このページは、Mr. takaによる若手教師のためのワンポイント・レッスンです。 |
第9章 評価は不要物?
6 敬愛される先生の評価─人が人を敬愛し敬愛され、教育しあい、評価されあう─
1 教育の最終目的としての敬愛
人が人を尊敬したり、愛したりすることは、とても大切なことです。したがって、「他人を敬愛できる子どもを育てる」ことは教育の最終目的の1つです。敬愛という言葉は、教育基本法の第ニ条の三にもあります。
参考資料:教育基本法(平成十八年十二月二十二日法律第百二十号)から抜粋
第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛※と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。※筆者が赤字にした
2 敬愛される先生
人を敬愛できる子どもを育てるためには、先生は敬愛されるだけでなく、子どもや他人を敬愛できなければいけません。もし、あなたが「敬愛」を知らないなら、今からでも遅くありません。別ページ『先生を尊敬しよう』を参考にして少しずつ学習して下さい。敬愛という心情を土台としない評価は単なるコンピュータの作業に過ぎず、あなたの人間性は必要ありません。誰が付けても同じ評価を目ざすなら、あなたという人間は必要ありません。3 言葉では表現できない評価
1人の子どもを丸ごと評価するなら、信頼、安心、愛情のように、言葉や数字では表せない部分を抜きにすることはできません。むしろ数字に置き換えることができる部分は、ほとんどありません。例えば、男女に限らずクラスメイトから信頼されている子ども、近くにいるだけで安心できる子ども、何もできないのに優しくしてあげたくなる赤ちゃんは、高い評価をもらうべきですが、単純に数値化できません。
もし、これを数値化できるというなら、あなたの周りにいる人々があなたに抱く愛情も数値化できるはずです。あなたは恋や職場の悩みとは無縁の人であり、人間関係で悩む人はあなたが示した数値によって納得して帰ることでしょう。
私が言いたいのは、このような言葉にしにくい核心に迫るものでも、みんなが納得すれば評価できるということです。言葉にならない心の働きについても、みんなが納得し、公平を感じる評価をつければ良いのです。4 敬愛される先生 = 評価基準
その評価の基準は、誰からも敬愛されている先生自身です。尊敬され愛されている先生なら「どんな評価をしても許される」のですが、敬愛され続けるためには全ての人の意見を聴き、弛まぬ努力をしなければなりません。最近は、一般社会からの教員の評価が下がってきているので頑張りましょう。教員の価値=子どもの価値であることを忘れず、人間不在の社会や教育にならないよう、努力しましょう。そのために行なうことは、授業の研究です。
→ 関連ページ『授業ができば一人前』5 優れた教師の直感による評価
優れた教師は、子どもから敬愛されているだけでなく、自らの授業を毎回、公平に評価できます。1時間の授業は評価、つまり、反省と修正の連続です。よく経験を積み、よく子どもの活動を観察できる教師は、1人の子どもが発言したり活動したりする瞬間ごとに、学級全体と見渡して微調整を行ないます。子どもの自由度が高い生きた授業は、先生1人の計画通りに進んだり終わったりしないのです。
このような授業をくり返している先生は、数カ月もすると、一瞬のうちに子どもの評価をつけることができます。注意深く観察し、周りの子どもとの相対的な比較と分析をくり返し、決断・判断する授業を続けてきたからです。そんな先生の評価は、クラスメイト全員の評価と一致しています。2008年6月22日
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