takaのメモ帳   2020年4月


1(水) 入学式を行う(学校を再開させる)ための条件
 〜感染者が出た場合の学校・学年・学級閉鎖〜
7(火) 消費税0はどうでしょう
 〜長い目でみれば、貧困層は10万円給付より助かる〜
9(木) 美味しいものを食べて、たくさん寝よう!
 〜免疫力を高めるために〜
11(土) 楽しいことや好きなことをしたり、おしゃべりしたりしよう!
 〜免疫力を高めるために2〜
12(日) 休校は数年続く可能性がある
25(土) 名古屋市での、夏休み授業は論外
 〜免疫力低下で、死亡リスクが劇的に高くなる〜
26(日) 公立中学でオンライン授業はどうだろう
30(木) すべての学生にi Pad(タブレット)配布
 〜場所を超えた教育、学習、情報交換のために〜

 

4月1日(水)
 日本国では予定通り、小中学校の入学式が行われようとしている。コビッド19が拡散している現状を考えると、この判断は重大ミスになる可能性が高い。私が危惧する理由は、児童生徒や職員に感染者が出た場合の対応が示されていないからである。

入学式を行う(学校を再開させる)ための条件
 〜感染者が出た場合の学校・学年・学級閉鎖〜

 毎年冬になると流行するインフルエンザは、その発病者数が一定数になると学校・学年・学級閉鎖を行う。同じように考えると、今回のウィルスによる感染者が出た場合、どうするのであろうか。とても過敏に反応している日本の現象を考えると、感染者が1人でも出た場合は休校、にするのだろうか。校内消毒をした上で、職員も1、2週間自宅待機にするのだろうか。児童生徒の安否も確認や集約もままならない状況にするのだろうか。と、私は本当に心配している。入学式を予定通り行うなら、同時に感染者が判明した場合の対策を示さなければいけない。それが、今、行政に求められる責務である。

 具体的対応策を提案したいのは山々ですが、私はそれができるほどの情報を持ち合わせていません。調べていません。大変申し訳しわけないことですが、すみません。ウィルスや免疫に関する科学的な一般知識の提供はさせていただきます。takaのメモ帳、2020年3月16日をご覧ください。

4月5日(日)
 日本のコロナウィルス感染者数の曲線を見ると、概ね計画通りに進んでいるように見えます。急激な増加を抑え、わずかな増加状態を維持しているからです。

 さらに、医療崩壊させないために「ピークを遅らせる」という作戦も計画通りに進んでいるように見えます。計画通りに進んでいる上で、政府は「感染疑いのある人の隔離」→「感染者全員の入院」→「(感染)軽症者の自宅療養」に切り替えてきているのだ、と私は前向きにとらえています。発病(ウィルス保持)者を自宅療養に切り替えることで、医療崩壊寸前でもちこたえさえている、ように見えます。

 さて、明らかなウィルス感染者を自宅療養させることは、私は悪くないと思います(クルーズ船で感染者が出た時から、その必要性を感じていました)。自宅療養にすると、自宅でウィルスをばらまくことになるので、家族は全員感染します。その家族は食料調達や通学のため(名古屋市は4月6日に始業式)に外出するので、ウィルスを無差別にばらまきます。感染源が無限に増えれば、感染源の追跡調査できません。学校での集団感染(クラスター)発生を阻止する方法は、休校しなない、となるのは当然です。したがって、学校を再開させるなら、発生した時の対策を事前に示しておくことが必要です。

 しかし、現時点で私の耳に「発生後の対応策」が聞こえてきません。これは大問題だと思います。これは4月1日にも述べました。

 もう1つ驚くべき事実があります。授業再開だけも危険性が一気に高まる状況なのに、部活動も再開できる可能性を持たせていることです。感染が増加しているのにもかかわらずに、「子どもを集めよう」としているのですから、一番大切な授業だけからにするべきだと私は思います。

 統計上、子どもの発症率が低いことは明らかですが、子どもの中には自分の症状を伝えらない環境にいる子がいます。そのような子どもは重症化し、死亡する可能性があります。また、高齢者と同じように病弱な子どもは死亡リスクが高まります。今後、子どもの死亡率が高くなることが予想されますが、少しでも低く抑えるために部活動再開は遅らせるべきです。

 学校再開によって、子どもがどれだけ発病し、どれだけ死亡するかを予測し、それを国民に公開した上で授業を再開させることが国の仕事である、と私は思います。マスク2枚配布、などという対策で紛糾している場合ではありません。政治家が大変な仕事であるのは、その権力に大きさから考えれば当然のことです。国民全員から理解されたり支持されたりすることは不可能であることを認識し、現状を冷静&客観的に分析し、迷ったら真心で判断してください。決断、情報伝達、行動するのが政治家(管理職)の仕事です。人の真心は(日本だけに止まらない)万国共通のものです。あなたの真心を信じて_がんばってください。

4月7日(火)
 名古屋市立中学校は本日、無事に入学式を挙行することができました。さまざま意見があると思いますが、新入生とその保護者の立場からすれば、大多数が歓迎するものだったと思います。

 新入生の過去を振り返ると、唐突な小学校休校、および、練習してきた形とは違う卒業式になりました。友だちや先生と最後の別れを惜しむ時間も奪われ、とくに、小学校時代の友だちとの離れ離れになることが予定されている子こどもたちは本当に辛い思いをしていた(る)と思います。そのような形で小学校を卒業し、さらに、中学に入学できない宙ぶらりんの時間を続けさせることは、私にとって耐え難いことでした。

 今回、入学式翌日から、再び休校することになりましたが、子どもたちにとっては一安心だったことと思います。初めて出会う友だちに声をかけるチャンスはほとんどなかったと思いますが、それでも、同じ学校に入学した同級生と顔をそろえることは<無上の感激>だったことと思います。その一方、同居する家族への健康を気遣って入学式に参加しなかった子どももいます。そのような優しい心をもった子どもに対しても、安心感や入学の喜びを伝えたいのですが、私にはその方法がわからず悲しい思いをしています。私は中学教師ですから、中学生を第一に考え、同じ世代の子どもたちの中に子どもを立たせてやりたいと思います。

消費税0はどうでしょう
 〜長い目でみれば、貧困層は10万円給付より助かる〜
 お金に困っている人がいます。困っている人は、貯金を切り崩します。消費も減らしていきます。どんなに減らしても、生きていための食費は必要です。そこで、食料を買うために必要な金を給付するのではなく、買うために必要な金を10%減らすのはどうでしょう。つまり、消費税を0にするのです。年間400万円の消費する世帯に対して40万円支給することになります。180万円消費する人に対しては18万円支給することになります。

 みなさんは、エンゲル係数を知っていますか?

 簡単に説明すると「年収が低い人ほど、食料費の割合が高い」というものです。この考えによると、消費税0にして助かるのは『年収が低い人』です。消費税は、年収に関係なく10%徴収されますから、年収が低い人はそのほとんどを食費に使うので、年収の10%を消費税として払うことになります。つまり、年収180万円なら18万円払うことになります。

 逆に、年収1000万円の人にとって、消費税18万円は「年収の1.8%」です。つまり、年収180万円の人は「消費税10%」、年収1000万円の人は「消費税1.8%」を払うことになります。消費金額が同じなら『とんでもない不平等になる』、それが消費税の正体です。

 政治家が消費税を釣り上げようと躍起になる理由は以上です。貧乏人から金を巻きあげる戦略、のように見えます。貧富の差の拡大は、消費税率の引き上げによって起こる、と考えることもできます。(自分を含めた富裕層を作ろう、とする)政治家の策略ではないか、と私は考えています。

 給付金を配るくらいなら、初めから金を集めなければいいのです。集めるためにも配るためにも(無駄な)お金がかかります。現金給付は政策ではなく、国民を愚弄する愚策である、と私は思います。もちろん、時と場合によって必要かもしれませんが、長い目で見ると「人をダメにする」可能性が高いことを忘れてはいけないと思います。もちろん、本当に必要な方は誰にも遠慮することなく給付を受けなければいけません。誰に礼をいう必要もない、と思います。必要なものは必要、それだけのことです。私たちは助け合って生きています。私はそのような日本、世界にしたいです。

4月9日(木)
美味しいものを食べて、たくさん寝よう!
 〜免疫力を高めるために〜
 先月16日、ウィルスの抗体(特効薬)を自分の体でつくる仕組み(獲得免疫)を紹介しました。

 体が特効薬(獲得免疫)を作るために必要な時間は、ウィルスによって違いますが、通常1週間です。今回のものは1〜2週間ではないかと思いますが、その情報を私は持っていません。獲得免疫を作るために必要なことは、美味しいものを食べて安静にしていることです。1週間ほどゆっくりしていれば、体がつくった(獲得した)特効薬によって完治します。 完治とは完全に治ることです。さらに、獲得免疫ができると、2度と同じウィするに感染することはありません。ワクチン接種が成功して、抗体ができた状態になります。

 この獲得免疫ができるまでは、もう1つの免疫システム『自然免疫』でウィルスの増殖を抑えます。自然免疫を高めるためには、やはり、美味しいものを食べてたくさん寝て、体に負担をかけないようにすることが必要です。もし、体に負担をかけることがなければ、いつまでも永遠に自然免疫によってウィルスの増殖を防ぐことができるばかりか、ウィルスの量が少なければ、完全に撲滅させることもできます。

 つまり、美味しいものを食べて安静にしていれば、感染しても大丈夫なのであり、1週間後には体に特効薬をつくるしくみができてウィルスが体内で増殖できないようになるのです。

以上は、先月に紹介した内容の繰り返しです。

4月11日(土)
楽しいことや好きなことをしたり、おしゃべりしたりしよう
 〜免疫力を高めるために2〜

 自己免疫力を高めるために必要なことは、大きく2つに分けられます。1つは体を整えること、もう1つは心を整えることです。前回は『体を整えること(美味しいものを食べてたくさん寝ること)』を紹介しましたので、今回は『心を整えること』を紹介します。

 病は気から、という諺を知っていますか? 気持ちの持ちようで病気は重くも軽くもなる、という意味です。外部からの刺激はなくても、脳が「痛みを感じる」こともあります。

 免疫力を高めるためにも、気持ちを高めることが必要です。簡単に考えればわかるように、楽しいことや好きなことをすれば免疫力が高まります。好きな人と楽しいことをするば、一気に免疫力が高まることはまちがいありません。

 現在、各地で緊急事態宣言が出ていますが、これは心を萎縮させるものであり、ウィルスに対する免疫力を弱める効果があります。「みんなでかんばろう!」とすることは良いことですが、それが強すぎたり長引いたりすると逆効果になります。真面目な人ほど、免疫力を低下させることになるので、十分に注意して欲しいと思います。

 直接おしゃべりをすることは危険性を高めますが、もし、それがあなたの心の健康を維持するために必要なことなら、顔を合わせておしゃべりしてください。「心が死ぬことは、体が死ぬことよりも恐ろしい」と私は思うのです。自分の命を守るのはあなた自身です。日本人は我慢したり他人に同調したりすることが得意ですが、それが原因でウィルス感染→ 発症→ 重症化、とならないように!

置き去りにされた子どもたち
 文科省や各都道府県の教育委員会は、子どもの義務教育についてどのように考えているのでしょうか。国は子どもに教育を受けさせる義務はないのでしょうか。休校にして、それで終わりなのでしょうか。

 もし、各学校の先生(個人)に『学習のための何か』を作らせて配布させようとするなら、それは責任逃れです。各学校の先生の判断で作ってもよいのでしょうか。『学習を始める前の準備のもの』でよいのでしょうか。それは学習指導要領と(関連はしているけれど)違うものになりますが、それで良いのでしょうか。『違いの基準』は個人に任されているのでしょうか。基準がないのなら、クレームが来た場合の責任は誰がとるのでしょうか。

 責任を取ることができない教員に丸投げ、はいけません。事前に、『学習のための何か』の基準だけでなく、その例を示す必要があります。

 私が首相なら、テレビを使って授業をします。文科省に具体的な番組を作らせます。もちろん、政府主導の全体主義、画一的な授業にならないよう、日本各地の特色ある授業を放映する必要があります。第三者委員会も新設する必要があるでしょう。テレビ授業は『観ること』が中心になりますが、各地の素晴らしい授業を拝見できるなんて、本当にわくわくします。もちろん、依頼があれば私も全国放送の番組に出演します。そんなことを決断、実行できる立場の人は、やってみてくれませんか!

4月12日(日)
休校は数年続く可能性がある

 現在の基準で(緊急事態宣言を出して)休校をするなら、数ヶ月で再開されることはないでしょう。少なくとも1年、長ければ3年ぐらい考える必要があります。

 現在の対応策は、場当たり的でいけません。1年、2年、3年と続いた場合を想定しなければいけません。とくに、小学校6年生、中学校3年生など受験を控えている子どもに対しては、評価をどうするか考える必要があります。いっそのこと「内申点なし」という方法も考えなければいけないかもしれません。さらに、1年間を修了できるのか、卒業できるのか、という議論もなされる必要があります。

 前の『置き去りにされた子どもたち』で述べたように、各学校の先生(個人)に教材を作成させることは「義務教育」から置き去りにすることのように思います。それに気づいている人は、いったいどれだけいるのでしょうか。一刻も早く、1年後の子どもたちが困ることを具体的に予測し、対策を立て、実行に移して欲しいと思います。

4月25日(土)
名古屋市での夏休み授業は、論外
〜免疫力低下で、死亡リスクが劇的に高くなる〜

 4月の始業式(入学式)を終えてから今日まで、休校が続いている。それが今朝の新聞で5月末まで延長されることを知った。延長は想定内のことだったから驚くことはない。しかし、夏休みを短くして授業を行うことを検討している、というニュースにはビックリした。検討することは悪くないし、当然のことであるが、この騒ぎが始まる前の日本(とくに名古屋市)の教育現場・学校の環境を冷静に分析すれば、名古屋市において夏休みに授業が行えないことは簡単にわかる。

 現在、名古屋市の公立学校の普通教室にはクーラーが設置されている。設定温度は27度C程度で、ここまでの話なら悪くない。しかし、現実は違う。猛暑の歩道を30分以上歩いてきた子どもの体は汗だく&火照った状態で教室に入る。初めは冷風で体調が戻っていくが、冷風の吹き出し口から冷気が降りてくる位置に座っている子どもの体調管理は難しい。これは授業中も同じである。

 廊下は窓を開けていることが多く、外気温とほぼ同じなので、休み時間に35度Cのトイレに行ったり、体育で炎天下の運動場で活動したりすることは、体温調整力の低い子どもにとって危険である。さらに、名古屋市のクーラーは1時間ごとに強制停止される設定なので、室温が極めて不安定で体力を奪う(光熱費の問題ではない!)。一般家庭でも、室内においても熱中症になったり、救急車で緊急搬送されるニュースは最近よく聞かれるようになってきているが、同じことが学校でも頻発するようになることは、火を見るより明らかである、と伝えたい。

 そもそも、なぜ夏休みがあるのかを考えてみよう。日本(とくに名古屋)の夏の気温は高く、生命の危険が伴う。7月の理科室は35度Cを超えることはざらで、40度Cになることがある。証明する必要があるなら、毎日理科室の室温を測定し、このHPに掲載してもよい。ただし、それは子どもの学習環境改善の機運をつくることはできたとしても、数年前に「立場が悪くなる大人がいる」と言われているので、しない。私は責任(を取りたくても、責任)がとれない立場なのである(私は教諭という立場を自分の意思で選択している)。職務命令が出されれば、私はすぐに記録および公開をして、名古屋市の子どもたちに貢献したいと思う。なにしろ、理科室は冷房装置がないのである。同じように、技術家庭科や美術科の特別教室での授業ができない、と断言したい。どこかの市長が「設置率100%」と思っているとしたら、それは完全な誤りである、と言えよう。設置率100%という認識は無知、あるいは、理科や特別教室で授業を行わなければならない教科に対する軽視、とも言えるだろう。

 私は、理科室や特別教室へのクーラー設置を5年以上前から繰り返し主張してきたが、いまだできていないのだから、猛暑となる8月の授業は絶対にやめていただきたい、と強く主張する。死亡リスクが劇的に高くなる。理科室で子どもが死んだ場合、誰が責任を取るのか、その所在を明らかにして頂きたい。これは運動場、トイレ、下校途中でも同じある。いや、私がここで主張したいのは責任の所在ではなくて、子どもが死んでからでは遅い、ということである。それほど過酷な現実がある、という客観的事実である。現場に来くれば、死をイメージできるほど過酷な現実を体験できる。(蛇足であるが、子どもたちの授業時間は1時間でも、5クラス担当している私のダメージ時間は5倍である。58歳は若くないが、もう少しみなさんのために働きたいと願っている)

 繰り返そう。「夏休みは健康を考えた措置」である。そもそも新型コロナとは関係ない対策(=夏休み)なのだから、授業日数が足りないからといって「行う時期」ではない。最近の異常気象と名古屋の学校現場の現状を考えれば、「かなり無理」ではすまない。子どもの生命が危険、なのである。免疫力が低下するので、感染した時の重症化リスクが高くなる。夏カゼ(ウィルスによる病気)は治りにくいことを思い出して頂きたい。寒い時(季節)は暖かくすればよいが、暑い時(季節)は冷やさなければいけない。

 なお、名古屋市で授業時間を確保するなら、「土日祝の授業」だと思う。ただし、ブラック企業ではないのだから、勤務時間を守ることができるように、抜本的改善をしなければならない。改善項目は多岐にわたる。教員の過労死を防止する対策を事前に明示しなければ、若者からの教員不人気に拍車がかかり、日本の教育は落日を見ることになるだろう。なぜ、教員に人気がないのかを考えれば、そこ多くの解決策が見えてくるだろう。

空気感染の可能性はゼロなのか
 学校においてエアコンを稼働させてよいのか、空気感染で集団感染しないのか、私はそれが一番の問題だと思う。夏休みおける授業の是非を判断するのは、空気感染の可能性の是非である。

 今回のウィルスの空気感染の可能性がゼロであることを証明できなければ、集中管理方式の冷房装置を稼働させなければいけない名古屋市における夏休みの授業は断じて禁止、と訴えたい。これは、冬の暖房についても同じである。一般的に、ウィルスは寒い季節に流行するので、冬休みの方が危険であることを付け加えておきたい。

4月26日(日)
公立中学でオンライン授業はどうだろう
 風の便りで、オンラインで授業を始めた学校や国があることを聞いた。私立(民間)の学校は死活問題だから、すぐに対応したことは十分に頷けるが、今回の事件以前から対策がとられていたことを忘れてはいけない。また、国家レベルでオンライン授業をしていることろがあるとすれば、それは本当にITが進んだ国であるだけでなく、国民の教育に熱心な国であることを国内外に証明した、と言えるだろう。素晴らしい指導者たち、国民だと思う。

 日本を振り返ってみよう。日本でも、今回のコロナをきっかけに「学校と家庭をオンラインで結ぶ環境づくり」をしてはどうだろうか。他の国でできるのだから、日本でできないわけがない。できないと思うのは、そう思う人がいるからであり、そう思う人が上に立っているからにすぎない。できている学校や国があるのだから、私たちもやればできる! 絶対にできる。そのためには工夫と努力を惜しんではいけないし、失敗や批判を恐れてもいけない。

 ここで名古屋市の教育現場におけるIT環境を振り返ると、まるで真逆である。一例を挙げると、一昨年まではインターネットに自由に接続して教材研究ができたが、昨年からは専用の装置を使用しなければならなくなった。しかも、調べたことをプリントアウトできない(これは私の不勉強なのかもしれないが、私の同僚も同じように困っている)。もう1つ例を挙げると、学校HPに子どもの顔がない。個人情報を守る、ということであるが、名古屋市は日本の中でも顔が見えない率がかなり高い、と思う。理科室の学習環境もかなり遅れていて、子どもたちが得た実験データや観察データをワイファイで共有させたり情報交換させたり議論させたりすることができない。ワイファイで情報を飛ばしていけない、という決まりがあるのである(理科はワイファイ環境を整えるだけの国家予算が毎年、別枠で配当されているが、名古屋市は購入が禁止されている)。この決まりが数年以内に撤廃されなければ、「お粗末の極み」と言わざるを得ないだろう(私は名古屋に生まれて58年ここいる)。

 さて、オンライン授業のためにはたくさんの改革が必要になるが、できることからやるしかない。

 私にできることは、現場でしかわからない情報や真実を伝えることである。

 決定権と責任がある人は、 まず、お金がなくてもできる「意識改革」と「発想の転換」から始めると良いと思う。その第1ステップは、現場の声を聴くことである。必要なら現場に足を運ぶ。第2ステップは現場の声を聴く「姿勢をもつこと(第1ステップ以前)」ではなく、聴いたことの中からできることを「実践すること」である。第3ステップは個人情報は個人のためにあることを、肝に銘じることである。そして、新しいことを始めれば必ず足を引っ張る人が出てくるので、それを跳ね返す仕事をしなければならなくなるという「覚悟を持つこと」である(これが一番大変かもしれない)。第4ステップは、いよいよオンライン授業へ向けての準備となるが、私にはまだ、具体的アイデアがない。

 アイデアがなければ第1ステップである。すでに実践している学校や地域(国)を調べ、そこで指導的立場にある人たちと情報交換をすると良いだろう。

4月30日(木)
すべての学生にiPad(タブレット)配布
 〜場所を超えた教育、学習、情報交換のために〜
 10万円配布ができるなら、iPadも配布してあげましょう! 赤字国債という借金を長く背負うことになるのは、若者たちなのですから。彼らにこそ、予算を割くべきだと思います。

 私は、国民全員への10万円配布の真意がわかりません。「金のばらまき」によるご機嫌取り、とは一概に言えないほど逼迫した段階になってきているとも感じますが、それは無駄使いを厭わない人なら誰でもできる政策です。税金を集めることも、税金を配ることもタダではできないのです。10万円給付は、無駄な金と時間を使うことに他なりません。一律配布するくらいなら、初めから集めなければいいのです。そんなことをするなら、4月7日に提案したように、『消費税0はどうでしょう』にすれば良いのです。これは貧困層ほど恩恵が受けられる政策、です! 

 全国民にタブレット配布でもいいなあ! 10万円給付よりも安くて、将来性があります。いくつかの企業に巨万の金が動くと思いますが、そのタブレットに金の動きや経緯を掲載すれば良いだけのことです。全国民がタブレット端末を持てば、不良品多発&企業名(発注先)公開まで何日もかかったり1社忘れていたりするアベノマスク2枚配布(466億円)のような愚かなことはできなくなるでしょう。悪政の駆逐、も近づくと思います。

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2020年 3月 taka-note 2020年 5月

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