このページは旅行記『ギリシャ&アルバニア 2010夏 2010 AUG.3 - AUG. 24  です

17日目 2010年 8月 19日(木)
===お仕事&移動================================
午前:部屋でお仕事
14:00 カストリア(バス)→ラミア
===========================ラミア泊(1/1)=====

7:00 起床
 朝7時のバスを逃しました。布団の中でくだらない夢をいくつも繰り返し見ていました。時計は見なくても6時に起きて荷物をまとめ、7時発アテネ行きのバスに乗って『ラミア』で途中下車する予定でした。今朝のように旅行中に寝過ごすのはとても珍しいことです。これは神様のお告げなので、次の14時発まで仕事をします。観光はしません。ただし、バスターミナルとチケット売り場を確認していないので、シャワーを浴びてから散歩だけします。もしかしたら複数のバス会社があったり、他の行き先のバスがあるかも知れません。

 バス乗り場も切符売り場も一筋縄ではいきませんでした。早朝はたくさんの車がいるものですが、大型バスも小型の車もいないのです。チケット売り場も見付けられませんでした。それらしい看板は一切ありませんし、アテネの『ア』もバスの『バ』もありません。結局、切符売り場は『両替所』と勘違いしていたところで、その前を3回も通り過ぎていました。時間と行き先を確認すると、やはり14時発しかありせんでした(30ユーロ)。これで安心して食事をして、仕事ができます。

7:30 ホテルの食堂で朝食
 昨日と全く同じメニューですが、満足しました。オレンジジュースを小さなコップに3杯、パンをチーズとバターで4枚、大きな桃を2つ、ミルクを1/2入れたコーヒー(ネスカフェ)を頂きました。それから、2杯めのコーヒーを部屋へ持ち込み、自然界と生物界の違いを発見しました。それから、昨夜からギリシャ語の勉強も始めました。日本でも勉強しようと思っていたのですが、現地に来ないとダメです。実際に役に立たないものは勉強しても仕方ありません。中学生は勉強を役に立たないと思っていますが(私もそうでしたが)、今ではとても役に立つことを知っています。

11:00 チェックアウト
 フロントの男性にギリシャ語の「ありがとう」を聞きました。エフファリストーと言います。発音は、F・ふぁR・リスト、って感じです。初めの「エフ」は唇を噛んで、次の「ファ」は舌を上顎に巻き込んで、最後の「リスト」は普通に言います。アクセントは「ファ」にあります。これだけ、教えてもらってから、「エフファリストー(ありがとう)。ヤーサス(さようなら)」と言って別れました。ギリシャに来た気分になりました!

11:20 バスチケット売り場
 ホテルを出てから真っすぐチケット売り場へ向い、14:00発アテネ行きの切符を購入しました。ラミアまで27.8ユーロ、座席は14番です。一昨日に乗車したカストリアまでのバスは、チケットを出発直前に購入したので座席番号がありませんでした。

右:長距離バス切符売り場
 1階に青い文字の看板がある、ピンク色の建物です。しかし、英語もイラストもないので、私はこの建物を両替所と勘違いしていました。わずか100mの範囲を10分以上さまよいました。
 バス乗り場は『私が撮影している場所』です。ただし、一般車だけが駐車していることが多いので、通り過ごすことが多いと思います。

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12:40 昼食
 バス乗り場のすぐ近くの食堂(タルナベ)で食べました。米のような形をしたパスタ、手羽先、オクラの3つを選びました。パンと水は無料で、合計6ユーロでした。パスタとオクラはゆで過ぎ煮込み過ぎでしたが、手羽先は美味しかったです。
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上:私が昼食を食べた食堂
 バスの切符売り場から20mの距離です。

 それから、近くのバーでパソコン用の電源を借りようとしましたが、5、6軒探してもありません。あきらめてバスの待合室に戻ったら、絶対に電気が通じていなさそうなところに電気が来ていました。バスの無料待合所は、クーラーも無料トイレもある極楽でした。

14:00 カストリア発
 10分前から乗車が始まり、予定時間に出発しました。私の席は前から4列目の左側、太陽が当たらない素敵な座席です。
 バスの中ではギリシャ語の勉強をしました。24個のアルファベットを覚えるだけでふーふー言っていますが、街の看板を見たり、道路の標識を読んだりして、少しずつ読めるようになってきました。とくに、ギリシャ語と英語が併記してある道路標識は勉強になります。英語に対する認識も変わってきました。ギリシャ語は西欧の言語を産んだ言語です。
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上:バス車内


上:カストリアさようなら!

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上:16:30のコーラブレイク

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上:ラミアへ分岐する国道一号線

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上2枚:ちょっと大きめの太陽発電

19:10 ラミア市内まで3kmの大型レストラン
 ラミア市内まで3kmの表示が出たところで、バスが停まりました。大型レストランの前です。ここで15分間の休息を取るそうです。運転手に声をかけると、「ラミアならここで終点だよ。こらからデルフィに行きたいならタクシーしかないけれど、どうしたい? タクシーなら呼んであげるけれど料金は高いよ。デルフィに1泊するならタクシーで市内にいかないといけない」ということで、レストランの従業員にタクシー会社の番号を聞いて電話をかけ始めましたが、タクシーならすぐそこにいることを知っていたので、私は彼を外に引っぱりました。それで、そこにいるタクシーに乗りました。2人の男性と相乗りし、メーターも動いていたので安心していましたが、最終的に僅か1.5kmで4.5ユーロも盗られました。メーターは夜間料金を示す『2』だったので降りる時に粘りましたが、押し切られました。荷物の料金も払え、と言い出す始末でしたから、、、実際、要求された金額が小さいので私のテンションも低かったのです。これでラミアの印象は一気に下がりました。

19:30 ラミアの長距離バスターミナル
 タクシーから降りた長距離バスターミナルは市街から離れているようです。近くには何もありません。それはそれで仕方ありませんが、困ったことに、デルフィ行きのバスは「明日10:40までない」と言います。私はここに宿泊したくないので、デルフィへ行く途中の街までのバスを尋ねましたが、同じバスしかないようです。そこで、市内まで歩くことになりました。もうタクシーには乗りたくありません。先ほど乗った距離よりもたくさん歩くことになりそうですが、ラミアの印象をこれ以上下げたくありませんでした。さて、バスターミナルの外で1人の若い男性に会いました。2ヶ月間旅行をしているイタリア人のアレックスです。彼は、バイオテクノロジーを利用した工学系の22歳の学生で、20kgを越える荷物を背負って先ほどのジャンクションから歩いてきたそうです。実際、10分ほどで歩ける距離です。私たちは一緒に市街へ向い、ホテルを探すことにしました。


上:ラミアの長距離バスターミナル

 市街までの道のりは2km近くあったかも知れませんが、楽しく歩きました。街の人も親切に道を教えてくれました。この街に限りませんが、日本で仕事をしたギリシャ人は、日本をとても好意的に思っています。私が日本人であることが分かると、片言の日本語を話し、日本での仕事について話します。私はいつも最後まで話を聞くようにしているので、アレックスは困惑していました。2年間、東京にある自動車会社『スズキ』で働いていた老人は、私たちを500mも案内してくれました。言葉はほとんど通じませんでしたが、とても懐かしそうに話をしていました。


上:街で見かけたテコンドー


上:ラミアの街

20:10 ホテル THERMOPYEES にチェックイン
 初めに訊ねたホテルは60ユーロでした。料金が高過ぎるので、そこで安いホテルを紹介してもらいました。次のホテルは40ユーロでしたが、ツインルームを35ユーロにしてみらいました。ベッドのスプリングがぼわんぼわんしていますが、シャワー、トイレ、エアコン、テラス付きです。アレックスと一緒なので自由は利きませんが、今回の旅で2番めに安い部屋になりました(17.5ユーロ)。


上:アレックスと私の部屋
 手前はアレックスの荷物が置かれたベッド、奥は私のベッド

 私は、汗だくになっているアレックスにシャワーを譲り、カメラを持って市内散策へ出かけました。人通りのある方向へ歩き始めると、数人のアジア系の顔を見つけました。ここに住んでいるようです。黒人にも何度か出会いました。この街は他と違う雰囲気をもっています。いろいろな国からたくさんの人が集まるので忙しい街なので、先ほどのタクシー運転手のように悪い心を持った人が生まれるのかも知れません。

 30分歩く予定でしたが、少し早く宿へ戻りました。

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左上:通りの右にある看板『ホテル THERMOPYEES』


上:街の中心と思われる場所にある教会
 この時間21:00は閉まっていましたが、午後11時は開いていました。深夜から開く不思議な教会でした。

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上:ラミアの街

22:00 夕食
 アレックスと一緒に街へ繰り出し、地元の若い女の子に声をかけて安くて美味しいレストランを紹介してもらいました。彼は「いっしょに食事をしないか」と言い出すので、あららあ、と思っていましたが、彼女の後ろには彼氏のような男が2人椅子に座っていました。若い男の子にはよくある話なのでしょう。レストランは天井が高くガラスを多用した明るい店でした。並んでいる料理を見ていると、英語をよく話す若いウェイターが声をかけてくれました。私たちはテーブルに付いて食事を待ちました。彼はコーラ、私はビール『アムステル』で乾杯しました。料理はおいしかったです。女の子のお勧めは間違っていませんでした。アレックスはよく話しました。内容は女の子についてです。全てのイタリア人がそうではない、と彼は言いましたが、女の子と仲良くなる本を読み、実践し、新しい方法を研究していました。あまり熱心なので、何かを購入しなければならないかと心配になるほどです。私は聞き役に徹しました。24時を回りそうになったので、私は彼の話を切りました。彼は残念そうでしたが、私は自分の体験談で彼を喜ばせるほど若くありませんし、彼の話は信仰に近いものでした。


上:本日の夕食

love system's
ROUTINES MAMUAL
in association with seduction 101

翌0:35 彼はまだ話をしていますが、大変なことです。先ほどレストランで紹介してくれた本を持ち出し、ベッドに腰掛けている私の隣に座り、ページをめくっては解説をしてくれます。彼のルーティーンによれば、私をいきなり襲うことはないでしょう。少しずつ近づき、私の反応をみて対応を決めることになっていますから。いずれにしても、私は早く寝たいと思っています。


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