クロッキー F 美術館

第5章 クロッキー心理学
クロッキー心理学とは

1 クロッキー心理学の定義
 クロッキー心理学は私の造語で、クロッキー時の作家とモデルの心の動き、および、その結果としてのクロッキー作品を体系的にまとめたものです。

図1(右図):鏡に写る作家とモデルを描いたクロッキー。モデルは私の肩の上に肘を載せたポーズを決めている。
F美術館コレクション vol.2009 July 20から)

図2(左図):同上。モデルの肩ごしに私の顔だけが見える。
同上 vol.2008 dec 27から)

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2 体系的にまとめる方法
 
クロッキーという作品を鍵にして、主観的な作家とモデルの心の動きを客観的に分析、統合します。問題点については、適切な方法による実験的なクロッキーを行い、解決を目指します。そして、クロッキーという特別な時空間における、心の動きの規則や法則を見つけます。クロッキー前後の心についても同様です。作家とモデルの人数は1対1、1対複数、複数対1、複数対複数の4通りつに分けて考察してから、総合的にまとめます。

3 作品を評価する上での問題点
 一般化する上で問題になるのは、作品の評価です。なぜなら、心で感じる作品の絶対評価基準をつくることは、とても困難だからです。しかし、大きな力、美的エネルギーを持つものや作品が存在することは事実です。例えば、日本人の大多数が高く評価する桜は、他の国に人々にも大きな感銘を与えます。江戸時代の庶民に愛好された浮世絵は、明治時代に低い評価を受け海外へ流出しましたが、西欧で高い評価を得ています。このように、主観に頼らざるをえない評価は、地域と時代の幅を大きくすることで人類レベルという大きな範囲での基準をつくることができます。

図3(右図):八重桜
(TAKA美術館(写真)
『心酔』-八重桜2-から)

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4 人物クロッキーの特殊性
 人物クロッキーは日常、および、一般的な絵画活動と一線を画した人類特有の文化的行為です。第1に、作家は衣服を着ていますが、モデルは裸です。第2に、クロッキーは作家とモデルを切り離して考えることができません。クロッキー作品は、作家とモデルの関係が大きく反映するからです。これはモデルを長時間固定し、モデルを無表情化することで普遍性を得ようする油絵や彫刻の制作態度と大きく異なります。
→ 関連ページ『そもそもヌードとは何か

5 自分が生きた証あかしを残す
 人類の本能の1つに、自分が生きた証を残したい、ということがあります。トイレの落書きから人類の歴史を左右する英雄の活躍まで、あるヒトが自分が生きた痕跡を残そうとする方法は様々ですが、何かを残したいと願いは自然な欲望です。それは、自分のDNAをもった子孫を残したいという本能の延長線上として考えられます。クロッキー作品は作家とモデルが生きた証です。私がとくに注目したいのは作家ではなく、モデルが自分の姿を描いて欲しいと願う心の動きです。それは意識的であろうとなかろうと、生きている自分を作家に描かせたいという心の願いです。

図3(右図):6000年前のブッシュマンが描いた動物画。私は自分がここに来て、私が撮影したという痕跡を残したいと思い、写真の中に自分の手の影を入れました。ブッシュマンも同じように、自分が生きていたことを残すために、自分の足型を刻んだのでしょう。2つある足型は、明らかに違う人のものです。ナミビアのTwyfelfonteinにて。
(旅行記『アフリカ南部2002年
私の日記8月7日から)

参 考
スペイン北部のアルタミラ洞窟壁画は10000年前
日本の鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)は約700年前

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6 クロッキーの臨床的側面
 長年クロッキーをして気づくことの1つは、クロッキーに心を穏やかにさせたり安定させたりする効果があることです。日常から隔絶したクロッキーは、作家とモデルの両者にとって、精神を安定させたり不調を改善させたりする効果があります。これはクロッキー経験のない人は全く理解できないと思いますが、1度でも体験すればその可能性を十分に感じるはずです。ただし、これを証明したり効果を高める方法を一般化したりするためには、数多くの作家やモデルについて調べる必要があります。現在の私はいくつかの仮説を立てながら、地道にデータを蓄積している段階です。

 なお、臨床というは言葉は、医学・心理学・教育学などで『現場』という意味で使われますが、クロッキーは現場の雰囲気に強く左右されるので、将来『臨床クロッキー』という造語も使われるようになるでしょう。

2010年4月21日公開

2010年4月日公開

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