takaのメモ帳  

2007年 10月
 『善の研究』をですます体で読む 7(日)


2007 10 1(月)
6:15 起床
 昨日は古事記に関するミニ研究を発表できてほっとしている。これは誰かに催促されたものではない、自主的な活動だったけれど、日本に生まれた人として1度は調べてみたいものだった。また、ちょうど2週間で終えたことにも満足している。これから先、少しずつ修正、加筆していこう。

 最近、私のHPを読を訪問して頂いた方から、「漢字が多くてわかりません」「難しすぎます」という感想をもらうことが多い。なるほど、漢字が多いし、内容も手加減なしで書いているから難しいと思う。だけど、これは私自身の公式なメモ書きだから、それで良いと思っている。でも、たまには気楽に読める読み物も書こうかしら。このページを開設した当時、読者に楽しんで頂くことを第1に考えていたことを思い出して。

 1週間ほど前から紅茶を飲むようになった。スプーン山盛り3杯の砂糖を入れ、起きたばかりの口に入れる。とろける甘さは中近東のイスラム圏でもてなされたことを思い出させる。疲れた時の1杯は身体によく効く。コーヒーと同じようにカフェインを大量に含んでいるので胃袋には勧められないが、血管を駆け巡る砂糖分子の動きはとても活発だ。

 ===

 そうだ。とても重大なことを忘れていた。今、ミャンマーで軍事政権が人殺しを行なっている。武器を持たない国民に対して、発砲し、殺し、投獄している。何と恐ろしいことだろう。日本人カメラマンも1人殺された。大変なことになっている。紅茶を飲んで古事記を調べている時間ではないが、関連する新聞記事は毎日欠かさず、まっ先に読んでいる。それに、日本政府の対応の遅さには憤りを感じている。各新聞の第1面に写真入りで『日本人カメラマン死亡』の記事が大きく報じられたとき、日本政府からのコメントはなかった。その後、何10時間情報収集に使ってから、ミャンマー政権に厳密な調査依頼、批難声明、そして、日本政府調査団の派遣を行なったのか詳細は知らないが、とにかく遅い。遅きに失してしまえば、死んでしまったカメラマンの死は無駄になる。1時間という時間の間に、どれだけの命が奪われるのか分かっているのだろうか。本当にミャンマーと親密な関係を結びたいと日本政府が希望しているなら、死に直面しているミャンマー国民の側に立ち、殺人を行なっている政府を非難しなければならない。

 それから、昨日の新聞には、現在の日本の文部科学省が、第2次世界大戦で、日本軍が沖縄県民に対して集団自決用の手榴弾を配付し、自決(自殺)させていたことを教科書から削除するように指導していたことが載っていた。なぜ、歴史を歪めようとするのか。事実は事実として、残さなければならない。どうして権力を使って、消そうとするのか。その理由は、もう一度、同じように国民を集団自決させることだ、と言われても否定できないだろう。私がこのように書く理由は、もう2度と集団自決を政府によって強制されないようにすることである。

20:40 テニス
・八の字を描く流れの中で打つと、ヘッドが自然に下がって自然にスピンがかかる。


2007 10 2(火)
 今日はとても疲労がたまっていた。原因は良くわからない。

20:40 テニス
・大きなボールを使ってキャッチポールをした。身体を捻りながら腰の高さキャッチし、捻りを戻しながらボールを投げた。実際にやると、身体がその感覚を覚えるのでとても有効だった。

・構えるのが遅いと言われ続けていたけれど、その疑問が解けた。僕は、動き出しは速いけれど、軸足を決めるのが遅く、軸足の距離も近い。そして、もっと遅いのは、踏み込む足だ。速すぎるくらいでも、まだ遅いくらいだ。とにかく速すぎるくらいに踏み込んでボールと待つと、打点が前になり、深くスピンの効いたボールに変わった。以上を発見できたのは、コーチが玉出しの速さをゆっりからだんだん速くしてくれたお陰だ。

・身体の前でゆっくりヒットしてから、腕を最後までスイングする感覚を身に付けたい。スイングスピードはできるだけ遅くし、握る力もできるだけ弱くする。

===

 最近、興味を持っていることを羅列する。
・日本人の感性
・自分がクロッキーを描いている時の心の動き
・日本人が自然をめでるときの主観
・道元が作った禅
・自然のそのものに神を感じるという主観
・客観性を持たない宗教
・科学としての宗教
・主観しかない持たない日本人
・主観でしかあり得ない『イデア』を客観で捉えようとしたプラトンの失敗
・自然と切り離せない神
・生態系よりも広大な、物質を巻き込んだ系
・自然と一体になった自分を客観視すると・・・詩歌
・生死を超越した生と死、あるいは、化学変化、あるいは、エネルギーの出入り、あるいは、組み合わせの変化
・富士山があると、富士山しか見えなくなってしまう日本人にとって、富士山とは何か
・富士山と同じように、ある物体や概念に囚われている国民の危険性

 「生まれいづる美しさ」と「死に行く美しさ」のうち、後者は「わび」「さび」と言われる。この美しさは、自然の輪廻を理解し、その摂理を肯定して受け入れる人だけが感じる。自然と対峙する者、延命治療に余念がない者、長生きだけに興味がある者には、理解できない。より豊かな人生にしたいなら、もっとたくさんの美しさを感じるために努力しなければならない。

 主観に溺れないためフィードバック。それは、一流の作家、宗教家などに必須の条件である。具体的には、対象に溺れる自分の他に、もう1人の自分を用意して、溺れて見えなくなった自分を探し出し、客観的に見つめ直す。この作業を何度も繰り返す。

 私が神を感じる対象はあまりに雑多で、節操がない。階級も優劣もない。自分にとって必要なものは身近な神であり、それが遠くなればあまり感じない神に変化し、無縁になれば無、となる。また、私自身も神であり、この文章を読んでいるあなたも神であり、この画面も神であり、流れゆく時間も神である。私は、これを多神教の一種だとは全く考えていない。もうすでに、多くの仏教者が気づいている考え方のバリエーションに過ぎない。

24:00 消灯


2007 10 3(水)
6:00 起床

18:00 ひめは菜亭

 今日は疲労のピークだった。


2007 10 4(木)
6:00 起床
 たくさん寝たのに疲れたままだ。それに、左手の親指が上手く動かない。原因不明。

定期テスト2(初日)

 自分が製作したテストが予定通り終了し、ほっとしていた。

18:00 撮影2

 嘘のように疲れが消え去った。


2007 10 5(金)
5:50 起床

定期テスト2(2日目)

 港図書館で西田幾多郎の『善の研究』を借りた。土曜日と日曜日の2日間限定で、調べられるところまで調べてみようと思う。

18:50 クロッキー
21:00 二次会
 今宵もしっかりビールを飲み、アトリエまで車で送ってもらった。若さまに感謝です!

24:00 消灯


2007 10 6(土)
7:30 起床

9:00〜13:00 テニス

 名大図書館は閑散としてた。秋の行楽シーズンど真ん中、あるいは、バイト真っ盛り。

17:50〜19:20 テニス

1 ボールは身体の軸から遠いところで捉えること
 ・初心者は、ボールに近寄り過ぎる。
 ・ボールが飛ぶのを見てから距離や速さを計算し、動き始めれば十分。
 ・身体の軸で捉えるのは、サーブとスマッシュだけ。
 ・つねに、自分の身体の軸とボールの距離と位置を計算する。

2 ボレーは2段階で攻撃すること
 ・第1段階は、相手の足元に落とす。
 ※相手は、ボールをネットに引っ掛けるか、浮かせやすくなる。
 ・第2段階は、浮いたボールをスマッシュする。

3 強いボールを強く打ち返す場合
 ・テイクバックをしないようにする。
 (私の場合、テイクバックは常に小さくすること)
 ・正確に当て、ラケットを前に振り抜く。

4 基本は深くクロスに打ち、短い玉が来たら深くストレートに打つこと
 ・短くなった時、方向をストレートに変えて意外性をもたせる。
 ・ストレートに短くすると、相手は、前に走り込んで打ち返せるが、深いと打ち返せない。

5 後ろに走らされたら、ストレート方向のロブで時間を稼ぐこと
 ・自分の体勢を直し、もう一度、初めからゲームを組み立てる。

6 甘い玉は、確実に打ち込む。

22:00 消灯
 本日はテニス三昧であった。そして、22時前に就寝するという目標も達成した。


2007 10 7(日)
2:00 起床
 早起きは身体と頭によろしい!

 未整理だったクロッキーを200点ほど整理した。また、西田幾多郎の文章には、ほとほと困惑されている。

『善の研究』をですます体で読む


2007 10 8(月)体育の日
4:30 起床

 最近撮影しようとしているものは焦ることなく、じっくり取り組みたい。大作になる可能性、そのような土壌があるように感じる。また、自分でそのようにコントロールしたいし、する必要がある。

16:00 テニス

1 勢いがない玉こそ、自分で振り切らなければならない。
2 ダブルフォールトした後は、どんな「ヘナちょこ」でも良いから入れる。

19:00 テニス
 
 今日は特別なことはしていない。しかし、自分の欲求、やりたいこと、を確実に成し遂げた。それだけで十分だと思う。気分や雰囲気に流されることが少なかった。

22:40
 今はビールを1000ml飲んで良い気分になっている。その一因に素晴らしい音楽との出合いがある。それは、


2007 10 9(火)

 学校では合唱コンクールの季節になって、音楽に燃えてしまう自分がいるけれど、音楽からは足を洗って久しいので、何もできない。

19:00 テニス

1 踏み込んだ足より前で、玉を捉えること

2 スライスサーブはヒットする前に、ヘッドが十分なスピードに達していること
 ・打点は、スイングの中にあることをイメージする
 ・体が最後まで開かないこと

3 強打するための条件
 (1)十分に踏み込めること
 (2)テイクバックの時間が十分にあること
 (3)ヒットポイントを確実にイメージできること
 このうち、1つでも欠けるとボールはトンでもないところに飛ぶ。

4 強打できないときは、深いロブで、自分の体勢を立て直す時間を作る

5 浅い玉は、確実に決める
 ・肩を入れること
 ・最後まで振り抜くこと


2007 10 10(水)

18:00 モンベル
 生まれて初めてテントを購入した。


2007 10 11(木)

19:00 白さぎ会役員会


2007 10 12(金)

18:00 車のトランク故障


2007 10 13(土)
7:00 刈谷までドライブ
9:00 テニス

13:30 ひめは菜亭

18:00 友福
18:30 みづほ電器
 真空管アンプとスピーカーを特注してしまった。年内には仕上がると思う。とんでもなく素晴らしい音が出ると思う。それまでに、それに似合うだけの音源を揃える必要がある。楽しみが1つできた。みづほ電器さんにとっても、ささやかなボーナスになってくれれば幸いである。

22:30 エイデン

 今週は、とくに課題をもたないまま終わってしまった。ただ、今年の冬休みの課題を失ったので、新しい目標を設定する必要がある。これが大変なんだよなー。Y氏によると、どんな生き方にもそれぞれの悩み、苦労、喜び、価値があって、まさにその通りだと思うけれど、かなり大変だよ。現状を維持するというのは、、、。僕がやっている維持は、単なる繰り返しや保守とは違うからね、、、。幼い頃の自分と比較したとき、何も変わっていないような気はするけれど、、、。


2007 10 14(日)

エイデンでカラオケマシーンを購入した。両親揃って遊んでいるから、嬉しく思う。

 教育に関する古いメモを整理しているうちに、中学生向けのHPを書きたくなった。少しずつ発表していこう。


2007 10 15(月)

19:00 白さぎ会広報部会
 2時間集中して働いた。

23:00 消灯


2007 10 16(火)
7:10 起床
 相当量の疲労が蓄積している。授業中、何回か鼻血を出した。また、合唱コンクールが近づいてきて、音楽に触れる機会が増えた。

17:00 港図書館
 今、私が一番気になる人物『道元』に関する書物を借りた。

18:00 鶴舞図書館

 思いもかけず、初代Macを処分することになった。思えば、この部屋で11年間一緒に生活してきた愛すべきマシーンだった。さようなら。

21:50 消灯
 無理して時間を稼いでいるうちに、こんなに遅くなってしまった。20:00あたりに寝てしまえば良かった。


2007 10 17(水)
5:10 起床
 少しだけ疲れが取れた。

21:50 消灯
 野球のクライマックスシリーズが始まって、中日巨人戦を1時間ほど見てしまった。

 パソコンの音源をDAコンバータに繋いでアンプから出してみたが、全くダメだった。やはり、CDに焼く必要がある。iPodはどうだろうか。


2007 10 18(木)
6:10 起床
 昨日は無為な時間をテレビで使ってしまった。

14:30 天白高校で職業ガイダンス

18:00 テニス


2007 10 19(金)
20:00 撮影(パンダ)

23:30 消灯


2007 10 20(土)
8:10 起床

 主客合一には反対だ。同じように感じるようにあっても、同じではない。世界中の人々の考えに無数の共通点はあっても、同じではない。自然と一体感を感じたり、神を感じたり、音楽の中に心身を浸すことはあっても同じではない。三昧やエクスタシーの中にあるのは自己制御不能になっている自分を楽しむ、もう1人の自分だ。完全に他者と同一になってしまっては、同一になったことすら意識できない。それは、酩酊という。

 また、共通点の奥に、それらを統一する法則は存在しない。もし、存在すると仮定するなら、これまでの人類の活動は全て同一になってしまう。確かにそのように分類することもできるが、そんなことをしたら、世の中が詰まらないものになる。僕は人生を楽しみたいのだ。真理を求めるために苦しむなんてあり得ない。全てが同じことであることを知った上で、今、ここに生きていることと、変化する時空を楽しまなければ意味がない。そうすれば、成長や老化という変化そのものを楽しむこと=今を楽しむこと、になる。

 ちなみに、僕は今、ヒゲを伸ばている。

11:00 テニス

18:50 オートバックス
 車のスピーカーを購入した。初めは、前の車に使っていた10cmスピーカーを取り付けるための金具を購入するつもりが、ない、ということなので仕方なく16cmの新品を買うことになった。16cmは高価なスピーカーだけれど、古い10cmはとても重い磁石を使用してるから、悔しい。悔しいから、店でドライバーを借りて、駐車場でスピーカーを取り付けた。取り付け工賃は15000円ぐらいするから、少しでも取り替えしたい。小1時間かかって、片方だけ取り付けた。取り付け方が分かったから、もう1つは20分ぐらいだと思う。今日は暗くなって、閉店だから、明日の午前中にやる。

 それから、私の車にはプレーヤーがない。カーナビだけなので、古いCDプレーヤーも取り付けようと思う。当初は、工場に依頼する予定だったが、工賃が3万円以上というからやめだ。私の腕なら1〜3時間で終了するが、それ以上に、物をつくることが好きな自分を確認できたことが嬉しい。面倒臭いけれど、それが好きなんだから仕方ない。最近は、本を読んだり、パソコンで文章を書いたり、写真を撮ったり、クロッキーを書いたり、テニスをしたりすることが多く、物を作ったり修理する仕事から遠ざかり、その喜びを忘れていた。このような作業をしばらくしていなかったので、頭の中で面倒臭い、時間がもったいない、という単語が出てくるようになっていたのだ。今やりたいことをやる、そんな単純喜びを満喫させてもらう。

21:50 消灯


2007 10 21(日)
7:10 起床
 頭の中にはやりたいことがたくさんあるけれど、それが行動になって結びつかない。これは何を意味しているのだろう。理想と現実の格差ではない。『頭が喜ぶこと』と『体が喜ぶこと』の違いであろうか。それとも『理想と考える脳』と『現実を感じる脳』の違いか。それとも『空想する脳』と『現在と過去を照合する脳』か。それとも、怠け者!の一語か。このような不一致は、HPに関すること、教育に関すること、旅行に関することで発生している。スピーカーに関することでは発生しない。

 おかしい! 十分な睡眠をとったはずなのに、朝から自然鼻血である。悪い血液が流れているのだろうか。それとも、コーヒーがいけないのか。それとも悪いことを考えているからいけないのか。もっと現実的に、地道に修行しなければいけない。つまらない、と感じることを積み重ねなければならない。

 それから、封印していた音楽の扉を開いてみようか、とも思っている。


2007 10 22(月)
3:20 起床

18:00 テニス

20:40 テニス
 今日のテニスは不調で、体を傷めただけだった。


2007 10 23(火)
6:40 起床

 合唱コンクールの練習が佳境に入り、かなり多忙になってきたけれど、3年生の全6クラスの生徒と交流できるので嬉しい。しかも、自分が好きな音楽で触れあうことができるので幸せだ。私は自然科学(理科)より音楽が好きなことを告白しておかなければならない。とにかく、音楽は自分の全力を尽し、自分を開放できる。このように感じるのは、音楽の力によるのか、それとも自分の力量が生徒レベルに近いのか分らないが、たくさんの人が満足し、音楽の喜びを感じてもらえるなら十分だ。

読書note
『道元 ─座禅ひとすじの沙門─』 今枝愛眞 日本放送協会 昭和51年
・道元(1200年 -1253年)
・当時、思想界も宗教界も混迷していた。/ 当時は今と同じように、人々がその尊厳を失いかけているというが、これは常に存在する問題だ。まず、尊厳の定義がはっきりしない。確かに、尊厳というものはあるだろう。しかし、尊厳が大切にされる度合は、社会によって変化する。弱肉強食の競争社会なら、とくに『尊厳』の意味が多様になるだろう。/ もし、弱肉強食でなく、競争がない社会なら尊厳は必要ない。/ 社会が混迷するとは、力が拮抗し、争っている状態であるから、大いに発展することと等しい。実際、道元のような偉大な人物も生まれた。この事実だけに注目すれば、混迷は私の望むものだ。
・今枝氏の章立てはみごとだ。また、第2章『悟りへの道』が面白い。/ 学問や修行は、それ自体が学問であり修行である。全く答えになっていないが、それが根本なら、その他の言葉で置き換えることは不可能だ。したがって、道元にとって、禅は禅である。ここで私が書いた禅の意味が分らない者は、自分で『禅』について調べたり実践しなければならない。どのような言葉を使っても、根本は教えたり説明することができないのだから、深く獲得するためには自分で努力するしかないのだ。もちろん、手助けが必要と言うなら、手を貸してあげよう。
・24才の道元は、中国の宗教界が受け入れなかった自分の戒牒の有効性について、中国の皇帝に上訴した。そして、中国宗教界に、自分の戒牒の有効性を認めさせた。/ 彼の行動もさることながら、彼の純粋な理論、純粋な求道心に感服する。中国皇帝も、彼の気迫に圧されたと思われるが、皇帝も大した人物である。
・自分がやらなければ、自分がやったことにならない。
・今やらなければ、いつやると言うのか。
・身分の低い者までが徹底して実践している。
・どんなに素晴らしい教典であっても、数100年も経たないで散逸する。/ それに引き換え、このHPのように電子的に保存できるようになった我々は、散逸する危険性が低くなっているといえる。とくに、私のように、初めからインターネットを意識して製作している場合の有効性は高い。ただ、この先、コンピューターがどのように普及したり、どのように発展していくかは全く不明である。多くの人々はコンピューターは発展するものとして考えているが、私は衰退することも視野に入れたい。また、これまでの生物進化を振返っても、この先、人類が1憶年生存できる可能性は、かなり低い。そもそも1万年後の人類の形態は現在から想像できないし、身体の変化に伴う思考の変化も想像できない。私たちに予想できるのは、10年が限度であろう。うーん、そのように考えると、自分の人生設計とかいって、20年30年先のことを考えるのは愚かなことだ。今、あるいは、明日、あるいは、長くみても1年、最長でも3年までとして、目標を設定して、毎日の努力を積み重ねるしかない。それに、同じ修行や努力を3年間も繰り返せば、初期目標の誤りが発生するのは当然である。どのように考えても、人類は、現在を中心にした数日間、数カ月、数年という単位でしか生きることができない。数10年という単位は、1個体の寿命が70-80年ということこから判断すると、あり得ない。
・厳しい作法を自分で作ること。
・かつて、いかに素晴らしい結果をもたらしたものであろうとも、それを同じように追求してはならない。過去を繰り返すことは永遠に不可能であり、それらを求めても永遠に得られないことを知るべきである。

・宗派による教えの優劣や浅深が問題なのではない。
・言葉は、森羅万象以上にある。
・一事をこととせざれば、一智に達することなし。
・仏法においては、修行も悟りも同じもの。
・修学にも悟りにも限りがない。/  とはいうものの、道元は『結果』より『方法(実践)』にこだわっている。つまり、『悟り』よりも『座禅』にこだわっている。

20:40 テニス


2007 10 24(水)
17:50 クロッキー
21:00 二次会


2007 10 25(木)
7:10 起床

 今日は、尊敬する音楽の先生の合唱指導を拝見することができた。大変満足している。

学ばさせて頂いた合唱指導
・山びこのように反響していく表現。
・フランス料理店までいったのに、出てきたのはカップラーメンだった話。
・ターゲットを使った全体の乗せ方。
・力を抜くために、ゆっくり左手だけを先に降ろす指揮法。

17:45 テニス
 スローなペースで時間が進んでいる。ヤバいかも。

 紛失したカメラの損害保険が支払われた。請求するのが億劫でのびのびになっていたが、助かった。これで新しいカメラを購入する意欲が出てきた。ただし、コンパクトカメラは所詮、携帯照明に過ぎない。撮影する意欲が全く湧かないのだ。大切なのは、私の意欲をかき立ててくれる道具である。道具が私の一部として感じられなくてはいけない。借り物ではいけないのだ。


2007 10 26(金)


2007 10 27(土)

11:00 テニス


2007 10 28(日)

11:00 テニス


2007 10 29(月)

19:00 テニス

1 弱い玉のストローク
 ・自分から振っていかなければいけない。
 ・肩を入れたまま、最後まで粘って、最後の一歩の踏み込む方向と打点とストロークを一致させる。
 ・クロスに打つ時の打点が前になることは、最後まで粘っていなければ意識できない。
 ・ストレートに打つ時の打点が後ろになることも、同様に、最後まで肩を入れていることで意識できる。
 ・打点は、踏み込みんだ足のやや前になるようにする。

2 強いサーブのリターン
 ・肩を入れることだけを意識して、ラケットは捨てる。
 ・しかし、前にはしっかり打っていく。


2007 10 30(火)

 今朝、地下鉄の中で正法眼蔵の清浄を読んだ。道元によると、清浄とは、歯磨きや洗濯など『現代社会では常識となった身の回りを清潔にする作法』であるが、今日の日本社会においては『過剰な洗浄に対する警鐘』を入れる必要がある。つまり、2007年現在、道元が教えたかった物質面の洗浄は達成されている。

 しかし、現代社会では、電気洗濯機や洗浄機が普及し、古くなったものを簡単に捨ててしまう時代になったから、汗水たらして身の回りをものを綺麗にすることが少なくなった結果として、心を洗濯する方法を失い、心を綺麗にする方法を失ってしまった。道元は、物質を綺麗にすることで心も綺麗になると考えていたからである。身の回りを美しく保つためには、相当な努力が必要なのである。

 不浄な物質が激減した今、心を洗浄することは難しい。これを打開するためには、古い物と大切にしたり、新しいものを追い求めるのとやめたり、消費社会や資本主義の考えを改めたりする必要がある。このままの進行すれば、美しい心そのものが分らなくなるだろう。

19:00 クロッキー

note
1 片付けること、決断すること、後回しにしないこと、とりあえずコーヒーを飲まないこと、それができる時は形ができるときだ。
2 曖昧にしないこと。あるいは、あいまいなものを曖昧なまま存在させる力。この中途半端な位置を維持するためにはかなりの労力を必要とする。
3 捨てる力。
4 中途半端な状態で、提出する力。決断する力。100%でないときに、形にする力。常に100%になるのは、数学の回答ぐらいである。
5 私は@との異常な関係を解決しない限り前に進められないが、これは私の永遠のテーマであり、私の一部分だから、切って捨てることはできないものであろうと感じている。


2007 10 31(水)

 金山プルニエホールで開催された合唱コンクールで、『春に』が金賞を受賞した。喜ばしいことである。

18:50 クロッキー
21:00 二次会
23:30 消灯

 10月最後の1週間は、メモ帳を全く更新しなかった。それだけ興味が薄くなっているのと同時に、仕事が平行して行なわている。

続きをどうぞ!
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