クロッキー F 美術館

第4章 Fのクロッキー技法
遊びとしてのクロッキー

1 地面に線を描く子ども
 学校の運動場に行儀良く座り、先生の話を聴かされている子どもを観察してみましょう。話がつまらくなると、ごく自然に落書きを始めます。「どんな線がひけるかな」という程度のことですが、退屈した心を慰めるのに十分な活動です。自分の手の動きによって線が書けることは、十分な満足が得られる行為です。

2 口紅で壁に線を描く
 私は幼稚園の時、母の化粧箱から赤い口紅を見つけ、壁にずーっと長い線を描き続けた記憶があります。真っ白な壁に赤い線が生まれていく感覚は衝撃でしたが、私は軽く壁面に接するロウの「ぬるっ」とした感覚に取りつかれ、半分以上使ってしまいました。私はティッシュで拭き取ろうとしましたが、かえって汚を広げてしまったようです。両親からひどく怒られた記憶はありませんが、悪いことをしてしまったという反省と共に私の記憶に深く焼き付いています。

3 自分の痕跡を残す
 のような消極的、のような積極的、いずれの動機でも、自分の痕跡を残すことは楽しく面白いことです。ただ描きたいから描く。手を動かし、動かした通りできる痕跡を楽しむ。描くという行為は、動機と行為が直結した、遊びを心をもった人類にとって、本能レベルの遊びといえるでしょう。

右図:墨で画面を汚してから描いたもの
 これまでの方法を踏襲している部分があって、それは自分の指に墨をつけて直接画面を汚す手法だ。ばたばたした指を動かした触感が画面に残り、紙を通して、あるいは紙の下の台紙まで墨が到着していくけれど、そうしたつまらないことが楽しい。楽しいのだから、それはそれで仕方がない。飽きるまでやるしかない。
 (
クロッキーF美術館コレクション vol.2006 b 1noteから抜粋)

4 原始的な歓びを表現する
 モデルを描くのではなく、モデルを目の前にして描くことができる歓び、それを表現することが、私にとって最重要項目の1つです。私は、このレベルで楽しくなければ本物のクロッキーではない、と思います。そして、描くことを職業としている人の多くは、自分の行為が画面に定着することが楽しくて仕方ないことを肌を感じているのではないか、と思います。その歓びを忘れた作家は、筆を降ろすか、社会的地位を得る歓びへ方向転換することが多いようです。

5 遊びは自然に発展する
 同じことを繰り返して飽きると、新しい遊びが自然に生まれます。遊びとしての技法は、未知のものを探究したいという欲望から生まれます。無理に作るのではなく、「あれがしたい、これがしたい」「あんな風に見てみたい、あれを使ってみたい」というように、作家自身の内部から湧き出てくるものです。発展させようとする必要は一切ありません。サザンオールスターズのように、青春時代を大テーマにして、その中で自分と社会を歓ばせ続けることができるアーティストもいます。

6 遊びの特性、遊ぶ方法
 遊びの特性として、思いつき、偶然、飛躍、無意識、自由奔放、挑戦、自分勝手、一体感、物真似、学習、インスピレーョン、想像、空想、創造、などがあります。これらは、遊びがあるクロッキーを描くための方法です。あなたのクロッキーや人生に遊びが欲しいとき、どうぞお使い下さい。これらには「将来のために我慢する」などといった打算的、禁欲的なものはありません。脳の活動(アイデア)と行動が一致したものです。現代美術作家トゥオンブリは、このレベルを高度に計算し、たくさんの作品を発表し続けています。もちろん、彼は社会的に成功するための方法も高度に計算し、成功させています。この2つは別の行為ですが、両立させることは重要です。

7 具体的な形を描く、という遊び
 単純な線で楽しんでいた子どもは、やがて何か具体的な形を描きたくなります。その形は自分の記憶の中にあるものであったり、目の前にあるものであったり様々ですが、「自分が描きたい」と思ったものでなければいけません。上手い下手ではなく、自分が描きたいという欲望だけに引きずられて描くことが必要です。この発達段階はとても重要です。このレベルで十分に満足できるなら、私はそれで十分だと思います。誰かに見せようと思わないレベルです。

8 参考ページ
 ・ 神に描いてもらう
 ・ 超至近距離から描く
 ・ 誰もが認めるモデルの形

2010年3月22日公開

↑ TOP


Copyright(c) 2010 All rights reserved.