなどの賭博場が立ち並んでいたけれど、大きな危険性は感じなかった。私は入場しなかったけれど、ビールを片手に小銭で遊ぶ程度の場所だと思う。

宿に戻ったのは、0:45

消灯は、1:00

おやすみなさい


続きをどうぞ!

私の日記 11日目

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