このページは『Mr. takaによる、若手教師のためのワンポイント・レッスン』です。 |
第6.2章 アドバイス、説教と懲戒
6 大声で説教してはいけません
1 説教とは何か
説教とは、先生が生徒に『ある教え』を一方的に説くことです。最終的に「@@すべきだ」「@@してはいけない」のように、考え方や行動について命令することです。その内容は、次の3つに分けられます。
(1) 幼稚園卒業までに身につける躾(しつけ)
(2) 小学校卒業までに修得すべき『人間関係の常識』
(3) あなたの中学校にある校則2 幼稚園レベルの躾、小学校レベルの『人間関係』
小学校卒業までに習得すべき『人間関係の常識』は、生徒の内側から出てくるものです。生徒自身が、自ら経験して学ぶことです。しかし、人間関係ができていない生徒、間違った経験をしてきた生徒には、親や友達に代わって説教する必要があります。別ページ『叱る、という手法』を参考にして問答無用で言い切ってください。理由は一切言う必要はありません。説教といより、単純な命令です。幼稚園教育要領では、次のように記述されています。
幼稚園教育要領
第2章ねらい及び内容
人間関係
他の人々と親しみ、支え合って生活するために、自立心を育て、人とかかわる力を養う。
3 内容の取扱い
(4) 道徳性の芽生えを培うに当たっては、基本的な生活習慣の形成を図るとともに、幼児が他の幼児とのかかわりの中で他人の存在に気付き、相手を尊重する気持ちをもって行動できるようにし、また、自然や身近な動植物に親しむことなどを通して豊かな心情が育つようにすること。特に、人に対する信頼感や思いやりの気持ちは、葛藤やつまずきをも体験し、それらを乗り越えることにより次第に芽生えてくることに配慮すること。3 学校社会の常識(ルール)を教え説く
中学校の先生が説教する内容は、あなたの中学校の校則です。それは、何人も犯すことができない、あなたの学校社会における『常識』です。例えば、「他学年の廊下へは立ち入らない」「他のクラスには入らない」「始業のチャイムが鳴るまでに着席し、授業の道具を机上に準備する」などです。これは、生徒の意見や考えを代表するものであり、生徒と先生が一緒になって合意した学校社会のルールです。先生は、必要に応じて具体的な例を出し、「なるほど」と思わせてください。先生は、真面目に頑張ろうとする生徒達の代弁者です。4 説教するときは、言い切ること
「これは、こうこうこうである」と言い切ることは重要です。その内容の是非はともかく、それに基づいて、生徒は自分の考えを述べたり、構築したりすることができるからです。まず、先生が一方的に言い切ってください。生徒は納得すれば、それにしたがいます。納得できなければ、反論するでしょう。反論する生徒の中には、学校社会を超えた一般社会の常識を持っている生徒がいます。そのような生徒の声には、素直に耳を傾けましょう。もしかしたら、先生が率先して校則を変更すべき内容かもしれません。5 先生の教えに対して反論する生徒
先生に反論する生徒の大部分は、自分勝手な欲望を正当化するために、校則の存在理由を求めます。これは悪者が法を求めることと同じです。人間らしく自分の良心にしたがって生きている人々にとって、理由や法や校則は必要ありません。さて、理由を求められて困った場合、最善の策は「理由を求める理由」を求めることです。質問には質問で応えます。「なぜ、質問するのか!」それだけです。それでも困った場合は、さらなる理由を尋ねて下さい。彼らの最終目的は、とても自分勝手なもので、他人の迷惑を顧みないものでしょう。最終的に、「そんなこと知らんわ!」とはき捨て、逃げ去るのが落ちです。彼らは、自分が自己中心的な人間であることを薄々感じているので、ずばっと言われることを怖れています。あまり怖がらせると、逆切れするので、さじ加減を上手にしましょう。6 反省している生徒に対して、説教は必要ない
自分で悪いことをしたと感じている生徒に対して、説教する必要はありません。ごく簡単に確認するだけで十分です。追い討ちをかけるようなことはしないでください。加害者が被害者より傷ついている可能性もあります。自分の良心と葛藤しなければいけない、苦しい環境で生活している生徒かもしれません。寛容な心で、生徒の気持を聞いてあげましょう。7 洗脳するための説教、大声
大人の考えを押しつけたり、先生の威厳を保つための説教は有害です。ある生徒を呼び出して個別指導するのは、教師の指導力不足を生徒のせいにして、洗脳しているようなものです。長々と同じ説教をする先生は、まるで酔っ払いのようです。説教をしている自分に酔い、説教を聞かない生徒を怒鳴る。まるで、手に負えない『大虎(おおとら)』です。大声で説教することはあり得ません。説教は、心にしみ入るように静かに説き教えるものです。
→関連ページ『先生につきあってくれる生徒』8 大人の大声に慣れてしまった生徒
以前は、大声で叱ることは、教師が本気で怒っていることを示すために有効でしたが、2011年現在は違うようです。体罰が禁止されてから久しくなり、教師は大声で指導するようになりました。しかし、生徒は大声に慣れ、「うっとうしいなあ」「いつまで大声でやっとるんだ」と感じるようになりました。教師は一方的に説教し続け、生徒は台風が通り過ぎるのを待っているように感じます。生徒が薄ら笑いを浮かべ、教師がその態度に対してさらに大声で叫ぶようなら、まさに異常事態です。これは、家庭でも地域社会でも裁判所でも同じようなことが起こっています。この感覚はつい最近のことで、4、5年前(2007年頃)は大声にある程度の力があったように思います。
→関連ページ『馬の耳を持つ生徒』9 私は説教が嫌いです
私は説教が嫌いです。説教することも、されることも大嫌いです。私は、自分で体験したり経験したことを信じ、そこで得たルールと自分の良心にしたがって行動します。尊敬する人が教えてくれたことは、「そうかなあ」と思いますが、自分で確かめたり、様々な視点から自分で考察しなければ、自分の内側から生まれ出なければ本物ではない、と考えているからです。私は自分を信じています。全ての人が自分自身を信じるようになれば、他人を説教することはなくなるでしょう。もしかしたら、教育もなくなったりして、、、そして、私は失業し、自由になります! それが私の理想の人間社会です。2011年1月15日
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