takaのメモ帳   2012年1月

Column
1 幸せの定義(条件は足りないことがあること)
2 頑張れ、受験生
3 よく遊びなさい!
4 がんばる、という言葉
5 自分の非を認めるか、他人の非を見つけるか
6 刺激的な食事


2012年1月1日
 明けましておめでとうございます!
 今年もよろしくお願いします!

 大晦日も元日も関係なしに執筆しています。早朝5時から放映していたらしいレッドカーペットを見たかったけれど、自分で仕事を選んだのだから悔いなし。午前3時からがんばって、今は午後21時半。もう少ししたら寝ようと思っています。食事はヨーグルト250g、リンゴ1個、カシューナッツ30g、寿司1パック、蕎麦1束、長芋100g、ってところかな。結果としてはまずまずだけれど、元日としては寂しい。失敗したのは寿司。最高にお腹が減っていた時間だったのに、、、空腹は頭の回転に良いのでひもじいです。少量の美味しいものを食べるようにしています。

 嬉しいのは十分な睡眠時間をとれることです。3回に分けて、少なくとも8時間ネタのではないかと思います。とても幸せなことです。

 さて、今の執筆の感覚は、集めた材料を調理している感じです。良い食材ならすすっとできるのでが、ダメだと何をしてもダメです。煮ても焼いても食えませんし、皿に盛り付けることもできません。編集は盛り付けが中心になりますが、うまくできないときは食材の調達から始めなければいけません。で、材料を探しているうちに、素敵なものが見つかると、メニューが変わってしまいます。僕としては幸せな瞬間ですが、一皿変わると、ほかのお皿もかわっちゃうので大変です。今書いているのはフルコースなので、食事を出す順番まで考えないとダメです。どこから読んでも良い本にすればイイじゃない、と言われるかも知れませんが、やっぱり、デリケートな前菜を楽しんでから、スープでお腹をあたためて、薄めの味からからだんだん濃いものにして、それぞれの良さを順番に楽しんで欲しいな、と思うのです。人には好き嫌いがあるけれど、順番が良ければ、音楽のようなハーモニーが聞こえるのではないかと思うのです。


2011年1月2日
幸せの定義
 幸せとは、目標があること、目的があること、何かやりたいことがあることです。ぼおーっとして、美味しいものを食べて、温泉に入って、うまい酒を飲むことにも幸せを感じますが、その先は明るくありません。努力せず美味しいことばかりしていると、感覚が麻痺してつまらないものを求めるようになります。金持ちの多くは、つまらないもを買ったり行ったりしているように見えます。

 何かやりたいことがあることは、満ち足りないものがある、ということです。それを自分の努力で獲得する、その過程が面白いと思います。したがって、足りないものがあることは幸せの条件です。

 そうすると、自分から進んで不足している状況をつくれば良いように思いますが、それは違います。今の自分が不足していることに気づけば良いのです。自分は完璧だと思うことは不幸せで、まだまだだと思うことが幸せです。広く見聞し、旅することは幸せです。

 もう1つ全く別の幸せを感じている自分を紹介します。

 私は今、新しい学校で中学生と一緒に幸せな時間を過ごしています。中学生達はとても幸せそうです。彼らが幸せな理由は同じ年齢の人間がいっぱいいるからです。タメと時間を過ごすことは、それだけで本当に幸せなことで、幸せな人達と一緒にいれる私は幸せ、という構図です。

 私は30年近く中学校で働いていますが、これほど明確に幸せな中学生達を意識できたことはありませんでした。彼らは喧嘩したり、いさかいをしたり、いじめのようなことをしたりしますが、それは幸せの条件です。不公平なことは沢山ありますが、公平=幸せではありません。不公平だからこそ、幸せを感じられるよな気がします。同じではないこと、違うこと、能力や才能や持って生まれたものが違うこと、容姿や身体が違うこと、いろいろ違うから幸せなのだと思います。努力しても無理なこともありますが、それもそれで幸せの条件だと思うようになりました。完璧だ、と思った時点で不幸せなのですから、不完全な自分を意識できる友達がいることは幸せです。

 中学生にとって重要なのは年齢です。同じ歳、同じ時間を生きてきて、同じ時間を生きて、同じ時間を重ねていく、という感覚です。先ほど述べたように不公平なことはいっぱいあるのですが、同じ年齢というものには不思議な力があります。本当に不思議で、同じ歳の人間がいっぱい集まって突きあっている様子を見るのは本当に幸せなことです。同じ年が魅力的だということは、大人になれば明確にわかると思います。

 私の勤務校は200人も集まって、勉強したりがやがやしたりするのですから、本当にすごいことです。彼らは十分に意識できていないけれど、こんな状況は人生の中で非常に特殊な状況です。本当に面白いところで僕は仕事をしているなと思うと同時に、私は幸せを感じています。 


2011年1月9日(月)
18:25 原稿提出
19:00 58月で音楽とお食事とお話


2011年1月10日(火)
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勤務(始業式)
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 昨夜、原稿を出し終えました。実感が湧かないのですが、とても大きな仕事が終りました。これから3週間校正がありますが、すでに私の手から離れてしまった原稿なので、立派になっておくれ、と願うばかりです。

 それより、昨年12月23日から今日までのアクセス数が2000件ぐらい。ざっくり計算すると1日50件だから、それ以前の平均250件から激減しています。トップページに政治的なことを書きすぎたかもしれないので、反省。気持良く整理しました。これから少しずつ爽やかなものにしたいと思います。新しい企画も始めたいと思います。クロッキーも楽しみたいです。

18:50 クロッキーF
21:00 二次会
 楽しくクロッキーできました。二次会では生ニンニクたっぷりの肉スープ、青唐辛子と春雨の炒めものの2点がとくに美味しかったです。とても強力な料理でこれまでの疲れを吹き飛ばしてくれたようです。でも、私は22時40分にダウンしていたようです。帰り道に牛乳を買って飲むつもりでしたが忘れてしまいました。明日は大変なことになりそうです。生徒さま、ご免なさい。


2011年1月11日(水)
3:35 起床
 目が覚めてしまったので、コンビニで牛乳を買ってきたら、ぺろっと500ml無くなりました。もっと飲めそうな自分が危険です。まだまだ臭いと思います。もう少し仕事してから、もう一度眠ります。公務をきちんと成したいと思います。そして夜にはテニスをしたいなあ。

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勤務
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19:00 テニス
 今日は予定通りテニスをして、予定通り『地学』について考えなかった。これで良いと思う。寝る前に昨日のクロッキーを見直して、色を感じたよ。鉛筆の色彩。それから、とある日本人ピアニストの言葉「今は何でも吸収したいから」「良いものを吸収したいから」という言葉が脳髄に残っている。

 テニススクールのコーチの言葉を残しておこう。芯が振れないように、軸が振れないように、自分が得意ではないショットのときは知らない間に体が傾いているから、縦の軸と横の軸がいつでも十字をつくっているように。・・・いつでもカッコ良くなくちゃだめってことだよね。それから、本気を出さないとカッコよくない、というのもあります。何が本気か、という問題もありますが、自分で分かっていることが10個あるとしたら、少なくとも1つは本気でなければいけないし、カッコ良くあるためには7〜8個じゃなくて、10個じゃなくて、そんなこと意識しないぐらい打ち込まなけないと思うのです。今日はマッチポイントと握られるまでは本気でなかったような・ううう。違う! あのときは、勝敗以外のことに本気で取り組んでいた。勝ち負けと関係ない自分の課題。だからマッチポイントを握られてからは試合に勝つことだけを考えて、タイに持ち込んで、結果は負けで、僕は勝負事が好きな人間ではないとつくづく思うけれど、応援してくれる人が出てくれば話が変わるんだろうな。きっと勝つようになると思うよ。今は完全な趣味だからね。プロでもないし。真剣に応援してくれる人は1人もいないし。

 夜は銭湯に行って、日本酒を少し飲みました。良いお酒なのでコップ1杯程度なら悪酔いすることはありません。早朝は明るい太陽が出ればクロッキーをアップして、学校では定期テストを仕上げて、テニスはお休みにして地学の締めのぺージや天体観測のページを書こうと思います。きっと自分が知らない新しい発見や発想がいくつか、少なくとも3つか4つ生まれるのではないかと思います。毎日勝手に生まれ出るから、とても楽しいです。じゃあまた。おやすみなさい。


2011年1月12日(木)
 朝寝坊しましたが、何とかクロッキーをアップしました。慌ただしい仕事でも、目標達成は嬉しいことです。

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勤務
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 学校の仕事も予定より早く完了できたのでテニスに行きました。スクールは楽しい時間でした。吃驚するほど大量の問題点があるので嬉しい限りです。ボレーは後ろに飛んで打つことがあるし、ストロークはボールとの距離が近いし、簡単な球のときにネットてしまうし。誉められるのは反応の良さぐらいです。フットワークの良さを指摘されることもありますが、最終的にボールとの距離を詰め過ぎです。余裕がある分だけ軸足に重心を載せ、じっと待つようにすれば良いのですが、やはり、距離感が悪いのでしょう。うー、距離感については別な視点から解決策を見い出さないと、解決しないような気がしてきた。視点を変えなければ、これは解決しない。とりあえず、飛んでくるボールの軌道に対する自分の身体の位置、軸足のつま先の方向の決定ができていないように思います。

 それより、今の自分のテーマはフォアハンドを打つ前の左腕の伸ばし方です。これまでは曲がり過ぎていたので、もう少し気持良くすっと伸ばそうと努力しています。肩が前に出るような伸ばし方ではなくて、自分を大きく見せるように伸ばしてみたいです。がんばります。

 テニスの後は銭湯を早々に切上げプレモル350をさくっと頂き、消灯です。地学を全く見なかったのは予定外ですが、予定以上にリフレッシュできたので、明日から予定以上のことができるのではないかと思います。


2011年1月13日(金)
1:50 起床
 早いもので原稿提出から3日と7時間が経過しました。ようやく仕事再開です。来るべきときのために、できる準備はしておきます。が、やり残している雑務が山積しているので1つずつ片付けます。まず、昨朝飲めなかったコーヒーを頂いて、そうそう、コーヒーが美味しいというのは胃腸の調子が絶好調ということなので、今朝は絶好調です。調子にのるとすぐにお腹をいためるので、このまま行けるところまで行って、朝寝をして出勤します。学校ではテスト原稿を仕上げて、あれの下準備を完了して、2分野最後までの授業カリキュラムを立てる、ここまでにしておきましょう。できれば、1分野のカリキュラムも完成させることにします。

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勤務
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 学校の仕事は想定以上の時間がかかり、全ての目標を達成できませんでしたが、一番大変なものを完了できたので満足しています。21時までに消灯する予定でしたが、だらだらと1時間ほど過ごしてしまいました。


2011年1月14日(土)
2011年1月15日(日)
 この2日は何をしていたのだろう。noteする時間がないような仕事をしたと思うけれど、思い出せません。以下は、14(土)起床時に執筆したものでしょう。

 かなり寝坊をしましたが、それだけ疲れていたのでしょう。朝食は残りもののヨーグルト50gとヤマザキパンの『まるごと苺』とコーヒーです。残りもののヨーグルトは落ち着いた酸味で、小ささな苺3つ入りのまるごと苺は途中で挫折しそうになり、コーヒーは下記の通りです。

 私のレギュラーコーヒーは、どこでも売っているUCCの『ブルーマウンテン』です。これを紙フィルターではなく、ガラスの筒の中で抽出したものを頂きます。黒色透明ではなく、茶色不透明で表面に脂肪分が浮いている感じです。どうしても2杯欲しいときは、数10%多めに作ります。それでも足りないときは、一度抽出したものに湯を入れてつくります。2番煎じでも美味しく飲めます。他の豆の多くは酸化し尽した味になりますが、ブルマンは酸化した感じがしないので気に入っています。目的はケチケチではなく、カフェインから胃を守ることです。この豆は少なくとも10年前からずっと使っています。季節や年によってダメな時もありますが、そこそこ安定した品質です。


2011年1月16日(月)
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勤務(3年生テスト初日)
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頑張れ、受験生
 今日から3年生テストが始まりました。受験生のみなさん、がんばってくださいね。最後の仕上げは、自分が知らない自分以上の力が出てくるものです。自分を信じて新しい自分が出てくるのを楽しんでください。恐れることなくチャレンジする姿勢と歓びを体験してください。やみつきになると思いますよ。結果ではなく、詰めの勝負をしている今を楽しんで欲しいと思います。結果は必ずついてきます。自分に負けた人は負けで、自分に勝った人は勝ちです。でも、何が勝ちで何が負けかは、自分が決めることです。合格不合格というのはとても単純な1つの結果に過ぎないことがわからなければ、合格でも不合格でも意味がありません。是非とも新しい自分を産み落として欲しいと思います。頑張れ中学生!

 余談ですが、上のような経験をできなかった大人は、金や社会的地位にこだわるようになります。金という数値や社会的地位に限りはありません。しかも、他人の不幸の上に成り立つ可能性が高いものです。

19:00 テニス
 今日も凹みました。がんばります。


2011年1月17日(火)
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勤務(3年生テスト2日目)
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18:50 クロッキーF
 開催日を間違え、会場から「予約できていないよ」の電話がかかってきました。運良く同じ美術室が空いていたので、ほっと一息。クロッキーは散々でしたが、主催者として最低限の使命を果たせたので良かったです。二次会は先週と同じニンニクたっぷりの辛い牛肉スープを頂きながら、新しい計画の1つができました。オプションの1つとしてがんばります。


2011年1月18日(水)
5:40 起床
 朝から確定申告の資料づくり。気乗りしないので、ジップを聞きながら作業しています。昨年の自分が使った時間と金か振返れたのは、1つの収穫でした。今朝は年内までを一通り、明日は夏休み分を整理します。

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勤務(3年生テスト最終日)
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19:00 テニス
 今日はテニスに行く予定はなかったのですが、予定していたアトリエでの仕事も終り、開始10分前に予約しました。相変わらず下手なのでコーチから「コンスタントにやればいいんじゃないですか」とアドバイスして頂きました。全くその通りで、もう少し通う必要があると思います。上達するためにはある程度連続させる必要があると思います。

 それから春休みの計画を始めました。以前から行きたいと思っていた南の島に行こうと思います。自然がたくさんあるのではないかと期待しています。


2011年1月19日(木)
4:40 起床
 冷蔵庫に保管しておいたコーヒーを試したところ、がくんと味が落ちていました。密封できていなかったのかな。常温保管の方が良かったようです。

 さて、今日の日付けは19日、原稿を提出してから10日経ちました。すぐに校正が始まるのではないかと緊張していましたが、プライベートも最低限のことはできました。明日から校正が始まりますが、それが終ったら本格的に新しいことを始めます。

 それから今年のカレンダーが欲しいなあ。忙しくて去年のカレンダーのままになっているんだ。毎日の仕事に追われる日々もこれで終わりになると思うから、自分のペースで計画して生活できるようになると思います。

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勤務
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 今晩は雨でした。アトリエで雑務して21時半頃布団に入りました。部屋が暖かく、通りの人の声が聞こえ、うまく眠れなかったようです。身体が寒さに慣れてきたこともあると思います。不思議な夜でした。


2011年1月20日(金)
1:50 起床
 コーヒーを飲んでから、雑務処理のスケジュールを立てました。そうこうしているうちに2時間半経ちました。さて、今後の計画ですが、楽しいことをしなければいけないと思うので、そうします。1番大切なことは人の思いに応えることだと思うけれど、人に優劣をつけられないから、思いがたくさんある場合は自分の声に従うしないですね。結局のところ、自分の好きにするしかない、ということです。

よく遊びなさい!
 卒業文集に載せる中学3年生への言葉は、よく遊びなさい! にしました。彼らの多くがよく勉強させられているからです。自主的に学習できるようになって欲しいという願いから、この言葉にしました。今の彼らに必要なのは『遊び』です。勉強の基礎となる遊びをする必要があります。本気で遊んだ経験がないと、大きくなっても中途半端な大人の遊びをするようになります。大人もそうだけど、中学生は手後れでない、と思います。受験態勢に入っても手後れではないと思います。直ちに勉強をやめて遊ばなければいけない中学生も何人かいますが、そのような中学生は突然遊ぶこともできずに、呆然とするだけでしょう。それでも長い人生を考えれば、悪くないと思います。高校不登校、中退、引きこもりより、ぼけっとしながら友達と一緒に時間を過ごすことの方が大切です。人間ですからね。同じ時代に生きる人達と一緒にいることが大切です。心底そう思うよ。さもなければ、一生遊べないような、定年退職を楽しみにするような人生になってしまうからね。僕自身を振返ってみると、今はちょっと定年退職のことを楽しみにしているから、まだまだ遊びが足りないと思う。これは間違っているので、バランスをとるようにしっかり遊ぼう。遊ぶことは与えられた仕事をするより難しく、これができる人を人生の達人というんだろうね。達人目指して日々がんばりましょう。

がんばる、という言葉
 そうそう、最近のnoteを読み返してみると、「がんばる」という語が多く書かれていますが、実は、この語に特別な思い出があり、私は素直に使うことができません。写真を再開した20代後半、ある女性モデルから「私はがんばることが嫌いなの」と言われたことが原因です。彼女の血族一円は、彼女にがんばることを求め続け、その結果、一流大学に入学しました。容姿端麗で欠けたるところは見当たりません。その彼女が心底憎んでいた言葉が「がんばる」です。誰がどうみても頑張り屋の彼女は、必死で自分を否定しようとしていました。それまでの私は、学校のいろいろな場面で「がんばる」という言葉を使っていました。気楽に「がんばれよ!」と声をかけていました。しかし、彼女のストレート脳髄パンチを喰らってカレコレ20年。ようやく、この言葉が使えるような気がしてきました。

 世の中には「がんばれ」と言われて嬉しい人がいます。好きな人に「がんばれよ」「がんばってね」と言われれば幸せで、普段以上の力が出る人がいます。彼女は不幸な経験(トラウマ)から抜けだせないままでしたが、幸福な人にとって「がんばれ」は普通の言葉の1つだと思えるようになってきました。頑張っているかいないかは本人が決めることで、他人が決めることではありません。子どもの努力の程度を親や先生が判断することは、子どもを不幸にします。価値基準を押し付けるのは間違いです。教育ではなく洗脳、奴隷化というべきでしょう。努力したか手を抜いたか、本人はホントのことを知っています。

 がんばれよ、という言葉を使う時に大切なことは、声をかける相手のことを好きかどうか。相手があなたのことを好きかどうかです。嫌いな人や憎んでいる人からの言葉は、基本的に何であっても逆効果になります。まず、自分が好きになる。好きでなくても心を開いておくことが大切でしょう。なんだか教育的なことを書いているなあ。 

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勤務
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学校の先生は生徒に対して、気楽に「がんばれ」と言ってはいけない、と思ったのです。

 ゲラが来た。はやる気持を抑えて早く寝て、起きたらゆっくり準備するつもりだ。過度な期待は禁物で、現状から1歩でもよいものをつくるように心掛けること。自制心との勝負が始まる。睡眠時間だけは十分に確保して良い仕事がしたい。外は雨。晴れていたら外で仕事を始めてしまったと思うけれど、雨が恵みの雨となりますように。


2011年1月21日(土)
2:40 起床
 30分以上かけて準備を整えたから、仕事は一気にできるような気がする。というより、一気に仕事がしたい。まだ雑務がありすぎる。遊ぶために仕事をすること、それが当面の課題だけれど、仕事が遊びになるようにすることはもっと大切だから、意識の切り替えも意識しよう。


2011年1月22日(日)
 今日はゆっくり起きて、たくさん仕事をしました。朝飯は食べませんでしたが、昼飯を一気に食べてからテニス、風呂に入って眠りました。その後、集中して仕事をしました。クロネコさんに原稿を持ち込みましたが、電話とは違って18時までです、と言われ、遠くまで走りました。余分な動きでしたが、大型トラックが待っていてくれたことに感激です。ドライバーさん、ありがとうございます。


2011年1月23日(月)
5:10 起床
 ここ数カ月、目覚めてから布団の中で考えることが多い。起きてコーヒーを飲むだけでは面白くないし、やらなければならないことをやるだけではもっと面白くないから、アドレナリンと汗が同時に噴出するようなことを思いつくまで布団の中で思考する。そして、本当に体温が一気に上がると同時に布団を抜け出す。実際に思いついたことをやるかどうかは別にして、起きてから15分で100%の状態に陥る。この文章の冒頭で、ここ数カ月、と記したが、起きてから15分で全開にするのは僕のスタイルで、自我が目覚めてから変わらない私自身だ。今朝は布団の中で30分ほど思考したけれど、以下にそのいくつかをnoteる。

軍鶏(しゃも)
 実は、一昨日と昨日の2日連続して銭湯でマンガを読んだ。タイトルは軍鶏。作者はご免、見ていない。初日に14巻読み、昨夜4巻読んだ。共感するところ、自分に欠けているとろを指摘されたからだろう。作品品世界に没入した。僕は本やマンガを丁寧に読むほうなので、こんなに早く読むことは少ない。神は細部に宿るとことを知っているし、神を読み取ることが好きだからだ。しかし、今回はもっと大きなものを感じたようだ。欠落しているもの。それが何かは、その作家も私もわからない。あなたにもわからないだろう。誰も分からないからこそ魅力があるのであり、生きていることを実感できるのだと思う。分からない、不明であることを鮮明にすることは非常に残酷であるけれど、それが生というものだろう。ただ、作品は過激な部分が多いので一般的ではないと思う。しかし、この本が銭湯に並んでいるこということは、それだけの読者がいることを意味する。つまり、この本は大衆が広くもつ負も指摘している。

完璧でないこと
 完璧でない部分を知ると、いつまでもそれを反芻する。何も知らなければ何も起こらない。しかし、今私は自分の著作物で不完全な部分を知り、それを修正できる時空間にいる。出勤まで90分以上ある。しかし、それをどうするかは、、、やりたいけれど、やりたくない。それが正直な気持で、その気持によって僕は布団を飛び出したんだけれど、実際のところ、この日記を書いたり、これからメールを出したりしようとしている。/ 手塚治の「完璧を目指さなくてどうするんだ」という言葉が脳裏一面に張り付いているけれど、僕は完璧という言葉はあまり好きではない。時間いっぱいギリギリ、が完璧の1つの姿であることを知っているからだろう。それに、僕は自分がどれだけの時間で何ができるかを予測し、結果を残す楽しみを知っている。

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勤務
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19:00 テニス
 途中で雨が降ってきて 中止。プレーは残念だったけれど、予定していた話はできたので十分。歓談が長くなり過ぎたけれど、それはそれでまた愉し。


2011年1月24日(火)
 沢山寝た。9時間ねたのではないかと思う。起きると顔や頭が痛くて悪寒がしたので、ズボンを2枚重ねて出勤した。全身の筋肉が痛い。

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勤務
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 熱を測ったら36.0℃。平熱より低い。キツネに摘まれて元気になった気分。それでも確実にインフルエンザやいくつかのウィスルに感染していることは間違いないので、衣服は1枚余分に着るようにする。

 帰宅すると新たなゲラが来ていたので、2つの店を梯子して校正。それから銭湯で作戦を立てて寝る。早朝から再開する予定。


2011年1月25日(水)
3:00 起床
 思ったより順調に仕事が進んだ。さて、今日は他人の振り見て我が振りを直すnote。

自分の非を認めるか、他人の非を見つけるか
 自分の非を認めない人は、他人の非を見つけようとする。よく探せば、必ず非はあるから、その小さな非を指摘することで、自分を正当化できる。僕はすぐに「ごめんなさい」と謝罪するタイプだから、自分の非を認めない人にとっては居心地よい相手だと思う。だけど、物事には限度があるし、僕が90%ゆずったなら、相手は少し優しくするのが健全な付き合い方だろう。それに気づけない相手には非を明確に指摘するが、客観的事実に限定すること。自分の感情や感覚を混ぜると喧嘩になるので注意したい。たった1つの事実だけをピンポイントで指摘すること。相手の全人格を否定するようなことは絶対に言ってはいけない。過去を蒸し返してもいけないし、将来の危険性も述べてもいけない。とにかく限定すること。限定し過ぎることはないので、絞れるだけ絞ることが大切だ。

とりかえしのできない人
 僕はあまり失敗をしません。ほとんど成功しています。なぜなら、ある結果の正否を自分であり、他人から見て失敗でも、自分が成功だと思えば成功だからです。例えば、受験結果が不合格でも、何年かのちにそれを成功に変えることができます。失敗を成功に変える力=生きる力です。また、どんなことが起ってもそれは必然だと思います。「しまった」と思うことでも取り返すことができるし、そもそも「取り返しがつかない」と考えること自体、僕の行動や思考パターンにないものです。さてさて、こんな私に『世の中には取り返しのつかないことがあること』を教えてくれた人がいます。私は教えてくれた人に敬意を表しますが、取り返しのつかないことを他人にしたくないので、取り返しのつかないことはその人だけにお返しするようにしています。世の中には、「取り返しのつかないこと」や「取り返しのつかないことが起こる可能性」を怖がっている人がいますが、私の願いは、全ての人が幸せになりますように。取り返しのつかないことがこの世から絶滅しますように。すべてを受け入れる寛い心が広がっていきますように。

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勤務
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18:00 確定申告説明会
18:50 クロッキーF
21:00 二次会
 最近の二次会はメンバーがとても少ないけれど、密度が濃い。


2011年1月26日(木)
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勤務
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 仕事量は減ってきたものの神経をすり減らすものが多い。確実に1つひとつ覚悟を決めて終らせていこう。あと少し頑張ろう!


2011年1月27日(金)
2:00 起床
 昨夜は眠れなった。傷ついた分だけ成長できるのだから、傷つけれくれる人を感謝しよう。今はちょっと限界を越えているけれど、頑張るしかない。それにしても厳しいね。

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勤務
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2011年1月31日(火)
7:00 起床
 7時起床なんてことはかなり珍しい。昨夜テニスを2レッスン受けてビール飲んだからかな? ま、こんな生活もあるもんだ。

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勤務
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刺激的な食事
 ランチの時間、食べる行為に喜びを感じた。食べる行為。ただ食べるだけなんだけれど、それが嬉しい。スプーンですくって口に運んで食べる。もぐもぐして胃袋へ移動させる。それをくり返すうちに胃袋が満たされていく。その時空間に満たされている自分。とても特別で初めの感覚だった。プレッシャーがない、ルーティーンにしたがった普通の人のような仕事をしたからだと思った。独創的な授業や執筆やクロッキーはとても刺激的だから、食べる喜びをかき消してしまうけれど、ここ1日2日ぐらいは大した仕事をしていないから、ごくごく普通のものを食べることに刺激を感じたのだと思う。素晴らしいことだ。そして、この感覚を分析すると、喜びより『刺激を受けた』というべきだろう。つまり、普段は感じない刺激を受けたわけだ。単調な生活の中で食事を楽しみにして食事に刺激を求めた、という構図だ。つまり、食事が好きな人は食事に刺激を求めている、ということに気づいたランチのひとときでした。でも、こんな日も長くは続くまい。毎日歩き続けるのは得意ではないし、食事を楽しむ柄ではない。

続きをどうぞ!
2011年 12月 taka-note 2012年 2月

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