このページは旅行記『バルカン半島9ヵ国 2009夏』 2009 AUG.11 - AUG. 31 です |
19日目 2009年 8月 29日(土)
===エルディネとイスタンブール(トルコ)====================
ブルガリアからの寝台列車 3:55 エルディネ(トルコ)
午前:エルディネ市内散策
(1) セリミエ・モスク(市内で1番大きなモスク)
(2) オールドモスク別ページにジャンプします
(3) セレフェリ・モスク
(4) 要塞
(5) ハマム体験
13:00 エディルネ(直行バス)→ イスタンブール
夕方:イスタンブール散策
(6) ブルーモスク
(7) ガラタ橋
==============================イスタンブール=====1:40 バスポートコントロール
約30分ぐらいかかった。それから、20分ぐらい走って、もう一度パスポートコントロール。その時間は、2:40ぐらい。3:00頃 トルコの入国スタンプをもらう
列車の乗客は、入国審査を受けるために全員降ろされた。外は寒く、スエットを着ている者や車内で配られたシーツを身体に巻き付けている女性もいた。私は30分ぐらい並んでいたと思う。自分の番になること、髭があることを指摘されたが、これはムスリムにとっては重要問題だから当然の質問といえる。審査が終ると、デューティーフリーの店を覗いた。2軒あったが、いずれもタバコを酒しか販売していなかった。車両のコンパートメントで横になっていたら、もう一度スタンプが押されているか確認に来た。列車は、3:20頃に発車したのではなないかと思う。詳細は分からないが、僕はできるだけたくさん寝ていたかったし、私が降りる『エディルネ』は国境付近の街だから、1時間もしないうちに到着すると思う。3:55 トルコの『エディルネ』着
2人いた車掌が、数字遊びをしていたようだ。僕を起こすことも扉を開けることをもしないので、列車は汽笛を鳴らしてエディルネを発車してしまった。汽笛の音で目を醒ました私は飛び起き、全ての荷物を持って列車の中を走った。扉は開かない。ゆっくりなら飛び降りることもできたが、1人では扉を開けられないので、車掌を呼んだ。彼は、私と一緒に1等車両をいくつか駆け抜け、非常停止のボタンを握っている車掌にボタンを押させた。列車はキーキーと音を立ててゆっくり停まった。こうして、私は300mほど走ったところで、無事に降りることができた。
上:午前4時のエディルネ鉄道駅(右の建物)エディルネの鉄道駅の電気は点いていたが、中に入れそうにない。なぜなら、入り口に大型犬がいるからだ。私は小石を3つ拾ったが、太刀打ちできそうにない。少し離れたところにあるもう1つの扉は施錠してあるし、プラットホーム側には違う犬が立っているし、構内の中央には小さな犬が2匹座っているし・・・いつまで外に立っていれば良いのだろう。
離れたところで見守っていると、正面入り口にいた大きな犬が動いた。私はそのチャンスを逃さないように、中へ入った。とりあえず、建物の中へ入れたことは嬉しい。
でも、広い構内(写真下)ではいつどこから犬が侵入してくるかわらないから、同じスペースでは仕事ができないと思ってたけれど、切符売り場の隣に待合室があった。私は待ち合い室に入ると、その扉を閉めた。部屋には2人の男が寝ていたので安心した。浮浪者か旅行者か分からないけれど、1人でいるよりは3人でいる方が心強い。ここには電源もあるし、トイレもある。しかも、屋外より数℃暖かい。
上:駅構内。電気はついているものの誰もいない。誰かいても怖いけれど、いなくても怖い。でも、今はそれより野犬が怖い。小さな犬も移動した。
上:構内にある、ちょっとした展示物で心が和んだ
上:私は待ち合い室で電源コンセントを見つけ、マックで日記を書きはじめた。ソファーには2人の男が鼾をかいて寝ている。悪人ではないと思う。私はあぐらをかいて、快適に仕事を楽しんでいる。自分が女性なら怖いかも知れないけれど、私は鬚を生やした謎の東洋人バックパッカー。彼らの方が怖がっているだろう。5:00 拡声器から流れるコーラン
圧倒的な音量ではないが、電気的な力を使って拡大したコーランが流れてきた。ソファーに寝ている男達がそれに反応して寝返りを打つ。私は日記を描く。イスラムの国、トルコに来たんだなと実感が沸く。中欧にもたくさんのイスラム寺院があったけれど、尖塔から定時のコーランを聞くことはなかったように思う。たった1度だけ、サラエボのイスラム寺院の尖塔で、男が肉声でコーランを読み上げていた。それは美しい歌声のようで、とても好感が持てるものだった。電気的な、圧倒的な音量とは違う。5:53 空は少しだけ明るくなってきたけれど、
空は明るくなってきたけれど、街の様子は見えない。これから10分刻みで街は起きていくのだろう。逆に、僕は少しだけの仮眠をしようと思う。6:00 3人の人が来た
元気な男2人と女1人が来て、トイレに入った。これから来る列車に乗るんだと思うけれど、これで私の仮眠計画も没になった。7:03 7:31発の列車に乗ろうかと迷う
疲れてしまい、この街を歩かずに7:31発イスタンブール行きの列車に乗ろうかと迷った。そもそも、この街『エディルネ』の地図も情報も何もない。手に入れた唯一の情報は、鉄道駅から長距離バスターミナルおよび市内中心部は歩ける距離ではないことだ。しかsも、イスタンブール行きバスターミナルと市内中心部は正反対の方向にあるらしい。この情報は、ほとんど誰もいない鉄道駅を後にし、ほとんど誰も歩いていない幹線道路で捕まえ地元民に話し掛け、身ぶり手ぶりで頑張って得たものだ。私はバスを拾うのを手伝ってもらい、長距離バスターミナルへ向った。バスでは、ヨーロッパ通貨『2ユーロ』を出した。トルコ通貨はない。少年がくれたオツリは『1トルコ・リラ』だったので、後から計算すると3倍料金を支払ったことになる。少年に悪気はなかったように思う。
上:幹線道路で拾った市バス。フロントガラスに、OTOGAR(オトガレ、バスターミナル)の表示がある。これが初めて覚えたトルコ語だ。===
長距離バスターミナルでは、いくつかあるバス会社の時刻をチェックし、13.00発イスタンブール行きがある売り場に『荷物』を預かってもらった。これで、いよいよエディルネの街を歩くことができる。
バスターミルから市内へ行く途中、大学キャンパスの中を巡回した。とても落ち着いた良い雰囲気なので、私もここで研究したいと思った。バスは何度も道を曲りながら、エディルネ市の中心部へ向った。このバスはたくさん寄り道をしたので、30分弱走っていたように思う。バス路線はたくさんあるようだった。
上:爽やかなエディルネの朝。人通りはほとんどない。
上:巨大なチューリップのオブジェ。この他にも、同じようなオブジェがいくつかあって、不思議な気分。
.
左上:画面左上の建物はショッピングセンターみたいなところ。
右上:その建物の中。まだお店は開いていない。8:00 朝食
街の小さな食堂でスープを頂く。私は庶民が使っている場所で食事をするのが大好き。日ざしも少しずつ強くなってきた。
上:スープには小さな穀物が入っていたと思うけれど詳細不明。パンはいくらでも食べて良い。スープにレモンは合わない。トウガラシは旨い。それから、エディルネの公園には公共トイレがあるけれど、早朝8時は鍵がかかっていたので、この食堂でお世話になった。8:30 セリミエ・モスク
街で一番大きなモスクを訪問する(写真下)。結果として、イスタンブールのブルーモスクよりも良かった。
上:かなり良い感じ。ぐるりと周辺を回って入り口を探す(画像をクリックすると午前10時の写真)。
.
左上:セレミエ・モスクの外観。入り口はいくつもある。
右上:イスラム暦、礼拝する時刻などが電光表示されている。
ということで、とても素敵な寺院で大満足!
.
上:巨大シャンデリアの下で。
上:セリミエ・モスクを設計した建築家シナンの像。背景にはセリミエ・モスク(ジャミイ)。9:30 オールドモスク(エルディネ、トルコ)
エディルネ街で、ここが一番良かった。壁に書いてある文字がとても芸術的だからだ。人や自然の象形のような文字もあったが、隠された形がたくさんあるように思う。とても素晴らしいので、もう一度行きたいと思うぐらい。
上:画像をクリックして『オールドモスク』の別ページをお楽しみ下さい。オールドモスクは堪能できましたか?
そろそろ本格的にお腹が減ってきたので、昼食にしましょう。街をぶらぶら歩いて、適当なレストランを探します。
上:エルディネの街10:00 とても早い昼食
上:美味しそうなイラスト付きメニューのあるレストランを見つけた。
上:看板のものを注文したら、これが出てきた。似ているようなにていないような。味は微妙。ただのシシケバブみたいなもの。食後は、わざわざ「チップ」を請求されてしまった。困ったレストランだった。地元の人が多いように見えたのになあ。食後の散歩で、観光客用のインフォメーション・センターを見つけました。そこにいる女性がとても親切で丁寧で、素晴らしい市内地図を開いて、大まかなポイントを全て教えてくれました。私はほとんど歩き回った後だったので、彼女の案内がよく分りました。そして、ハマム(銭湯)の場所を教えてもらいましたが、入浴料金はわからない、とのことでした。彼女は行かないのだと思う。
10:50 セレフェリ・モスク
巨大で美しい模様をもつ4本のミナレットが印象的なモスクを訪問しましたが、朝1番に訪問したモスクの印象が強すぎました。
上:セレフェリ・モスク。その前には果物やちょっとした軽食を売る屋台。
上:1438年〜1447年に建設
上:素晴らしい青空と雲
上:巨大なミナレット。このような巨大ミナレットはモスクの四隅にありましたが、その幾何学模様は全て違いました。
上:内部の様子。メッカに向って座るための絨毯。.
上:エディルネ市の観光案内板
上:このモスクのミニチュア
上:店先に赤・白・青の斜ストライプの看板があるけれど、現地で見ると動脈(赤)・包帯(白)・静脈(青)に見える。綺麗に散髪した男性の顔写真があるから普通の理髪店だと思うけれど・・・(上の画像をクリックするとポスターの拡大)11:15 街の見物タワー(たぶん)
本当のことは忘れてしまいましたが、要塞の機能はないように思います。
.
上:内側から見た天井。階段はなく、登ることはできませんでした。下はトイレのようでした。左:まわりには黄色のタクシーがたくさんたまっていました。
11:30 ハマム(公共の浴場)
次は、エディルネ最後で最大?のイベント! ハマム(銭湯)体験です。街のど真ん中にあるハマムです。崩れかけた外観が立派です。でも、観光客もいっぱいくると思うから、ぼったくられないように注意して頑張ります。
上:ハマム入り口は、画面左端。入場すると、誰もいない。こんな朝っぱらから入る人はいないのでしょう。とりあえず、今日は土曜日。
上:お金を払うと、2階の小さな個室に案内されました。この写真にも写っているガラス張りの部屋です。ここで衣服を脱いで、腰巻き1枚に着替えます。パスポートを含めた貴重品は、その部屋の中に隠しました。番台に預けるより安全だと思います。私にとっては、いつものことです。そして、サウナ室へ移動。
上:サウナ室で記念撮影。入浴しているのは私1人だけ。防水カメラですが、レンズが曇って大変でした。しばらくすると、垢スリをしてくれるおじさんが来ました。そして、別室へ案内され、身体を洗ってくれました。洗髪もしてくれます。石鹸とシャンプーを使って、それなりに良い感じでした。でも、全部終って、「はい、さようなら」というタイミングで、彼は硬直したモノを見せてきたので、「あはははは」と笑うしかありませんでした。どう考えてもパスポート紛失と同レベルで危険な状況でした。これは記念撮影で誤魔化すしかない、ということで撮ったのが下の1枚です。
上:私より若い良いおじさんだと思います。
上:無事に更衣室に戻ってきました。番台の男性に頭から赤白の布、身体にもう1枚の布を捲いてもらいました。パスポートもお金も無事だったし、無事に生還できて本当に良かったです。ところで、このハマムから出る時、私は先ほどの男性にチップを渡しました。何で渡してしまったのか分りませんが、何ごともなかったことへのお礼の気持ちだと思います。
.
上:トルコ語が読めないので詳細不明だけれど、垢スリ込みで20トルコ・リラにしてもらいました。適正価格かツーリスト価格は不明。下の写真は、サウナ室。
![]()
上:正午12:00のエディルネ。
私はここを30分ほど散策して、それから市バスで長距離バスターミナルへ行く予定だ。
上:歩行者天国のような通りを歩く。
上:ちょっとしたデモ行進みたい。
![]()
.
上:荷物を運ぶ人。人通りは少ない。左上:エディルネ市民だと思う。
左下:ちいさな店でチャイを頼む。勝手に椅子に座り、店の人に「チャイ!」と注文する。料金は分らないけれど、とりあえず1トルコ・リラを出してみる。お釣も催促もなかったから、それでオッケー。あとは、隣のテーブルに座って煙草を吸うおじさんの煙りを吸わないように注意しながら、チャイを楽しむ。砂糖は入っていたように思う。
それから、市バスに乗って(1トルコ・リラ)長距離バスターミナルへ移動。もう慣れたもんだ。
13:00 イスタンブール行きのバスに飛び乗る
バスターミナルに着いたとき、私の時計は13時を過ぎていた。ターミナルへ駆け込むと、制服の男がイスタンブール?と言いながら、エンジンをかけた大型バスを指差したので、私は大きく頷き、そのまま切符売り場へ駆け込んだ。客引きの男は違う違うと言ったが、私は彼を制止し、切符売り場に預けていた荷物を受け取り、バスに飛び乗った。料金16をバス内で払い、私は一番後ろの席に移動して横になった。4つある席を全部使った。とても快適なバスだった。そうそう、切符売り場に預けておいた荷物に対してチップを払おうとしたら、いらない、と言われてしまった。ありがとう!上:快適なイスタンブール直行バス。
. 15:50 イスタンブール着
イスタンブールは巨大で、バスターミナルも巨大だった。さっぱり分からないまま、うろうろしているまま、地下鉄用のジェトンを買った(1.5リラ)。喧嘩をしている男達がいて、警官が5、6人集まった。大都市へ来たと実感した。
上:イスタンブールの長距離バスターミナル。とにかく巨大で、さっぱり分らない。ガイドブックを持っていないが、簡単な観光案内のコピーはいくつかある。
.
左上:とりあえず、地下鉄に乗ることになった。目的地はイスタンブール旧市街の中心にあるアヤソフィア(ブルーモスク)。20年ほど前にイスタンブールを訪れた時、強烈な印象を私に与えたモスクだからだ。宿はその近くで見つけようと思う。
右上:地下鉄路線図。どうやら、地下鉄で空港まで行けるらしい。明日はこれだ!
. 右:途中で降りて、トラムに乗り換え、ブルーモスクへ向った。
イスタンブールの目的地は1つ、ブルーモスク。20年前の感動をもう一度味わうことができるのか、私は自分の身体で確かめてみたい。
トラム(路面電車)は満員で大変だったけれど、街の景色が見えるし、安宿チェックもできる。でも、車窓から見たいくつかの宿の看板は、どれも高級そうだった。アヤソフィア、つまり、ブルーモスクの近くで降り、大通りに面したところで何件かチェックしたけれど料金の折り合いがつかないので、荷物を背負ったままブルーモスクを通過した。裏に行けば安宿があるかも知れない。
17:00 宿はスルタン・アフメットの近くで
旅の最終日だったので、あまりケチるつもりはなかったが、結果として30ドルの宿になった。それはブルーモスクから徒歩3分。絶好の位置にありながら格安なのは、間口が小さく古いからだろう。私の部屋は最上階。チェックインした時は天井が焼けて暑かったが、夜中に帰った時には涼しく感じた。クーラー大好き人間の私でも、クーラーは必要なかった。
HOTEL : BEST HIPODROM
0 (212) 516 09 02
www.besthipodromhotel.com
シングル60リラ、ダブル90リラ
上:イスタンブールのお部屋。良い感じ17:15 夕食
上:宿の隣にある小さな食堂みたいなところでサンドウィッチを作ってもらう。アルバイトの手つきが悪く、実際の味も面白くない。テキパキやってくれよ! っ感じです。腹が微妙に膨れたところで、さっそく散策です。目的地はブルーモスクで、その後は適当に散策です。
上:ブルーモスク入り口には、たくさんの人の行列ができていた。写真左上には巨大オベリスクが写っている。
上:ブルーモスクの入り口に掲げられたトルコ国旗。トルコに来たんだな、と実感した。.
上:ブルーモスクの近くにある巨大なオベリスク。この写真では、その大きさが伝わらないけれど、、、
![]()
上:いよいよブルーモスク内部へ
上:巨大で美しいと思ったけれど、正直なところ、感動はなかった。私が新鮮な感覚を失ってしまったのか、それとも、美しいものをたくさん見過ぎてしまったから、観光客が多過ぎるからか、その原因はわからないけれど、20年前に訪れた時の清涼な空気を感じない。高い天井から吊るされた裸電球は同じだったけれど、とても大きなものが無くなっているように感じた。
.
上:そのかわり、私はここで知性溢れる男性と、彼と逢うために行列を作る人を見て、とても幸せな気分になった。こんなに魅力的なトルコの人々を一同に見るのは初めてだった。彼は著名な作家だと思う。ファンの1人ひとりと丁寧に会話し、握手し、サインを書いていた。私もこのような人になりたい。
上:ブルーモスクを後にして、公園を散歩する。
.
上:公園の噴水前で記念撮影。その後ろには、明日訪問する予定のアヤソフィア。左:カラフルな衣服を着た女性。背景の建物はアヤソフィア。
それから、海の方へ向った。正確にはヨーロッパとアジアを隔てる川?
18:30 フードを被った日本人
お茶と飲みながら展望を楽しむために選んだレストランで、とある日本人男性に出会った。その彼は、1つのテーブルをはさんで、日本語が堪能なトルコ人男性と一緒にコーヒーを飲んでいる。誰がどう見てもカモられているが、若い日本人男性は理解できていないようだ。彼と一緒に過ごす時間は、彼にとって商売している時間なのだから、ただでは帰ることは不可能だ。高額な日本語ガイドを雇っているのと同じである。彼は友達ではないし、気を許してはいけない。私は同じ国籍をもつ者として、そのテーブルに近づき、同席しても良いか尋ねた。彼はここに1週間いるという。ローマから入って、イスタンブールに入ってから出て、またイスタンブールに戻ってきたという。その他にもたくさん話をしたが、若い彼は聞く耳を持っていなかった。まあ、ここで勉強するしかないだろう。
18:55 城壁の外を歩く
1時間近くかかった。かなりの距離を歩いたように思う。
上:歩き始めは30分ぐらい、と思ったけれど、、、
上:釣りを楽しむ人々
上:彼の前は埋め立て工事をしていた。何をした人だろう。.
上:お墓?
上:大型タンカーと小型船
上:この魚は何だろう。
上:鉄道だ。
上:鉄道『オリエント急行』の起点となるスィルケシ駅
上:ひときわ高く見えるのガラタ塔。体力があれば、ガラタ橋を歩いて渡り、あのタワーのたもとまで行きたい。夜景が綺麗に見えるらしいが、18:30に閉まるとの情報しかない。19:40 無料の食料配付
港まで到着すると、無料で食料配付するためのトラック(写真下)を見つけた。断食の期間(ラマダーン)なら時々見かけるが、とても不思議に感じた。イスラム教に関係していると思う。私も1セット頂いた。中にはチーズやハムやパンなどが入っていた。別の場所では、何種類かのチーズをパンだけを配付している人々もいた。
上:食料をもらうために行列を作る人。赤い服の女性が持っている白い箱がソレ。結構しっかりしているのだ。19:50 夕食
焼いたばかりの魚のサンドウィッチを売っていたので、それを夕食とする。
上:アジのような魚だった。それをたくさんの観光客と一緒に食べる。みんな満足そう。旨い(4リラ)。
上:ガラタ橋を望む。
画面左端から右端まで、見ると色とりどりに電飾されているように見える橋。私が撮影しているのはヨーロッパサイドであり、右端はアジアサイド(イスタンブールの一部)。アジアサイドで1番高く見えるのはガラタ塔。また、この港には少なくとも3箇所、長距離を合わせれば6ヶ所の船乗り場がある。よく調べれば、定期便を利用した安いクルーズを楽しめると思う。20:00 ガラタ橋を歩く
ガラタ橋は、ヨーロッパサイドとアジアサイドを繋ぐ橋。私が滞在しているのはヨーロッパサイドの旧市街。有名なブルーモスクやアヤソフィアはそこにある。
上:橋の上の空気は、ここヨーロッパサイドと同じだった。釣り竿を売っている人、ゴカイやエビを売っている人がいた。
上:ガラタ橋。その中央は、歩行者が横断しないように高い柵がつくられていた。観光客としては、反対側も歩きたかったけれど、長い橋を最後まで歩く気力がないので、1/3ほど歩いたところで引き返した。ワンポイント情報
イスタンブールは、ボスフォラス海峡によって『ヨーロッパ』と『アジア』に分けられる。それらを繋ぐ橋は、ボスフォラス橋や第二ボスフォラス橋などであり、有名なガラタ橋ではない。
20:15 シェニ・ジャーミィ
ガラタ橋の旧市街側のたもとにある巨大ジャーミィ
上:シェニ・ジャミ。内部見学はできなかった。時間が遅すぎたのかも知れない。
上:もう1枚上の写真と同じシェニ・ジャミを別角度から、30分前に撮影したもの。宿の近くまで、路面電車に乗った。
それから、ブルーモスクやアヤソフィアがある公園を通り抜けた。公園にはたくさんの人が集り、思い思いに楽しんでいた。特設ステージもあり、その上で『いつまでもくるくる回る男達』がいた。彼らは走馬灯のように廻り続けていた。宗教性を感じるとても単純な動きの連続だけれど、多くの人を惹き付ける魅力がある。大な音、光、たくさんの観光客による撮影。
22:00 とけるように眠る
部屋に戻り、水をレモンジュースを飲み、日記を書いているうちに意識を失った。昨夜は上手く眠れなかったし、明日は飛行機で帰国するから熟睡できないだろう。
|