このページは、学級通信2年D組『枇杷林檎びわりんご』です。

 枇杷林檎 221号      2001年3月19日(月)
 春の到来                 保護者H
 暖かい!!今日はとても気持ちのいい日曜日・・・春になると土いじりがしたくなり、さみしかったベランダのラティスを花の鉢でいっぱいにしました。最近は何と花の種類が多いことでしょう。色も豊富、昔からある花もオシャレな名前に変身している。あれもいいナ、これもいいナと思い、たくさんの花をそろえた。ありきたりと思いつつ、春の花壇の定番のパンジーもやっぱり手にした。鉢いっぱいに季節の花が咲きほこる様子を眺めるときは、つかの間の心のゆとりの時間です。花っていいですね。吉岡先生に負けないくらい私も花が好きです。

                   220号と221号は、17日(土)授業後に書いたものです。
 今 日                   さくらい
 今日、わたなべ先生の卒業式だった。ぼくは、花をわたした。

 3月17日                 横井将人
 今日は、わたなべ先生の卒業式だった。

 2年生、最後の学年集会           福地孝宏
 今日の学年集会は、学校生活2年間の決算だった。D組だけでなく、2年生全体が、生徒1人1人がどこまでできるか行動で示す日だった。私はドキドキしていたけど、「絶対できる。私の期待以上のことをしてくれる。」と信じていた。/ 今日の卒業式のすごいところは、全員が出場・出演したことだ。メインは卒業生の渡辺先生だったけど、1部の人だけでなく、全員が主人公だったことに意義がある。そして、「渡辺先生が大変お世話した人」、つまり、「これまで迷惑をかけていた人」が真面目に真剣に登場した場面では、私もちょっとうるうるきた。/ 式が終わってから職員室に戻る途中、S先生と話した。「あれは渡辺先生だけでなく、生徒が、渡辺先生から卒業する式だったね。」なるほど、あの卒業式は、生徒からの贈り物であると同時に、渡辺先生からの最後の贈り物だった。生徒達は、それを確かに受け取った。例えば、I君が(渡辺先生の)通知表を渡すとき、「先生、何か質問はありますか?」と質問したところ、先生は成績のことではなく、「I君、どうして、制服にカラーがついていないのですか?」と見事に切りかえし、全員が大笑いした。

 スポーツ名言2 おれについてこい
 日紡貝塚のバレーボールチームを率いて東京オリンピックに優勝した大松博文監督1965年の著書の題名である。流行語となり、スポーツ選手間では、「根性」が合言葉になった。また、漫画、アニメなどでは「スポーツ根性もの」(スポ根)なる言葉が生まれた。「成せば成る」の精神で、氏の血のにじむような練習についてこいという意味である。今時はやらないスタイルではあるが、今一度このスタイルで指導してみたい。

 時間よ止まれ               ある男子の母
 枇杷林檎の話がきっかけで、ある女子のお母さんと、友達の一歩が始まりました。そのお母さんとは学校行事でお目にかかった時、あいさつをする程度だったのですが、先日、「お母さんも、おもしろい人なんですね。一度、お茶をしませんか?」とお誘いを受けました。とてもステキな人だったので社交辞令にしておくのはもったいないナって感じで、こちらから連絡をとり、やっと会えました。枇杷林檎の力はすごい!!保護者同士の結びつきも気づかいうちに強くなっているっていうか子どもを通して、家の人の人柄も伝わってくるから、例えお目にかかったことはなくても、昔からの知り合いのように思えてしまいます。ある女子のお母さんとも話がはずみ、アッという間に時間が過ぎ再会の約束をしました。あ〜あ、子ども達だけじゃないです。母達もこのままずっと2Dでいたいよ。吉岡先生や福地先生とずっと一緒にいたいです。修了式までカウントダウンさみしいね。



 私はこうして風邪を撃退した        吉岡二三代
 3月16日(金)の朝、いつもの時間に目は覚めた。が、いつものように起き上がれない。体が重い。できることなら、このまま寝ていたいとさえ思った。学校のことをあれこれ考えていると、それでもやっと起きる気になった。身支度をして学校に着くと不思議に元気になったような気がした。
 
 1時間目の授業は何とかできたが、2時間目は宙にういているような感じだった。保健室で体温を計ってみると38度2分を示していた。私にもこんな高熱を出せるパワーがあったのかと驚いた。4時間めの授業に行くとき、福地先生と階段ですれ違った。「大丈夫ですか。」と声をかけてくださった。「4時間めが終わったら早退します。」と言ってA組の教室へ入った。もうその時は立っていられなかった。その時、「先生、帰って、帰って、僕がやりますから。」と福地先生が来てくださった。先生の機転の早さといい、A組の生徒たちの「先生、気をつけてね。」「お大事にねぇ。」という言葉といい、心の温かさを背に受けながら早退した。

 家に帰って、すぐ床に就いた。この時、ふとんの柔らかさが殊の外ありがたく感じた。夕方になって、体温を計ったら38度5分だった。ここまできたら、いくところまで行け、という感じだった。寝ていても、背中から腰から全身がズキンズキンと脈をうっているように痛んだ。翌朝、目が覚めたの7時30分だった。熱は少し下がって38度になっていた。学校に行けるかどうか起き上がろうとすると、ふらふらする。8時10分、欠席の連絡をした。

 起きたついでに食事をした。食欲はないわけでもなかったが、食べない方が体に負担にならず、治りが早いことを知っていた。きのうの朝から何も食べずにいたので、いつもの3分の1程度だけ食べて寝た。昼になって熱を計ったら37度に下がっていた。痛みも方やお腹や足のつけ根だけに縮小してきた。こうなったら、寝ているのが嫌になる。起きてあれをしようか、これをしようかと考えたが、何事も治り際が大切だから、辛抱して寝ていた。時間の経つのが遅く感じる。

 日曜日になっても37度から下がらない。何が何でも明日は学校に行かなければ、と思い昼から起きてみた。起きていると、今度は鼻水が垂れ落ちてくる。熱を計ったら38度あった。またふとんの中にもぐり込んだ。きょうは日曜日だから心穏やかに寝ていられるけれど、明日はこうはいかない。何が何でも行きたいと思う。

 夕方になっても38度。もう我慢できない。いよいよ最終手段に出ることにした。というのは少々オーバーにだが、大根湯(大根のおろしたもの盃2〜3杯に、しょうが1割、それに、醤油と400ccの番茶を加える)を作って飲んだ。おいしいかったけれど、量が多くてまいってしまう。でも、飲み干した。ふとんを頭からかぶって寝ているとジワジワと出てくる出てくる汗。汗をかいて、いくぶん楽になった。そして、しばらく休息して、今度は足浴(お風呂に椅子を持ち込んで、湯舟に足を入れるだけ)を40分間ほどした。そして、頭の下にキャベツの青菜を何枚か敷いて寝た。

 きょう19日(月)は、すがすがしい目覚めです。みなさん、おはようございます。

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