このページは旅行記『バルカン半島9ヵ国 2009夏 2009 AUG.11 - AUG. 31  です

11日目 2009年 8月 22日(金)
===貸し自転車で、ベオグラード(セルビア)市内観光=====================
 (1) クネズ・ミロシュ通り
 (2) 聖サヴァ大聖堂
 (3) セルビア国の国会議事堂
 (4) クネズ・ミハイロ通り
 (5) カレメグダン公園
 (6) 国立民族博物館
 ベオグラード(セルビア、国際列車)13:10 → 22:30 ポドゴリツァ(モンテネグロ)
==========================ポドゴリツァ(モンテネグロ)泊(1/1)===

1:11 まだ起きている
 こんな夜更かしは珍しいことで、早く寝ないといけない。部屋のテレビは、世界陸上のようなものをやっているけれど詳細は分からない。さっきはテニス、サッカーを放送していた。いずれも音声がない。僕は寝ようと思ったけれども、コソボのお兄さんがビールをおごってやると言い出すから困ったものだ。僕はとても疲れていて、その好意を受け取ることができない。トークは面白いけれど、それ以上に僕は疲れているのだ。それにもう寝なければいけない。何も言うな、と彼は言うけれど、そういう問題ではない。非常に困った問題だ。それでも彼はビール買って来て、僕に渡して、「君を尊敬しているからだ。日本に行ったらビールをおごってくれ」と言い残して部屋を出て行った。本当に素晴らしい人だと思うけれど、タイミングが悪すぎると思う。今はもう遅いのだ。

7:40頃 起床
 向こうのベッドで寝ているが起きないように、静かにパッキングをして、いつでも出発できるようにする。とりあえず、鉄道駅でポゴドリツァ行きの鉄道の時間を調べ、できれば切符を購入したい。今日の午後1時過ぎの便があれば最高なのだが、、、

8:21 鉄道駅でチケット購入(2280をカードで支払う、24ユーロ)
 寝台夜行(クシェット)を頼んでも750(約1000円)の追加ですんでしまうが、私は少しでも早く到着することを選択した。深夜に到着すれば、宿探しも難しく料金も高くなるだろうが、、、。これは結果としては失敗で、夜行に乗れば、朝に何と、鉄道駅の正面は違っていた。まるで、正面みたいな部分が2ヶ所ある。僕は信号がないところを頑張って渡ったが、そこは違っていた。


上:朝8時のベオグラード鉄道駅前。2つの車両が連結したトローリーバスも写っている。


上:通勤する人々

 宿に戻ると、朝食のパンとヨーグルト(写真下)が置いてあった。とても安い宿泊料金なのに、ちょっとした食べ物を準備してくれることが嬉しい。基本的にサービス精神旺盛なのだ。

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上:工事中のビル

上:僕が宿泊した宿の前の通り

9:00 ホテルで貸し自転車
 ホテルの入り口にマウンテンバイクがあるのを発見! これを使えばいろいろな場所を回れるだろう。フロントで尋ねると、1時間で125。さっそく借りて、市内散策に出かける。初めは、1999年のNATOによる空爆によって破壊されたビルクネズ・ミロシュ通りが立ち並んでいるクネズ・ミロシュ通りを目ざす。

9:17  クネズ・ミロシュ通り

上:クネズ・ミロシュ通り


上:攻撃され、崩れたままになっているビル。この写真を撮影していると、セルビア人男性が「アメリカ↓」と声を掛けてきた。いかなる理由があっても、ここにある建物とたくさんの人の命を奪ったのは当時のアメリカである。私は彼に賛同した。

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上の2枚:同上

 どれから、第2目的地の聖サヴァ教会へと向った。


上:途中の道


上:スラヴィア広場前にある大きな交差点


上:路面電車やトローリーバスが頻繁に行き交っている

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上:同じ交差点にある看板。それを見れば、その国や街の人々の生活環境や欲望を推測できる

9:35 聖サヴァ大聖堂
 聖サヴァは中世セルビア王国創始者の息子で、セルビア正教会の創立者(補足:正教会はキリスト教の教派の1つ)。この大聖堂は世界最大の大きさを持つ正教会の教会の1つであり、もちろんセルビア最大の教会である。


上:聖サヴァ大聖堂にはたくさんの参拝者が訪れれていた。


上:大聖堂の内部


上:同上


上:私は昨夜、同室のセルビア・コソボ地区の男性からもらった聖人の絵を取り出した。まさか、ここで出会うとは思わなかった。彼はセルビア正教会だった。

右:内部は大規模な改装工事をしているようだったが、もしかしたら1999年のNATAの空爆によって破壊されたものを建て直しているのかもしれない。

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上:大聖堂の正面


上:聖母マリアもある

 聖サヴァ大聖堂の見学を終えると、同じ道を引き返し、クネズ・ミロシュ通りを北東へ走り、国会議事堂前を通過して、国立博物館、国立民族博物館、そして、メレメグダン公園でドナウ川に合流するサヴァ川を見る。


上:とある交差点。僕は左端の警察官を撮りたかったけれど、彼は歩いていってしまった。

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上:とある建物の扉の装飾

右:空爆によって建物は傷ついていたが、その扉は歴史を十分に感じさせるものだった。

10:25 セルビア国の国会議事堂

上:国会議事堂の前で記念撮影

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上の2枚:大通りを挟んだ国会議事堂前の公園で見つけたもの。英雄か軍人の記念碑だと思う。


上:議事堂を通り過ぎ、次の目的地へ向う


上:私はカレメグダン公園へ向っているが、国立劇場を通り過ぎると、急に賑やいできた


上:約1km続く歩行者天国『クネズ・ミハイロ通り』。ただし、平日午前中からだろうか、混雑はしていない。
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上:とある交差点

10:45 カレメグダン公園の散策


上:公園の入り口から、市街中心方向を写す


上:公園で見かけたポップコーン売りのおじさん。小腹が減った僕は、小さめの紙袋1つを頼みました。それをばくばく食べていると、公園管理人がやってきて、「君の自転車は邪魔だから移動させなさい」と注意されてしまった。ご免なさい、ベンチに移動して食べます。


上:公園で見かけたセルビア国内?の観光名所の写真。ここに行きたいけれど、詳細不明


上:セルビア国内を流れるサヴァ川


上:同上。セルビア国内だけを流れるサヴァ川の水は、とても美しい


上:川について解説しよう。画面左端から右端へと流れるのはサヴァ川。この川は、画面右端でドナウ川と合流し、その名を終える。さて、ここで着目したいのは、ドナウ川の水の汚さ。ドナウ川は西ヨーロッパ諸国を流れているので、とても汚れているのだ(下の写真)。この汚れた水を見ていると、セルビアがどんどん汚されていくようで、とても悲しい気持ちになった。


上:左右に流れるのが綺麗なサヴァ川、奥から手前へ流れるのが汚いドナウ川。


上:2本の川を眺めながら話をするセルビア人の子どもと老人。


上:その少年に写真を撮ってもらった


上:この公園には軍事博物館があるが、見学しなかった。屋外にはいくつかの実物が展示してある。

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上:小さな戦車の前で記念撮影

左:この公園の一部は城壁に囲まれている。戦車などは『掘』の部分に展示されている。

12:00 国立民族博物館
 内部は撮影禁止で、展示内容は忘れてしまった。

上:国立民族博物館


上:この写真のポイントは、入り口に停めた私の自転車


上:博物館前の交差点


上:外国人を乗せた大型バスが来た。おそらく、ベーグラード市営の観光バスではないかと思う。

 以上でベオグラード市内観光終了。

 僕は急いで宿へ戻り、荷物を引き上げ、鉄道駅へ向った。これから、午後1時10分発の国際列車で国境を超え、モンテネグロのポドゴリツァへ行く。結局のところ、セルビアでの滞在は24時間を切ってしまったが、僕は十分に満足した。自転車で自由に走れたこと、コソボ地区の男性(セルビア正教会)の男性と1時間近く会話できたことが大きかった。

12:25 ベオグラード鉄道駅(セルビア)
 僕は、ポドゴリツァ(モンテネグロ)までのチケットを買った。

上:鉄道駅の切符売り場

12:39 プラットホームで生ビール(120)を飲む
 マダカスカル近くの島で生まれたフランス国籍の男性と一緒に飲んだが、ただの酔っぱらい同士になってしまった。喋り続けた方の勝ちである。

13:10 ベオグラード(セルビア)発
 列車は誰も乗っていないのかと心配になったが、プラットホームが違っていた。5番ではなく1番ホームだった。出足が遅れたので、空のコンパートメントはなくなっていた。標高は最大790m。気温は高く、体感温度は35℃を越えていた。

 僕は途中で、電気がつかない薄暗いコンパートメントから明るいコンパートメントへ移動した。景勝路線だというけれど、全然違う。まったく面白くない。ほとんどの時間、僕は横になって寝ていた。途中で同席したウジチェ(セルビア)までの中年女性は、言葉が全く通じなかったけれど自分の母親のように身近に感じた。


上:ベオグラードから3時間ほど走ったところにある都市


上:その都市の近郊で水浴する人々


上:17:57、とある駅にて


上:18:00現在、この列車の乗客率は20%程度で、私のコンパートメントには誰もいない。もうすぐ国境を超えるのだろう。


上:検札にきた車掌さんを撮ったら、どんな写真か見せろと言われた。写真を見せながら「かっこいい!」と言うと、スマイルが返ってきた。ちょっと冷や冷やしながらシャッターを押したので、ほっとした。


上:18:22、なんだか分からない川を超える

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左上:僕は車窓から首を出し、列車の旅を楽しんでる
右上:気がつくと、落ち着いた雰囲気の女性が隣で景色を眺めていた


上:18:30、小さな村の駅に止まった

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18:40頃 セルビアから出国
 出入国審査官が列車に乗り込んできたけれど、僕のパスポートの顔写真に髭がないのを見て笑って、セルビアに入国したスタンプをみて終了した。20秒ぐらいだったと思う。セルビアに入国したのが昨日だったのが良かったのではないかと思う。その審査官は、ピストルや手錠などいろいろなものを腰にぶら下げていた。

 僕の審査はすぐに終ったが、乗客全員が終了するためにはどれだけの時間がかかるのか良く分からないけれど、この5両編成の列車の乗客率は20%ぐらいだから、うまくいけば20分ぐらいで出発するかも知れない。

 列車は15分ほどしてから出発した。とても嬉しいけれど、すぐにモンテネグロの入国審査があると思う。

19:10 モンテネグロへ入国
 先ほどの審査が終ってから、列車は15分ほど走った。僕は、さっきの審査がモンテネグロの入国だったかも知れないと思ったけれど、残念ながら外れた。列車は小さな小屋の前で停まり、何人かの審査官がそこから出てきた。さてはて、これから何分かかるか楽しみだけれど、モンテネグロに入国したと思ってリラックスした私は、持っていた蒸留酒を一口のみ、マックで日記を書き始めている。


上:赤い色をしたモンテネグロの入国審査の建物(画像をクリックすると拡大します)

19:24 列車が動き始めた
 僕のところには誰も来なかった。かなり雑な審査だったけれど、まあ、こんなもんだろう。屋外の時計は5時20分を指した止っていたし、、、。現実が良く分かっていると思うが、そんなことでは公務員は勤まらないと思う。頑張れモンテネグロ!

上:19:55、そこそこ大きな川を超えた

20:00 謎のパスポートチェック
 違う制服の方が来て、私のパスポートをチェックして、どこに行くのか尋ねた。ポドゴリツァと答えると、OKと言われて終了。もしかしたら、これが本当の入国かも知れない。列車は10分ほど止っていた。

20:15 リザベーションとして3ユーロ支払う
 次に、今までとは違う1人の車掌が来て、私のチケットを見て何ならや言っている。リザベーションがいる、と言っているようだが、着服するのが目的かも知れないので、ごちゃこちゃ言っていたら、隣のコンパートメントからリザベーションチケットを持ってきた。僕はそのコンパートメントの人達を話をして、3ユーロ支払い、手書きのレシートを貰った。これで、言い合った車掌さんとウインクをして終了である。

20:25 食堂車へ移動
 腹が減ってきたし、変化がないので、ここで食べることにした。私の他にはビールを飲んでいる男が1人いるだけで、何もない。8.5ユーロ、ビール1.5ユーロ。大変美味しいが、食べ始めると直ぐに一杯になるのは困った癖だ。ビールも一口で十分なのは昼から飲んでいたからだろう。

右:本日の夕食
 この写真の中央に小さく小さく写っている白い服の男性が私に料理を出してくれた。とてもサービスが良く、気持ち良く食事をすることができた。ジャガイモと豆の煮物が美味しいと言うと、余分に盛り付けてくれた。さらに、食べ切れなかったサラダをビニール袋に詰め、テイクアウトしなさいと持って来てくれた。なお、このレストランの客は私1人だけだった。

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22:11 疲れたきた
 あと20分ぐらいで到着するらしい。せっかく3ユーロ払ったんだから、少し寝てこよう。寝過ごさないようにね!

22:30 ポドゴリツァ着


上:ポドゴリツァ鉄道駅のホーム

右:時刻表を撮影

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22:40 鉄道駅すぐ近くのホテル
 とても疲れていたのでネオン・サインに惹かれた虫のように近くのホテルに吸い込まれた。料金は高かったけれど、フロントのお姉さんが、ポドゴリツァはどこも高いからこれが相場よ! と言うので、朝食抜きの割り引き交渉をしてから決めた。


上:コンパクトなお部屋だったけれど、設備はほとんど揃っていた


上:僕は、何かの余り物を夜食として、シャワーを浴びて寝た

続きをどうぞ!

私の日記 12日目

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