このページは、レンタカーで周遊するアイルランド、UK 2012 です。

4日目:ウィンブリーで『なでしこジャパン決勝戦』応援

8月9日(木) ・テート・モダン(現代美術館)見学
・国立ポートレートギャラリー見学
・ウィンブリーで『なでしこジャパン決勝戦』応援
ロンドン泊 4

6:20 起床
 オリンピックチケットが入手できないことを知り、ロンドンは急速に魅力を失いました。残された私の興味は美術館ですが、常設展は9年前と大差ないでしょう。企画展は学芸員の力量で決まりますが、ロンドンの特性を活かしたものであることを期待しています。

7:30 宿の朝食
 ゆで卵が付きました! ビックリするほど美味しかったです。タンパク質って美味しいなあ、と心から思いました。

上:ステーション・ホテルの朝食(コーヒー好きの私ですが、とうとう紅茶を注文しました)

9:00 テート・モダン(現代美術館)
 10:00開館1時間前についたので、南東にある芝生で朝寝しました。ホテルより100倍清々しかったです。


上:昼過ぎの美術館前の芝生(私が朝寝している時は浮浪者?1人だけでした)

 テートモダンは入場無料で作品撮影可能。しかし、私はあまり撮影しませんでした。


上:マーク・ロスコと記念撮影

 彼の大きな作品は『作品をおく空間』と『鑑賞するための時間』の2つを要求します。それは特別な時空間だけで生存できる生き物です。ただし、9年前の感動が消えていたことに驚きました。あと何年私の中で生き残ることができるのか、不安に思いました。


上:かなり良い影絵作品(インドネシアの作家だったかなあ。伝説にもとづいた立派な作品でした)


上:ベーコンの作品とそれを見学する人

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12:30 テート・モダンのカフェで昼食
 エスプレッソ・ダブル(£2.15)を注文し、鞄の中のクロワッサンとチョコパンを取り出して食べました。クロワッサンはとても美味しかったです。エスプレッソの香りは良いのですが、酸味が強すぎます。いつも飲んでいるブルーマウンテンを基準にしている私がいけないのですが、とにかく美味しいコーヒーに飢えています。


上:最上階にあるカフェ


上:エスカレーター


上:本屋


上:エントランス

 それから、国立ポートレート・ギャラリーに移動しました。


上:テート美術館の隣にあるバンクサイド・ギャラリー(展示作品は売り絵です)


上:テムズ川を見る人(画面奥にある橋を渡った右にテート美術館がある)

13:30 国立ポートレート・ギャラリー
 入場無料ですが、作品の撮影はできません。£1で手荷物を預け、最上階の第1室から散策を始めました。ここは9年前に一番感動した美術館でしたが、収穫は・・・。私自身のポートレイトや絵画に関する感覚が成長したのなら良いですが、興味そのものを失ってしまったのではないか、と心配になりました。もしそうだとするなら、退職後の進路を大きく変更する必要があります。


上:国立ポートレートギャラリー

 ギャラリーでの最大の収穫は「誰でも最も輝く時空間がある」ということです。スポーツ選手ならスポーツに関する時が多くなると思いますが、練習している時、運動している時、勝利した時、涙した時、讃えあう時、感謝する時などいろいろです。自分が最も輝ける場所で努力すること=人として生きること、であることを発見しました。自分は何かな?

 2012年ロンドンオリンピックへの道、という無料の企画展がありました。美しい写真が飾らていましたが、あまり感動しませんでした。その原因の1つは、デジタルカメラの普及で簡単に撮影できる時代になり、感性豊かな人なら誰でも魅力的な写真を撮れるようになったことがあります。テーマを決めて作り込むことが要求される時代です。オリンピックだけでは満足できません。

 また、有料の企画展もありましたが、時間を失ったので見学しませんでした。


上:国立ポートレート・ギャラリーの近くで似顔絵

 以前もここで似顔絵を描いている人がいたことを思い出しました。君もどう? と声を掛けられましたが、私の特徴的な髭のあるアジアな顔はかなり描きやすいと思います。無料なら描かせてあげても良いよ。

15:50 二度めの昼食
 遅い2度めの昼食のつもりでしたが、結果としてこれが夕食でした。


上:どこかの小さな店でお食事(カフェラテが旨い)

16:30 3時間前にウィンブリースタジアムに到着
 開始時間を違え、キックオフ3時間前に到着しました。人は少なくても盛り上がり度は十分でした。


上:鉄道駅から見たウィンブリースタジアム

 時間に余裕があったので、スタジアム近くにあるスポーツ用品店でテーピングを探しました。足の指が慣れない靴に当っていたのです。店内を2周しましたが、オリンピック関連グッズに占領されていたからでしょう。利益率の小さい小物はありませんでした。それから、すぐ隣にあるショッピングセンターでスポーツドリンクとコカコーラを買いました。


上:応援グッズを売る人(どのような許可を持っているのかな?)


上:ぞくぞくと人々が集まってきました


上:警察官も移動してきました


上:日本人サポーターを撮影しようとしたら、テレビ局?の綺麗な女性が現れました


上:アメリカサポーターの記念撮影

18:30  スタジアムに入場
 スタジアムの入場ゲートは、チケットのランクで分けられていました。私のゲートは比較的良いランクなのでしょう。人が少なく、丁寧な応対でした。スポーツドリンクとコカ・コーラを没収されましたが、身体・持ち物検査をする人はとても丁寧で、私を気持ち良くさせくれました。没収されてもスタジアム内に飲み物や食べ物を買う場所がありますよ、と教えてくれたり、とても穏やかで心優しい人でした。

 スタジアムの観客はまばらなので、レストランのソファーでテレビを見ながらぼさぼさしました。私のような客は周りにぱらぱらいます。面白いことに客の90%は日本人で、大半の男性はビールを飲んでいます。私は珍しく飲んでいませんが、時間の潰し方は同じです。同じ教育を受けた民族だ! と感じました。教育って凄くて怖い、がんばれニッポン! 


上:ピッチに水をまいている様子(キックオフ1時間前)


上:西日が当る観客席(30分前)


上:国歌斉唱時のマミヤ選手

 国の象徴である国歌が唱われる現場にいると、それぞれの国の歴史や問題点をまざまざと感じます。世界の多くの国は時代に応じた国歌をつくり、国民は胸を張って誇らしげに唱います。しかし、日本は国歌を唱わなかったという理由で辞職させられたり自殺に追いやられたりします。不幸な国民であると言わざるを得ません。これを打開するために法律で罰することは新たな犠牲者を生むだけです。新しい国歌をつくり、法律で定めることが日本国民の責務です。

 現在の国歌は『君が代』ですが、君が代の意味は『天皇の時代』、その歌詞は『天皇の時代は永遠にあれ!』です。この歌は日本国民を戦争へ導くために使われた過去があります。常識的に考えれば、一刻もはやく憲法前文に則した新しい国歌、平和を希求する歌をつくるべきです。人々が仕事や生命を失う原因になるような歌は、間違ったことをしようとする人々の道具に過ぎません。ここで私の打開策を紹介します。一文字変更して、『民が代』はどうでしょう。『国民の時代は永遠にあれ!』 私は心の中で『民が代』を唱うようにしています。賛同される方は是非どうぞ! この私のアイデアを直接天皇にも聞いてみたいです。きっと喜んで頂けると思います。


上:日米両選手の握手


上:日本の先発メンバーが円陣を組んで


上:各ポジションへ移動して

19:45 なでしこジャパンのキックオフ

上:レフリーのホィッスルで試合開始!

 オリンピックを生で初めて観て、テレビと違うことを肌で感じました。雰囲気は最高。なでしこがゴールを決めたときは、周囲の見知らぬ人とハイタッチを交わしましたが、プレーの詳細がわかりません。ゴールしたのか外したのか分からないほどです。ここでの仕事は応援、選手と一緒に闘うことです。声援は選手にとって重要で、自分の名前が連呼されたり、良いプレーに拍手されたりすればいつも以上の力が発揮できます。とくに印象的だった応援は、アメリカのゴールキーパーのファインセーブに「レッツゴー・ソロ!」が連呼され、彼女が振り向いたときです。アメリカ応援団に負けた、と思った瞬間でした。選手を振り向かせる応援がしたいですね。サッカーで応援団をサポーターという意味がようやく分かりました。


上:63分、アメリカ2点、日本1点


上:入場者数8万203人の場内アナウンスに、どよめき


上:後半ロスタイム4分の掲示板の後ろで、腕組みをして立つ佐々木監督


上:日本1点、アメリカ2点のまま終了のホイッスル


上:喜ぶアメリカサポーター


上:星条旗を誇らしげにあげる選手達(おめでとうございます!)


上:表彰式に出てきた日本人選手達

 楽しかったけれど、ナデシコは負けてしまったけれど、表彰式で彼女達は1番はしゃいでいました。とても良いことです。悔しがることも大切だけど、全力を尽くした自分自身でほめることはもっと大切です。また全力を尽せば良いのです。競技は勝つことが目的ですが、最大のライバルは自分の中にあります。


上:準優勝のなでしこは表彰台の1番奥に上がりました

 ナデシコがメダルをもらったところで席を立ちました。その後、握手の交換をしたり、サポーターに応えるためスタジアムを1周したと思いますが、思ったより距離があるのでさよならしました。

 地下鉄は全く混雑している様子もなく、待ち時間1分で乗車できました。40分後にはビクトリア駅に到着していたと思います。

23:00 レンタカー屋を探す
 ビクトリア駅で降りてから、翌朝9時に予約してあるレンタルカー屋を探しました。ネットで『ビクトリア・コーチ・ステーション(住所ロンドン200A)』で検索したのですが、名前が出てこなかったからです。迷わなければ15分の散歩ですが、近く商店や駅員い聞いてもはっきりした情報がありませんでした。メジャーではないようです。結局、バスターミナルとは別の建物で、(到着駅ではない)出発駅の北西角を100mほど歩いたところにありました。その看板と営業時間を確認して、本日のノルマ完了です。

23:40 ハーフパインのビールを頂く
 1人で宿の正面にあるパブへ行き、ビールを頂きました。アルコール度数が低いビールは、柔らかく体にも財布にも優しかったです。

翌0:15 メガホンで追い出される
 パブは24時閉店です。大半の客は自主的に店を出ていきましたが、残った客は酔っ払いです。簡単には帰りません。そこで店員が取り出したのはメガホン。ピー、ピーッ、とサイレンを鳴らして歩き回り、店内の雰囲気を悪くします。そして、「シーユー」と叫びます。私はこれがとても気に入りました。はっきりしているのは良いことです。また行きたいお店です。

→ 5日目:ドーセットと東デヴォンの海岸

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