このページは、学級通信2年D組『枇杷林檎びわりんご』です。 |
枇杷林檎 179号 2001年2月1日(木)
話の玉手箱5 鬼
もうすぐ節分である。今でも豆をまいて鬼を追い払い、福を招き入れる風習を行っている家庭も多いだろう。さて、鬼を『広辞苑』で引くと、マイナス・イメージの他に、「非常に勇猛な人」とか「ある事に精魂を傾ける人」というプラス的な内容が載っている。鬼の力強さ、たくましさを自分の身体や心に取り入れて、日常生活に取り入れたいという願いが込められているのではないだろうか。
ちなみに、私は「仕事の鬼」と呼ばれているが、酒を飲むと「虎」になる。
これは31日(水)授業後に書いたものです。
夢 ラ メ
ちがう種類の缶コーヒーを1種類ずつ買って、イッキに飲むのが今の夢ほえっ!? 十六夜
きのう変な夢を見た。なんか知らんけど友達が・・・馬になってしまった。全員!!そして、2Dのみんなはヒツジに、吉岡先生はウサギ。福地先生がラクダになっとったーー。それしか覚えとらん(ビックリしてすぐ起きたので)。それにしても、何だったんでしょう。みんなの前世だったらおもしろいな!。!楽しかったことが多い 松田隆幸
とにかく今日は楽しかったことが多い。少し幸せな気分だ。毎日がこんなに楽しいと楽しさを感じないから、ほどほどがいいと思った。しかし、明日もいいと思うのが人間である。気まぐれ レモン・バーム
昨日、CDプレーヤーでCDを聴こうとしたら、ふつうは何曲入っているか表示されるのに、変なアルファベットのような数字のようなものが出てきた。こうなったらスタートボタンを押しても何とも言わない。何度やりなおしてもCDが聴けない。今までに何度かこうなって、いつのまにか聴けるようになっていた。次はいつ聴けるだろう・・・。おいっっっ! 太郎左エ門
本当ならば今日DAPUMPのベストが発売される予定だった。ぼくはこれを予約していた。昨日、とりに行けばあるはずだったので、僕は取りに行った。すると、「1ケ月後に変更しましたよ。」と言っていた。僕はその時、ふざけんなっ!と思った。きっとモー娘や浜崎、他にもいろいろなアルバムが出た。きっと売り上げが悪くなると思って逃げたんだろ〜〜。ふざけんな!!自分の意志・・・ 考える・・・
私には自分の意志がないと思う。いつも人に流されてばっかで、自分の意志がなくなっちゃう。私にだって「意志」はあるんだから!! でも、自信なくして失っちゃう。やっぱこんな自分が大っ嫌いだ。本トに自分を好きになりたい。心からそう思うよ。受験勉強 福地孝宏(ムダ書き)
受験勉強が無駄だムダだと聞くので、ちょっと書いてみる。そもそも、学校で習うことには無駄が多い。社会に出てから役に立たないものが多い。例えば、助動詞の語形変化(国語)、縄文時代の打製石器が岩宿遺跡から発見されたこと(社会)、分数の割算(数学)、雲の形の分類(理科)、話法における時制の一致(英語)。これらは生活する上において、必要不可欠ではない。
では、逆に必要なことは何だろうか? 新聞に載っている漢字、地図の見方、定期預金の複利計算、地球レベルにおける炭素循環、サンキューの意味、木材の切り方、ご飯の炊き方、ベートーベンの運命、事故における応急処置、印象派の絵画。しかし、これらを知らなくてもよい人には関係ない。
となると、何が必要であるか否かは、その個人によって決まるわけだが、人として生まれてきた以上、他の動物と区別する何かがあるはずだ。その答えのヒントは、人類の歴史にある。我々は、その短い歴史の中で自然を探究し、学問を生み出した。中学生のために国語、社会、数学、理科、英語などがある。世界をみても、ほぼ同様の内容が教えられているが、中学を卒業してより高度な知識を学ぼうとする者には、受験勉強が待っている。しかし、はっきりしておこう。
勉強したくないもは働け!
これは自然からの命令である。生きろ!という命令である。人間でないなら、働くという言葉は適切ではない。ゾウリムシに「働け。勉強しろ。」とは言わえないから(研究を重ねればゾウリムシも働き学習していることが分かるけど)、「食べろ。生きろ。子孫を残せ。」と言うしかない。日本に住むホモ・サピエンス・サピエンスは中学校3年になると、働くか勉強するかを選択しなければならない。それは地球レベルの必然でもある。
さて、私はムダな物が大好きで、無意味なことがしたくてたまらない。
そう! 遊びが好き。仕事なんかしたくないけど、生きるために働く。それは遊ぶため。ムダなことをするためだ。言い換えれば、ムダをするために勉強し働く。ムダな遊びこそ人類に与えられた特権の1つだと思っている。ただし、ムダことは簡単じゃあない。ムダな受験勉強をして、ムダな受験戦争に打ち勝ち、ムダな勉強をし、ムダな研究をし、ムダな学問を追求する者に、最高級のムダの1つが与えられる。それは、人類に与えらた遊びに他ならない。だから、私は「勉強が趣味です。」と言ってはばからない。最後に、隣の席に座っている吉岡先生に尋ねてみた。
「先生、この世で1番無駄なものはなんですか?」
「そりゃあ先生、私ですよ。(手招きつき)」
なるほど、人生で1番の無駄が自分なんだと気づいた時、受験勉強がどうのこうのとかじゃなくて、無駄か無駄じゃないかでなくて、、、(つづく)
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