takaのメモ帳   2020年6月


2020年6月日1〜月日

2020年6月1日
40人学級の是非
 この時代、誰がどう考えてもアウトでしょう! 密! 私は10年以上前から25人学級を提唱しています。「小中学校のクラス密」解消について、文部科学省や教育委員会は動き始めているのでしょうか。私にはわかりません。議論しているかどうかすらもわからない、ということがアウト! だと私は思うのです。みなさんはどう思いますか。

 1つの教室に40人を入れるという状態、これを異常だと認識しているのかどうか、それすら私たちにはわからないのです(おそらく、国民を馬鹿にしているのでしょう)。壁際の子どもを壁にひっつくようにしても、隣席との距離は30cm〜40cm(2mどころではありません)。先生は、ジグザクに並んだ机にはばまれ、真っ直ぐに歩けない状態です。どう考えても異常です。

 この解決方法は「学級定員数を減らすこと」です。手順は簡単です。 まず、政府が「25人学級にする」と打ち出します。そして、各自治体や教育委員会が学校を教員を増やします。必要な金は、政府が出します。以上です。

 覚えていますか? あの失敗を。かつて児童生徒数が減ってきた時、学校を併合させていたことを。しかし、失敗を改めるにの遅いことはありません。しっかり反省して、正しい社会の在り方、将来を担う子どもたちと一緒に明るい未来が描ける社会を取り戻しましょう。

2020年6月5日(金)
名古屋市教員、トイレ清掃でコロナ感染危険
 名古屋市の小中学校教員は、毎日授業後、教室消毒だけでなく、トイレの清掃と消毒を行っています。危険です。清掃後のぞうきんや手袋などを使い捨てにする予算はなく、教員が校内で洗って干して再利用しています(自腹で清掃用具を購入している先生もいます)。万一、コロナに感染した場合、子どもたちへの感染リスクは計り知れません。中学校教員は1日5クラス担当することもあるからです。職務命令とはいえ、大変心苦しいです。清掃消毒によって、授業がおろそかになることも苦しいです。

 この追加業務命令の終了時期は不明ですが、「先生のコロナ集団感染で終了」となるなら悲劇です。また、本来の職務とは言い難い「業務増加」の事実は、教員になろうとしている若者の意欲をさらに低下させることになりそうです。

 現在、失業した人、仕事がしたくでもできない人が増加しています。公金は適切に執行、新しい雇用をつくるために使うべきだと思います。世の中には清掃や消毒の正社員として、社会のために働きたいと願っている人がいるのではないか、と私は思います。

2020年6月11日(木)
 コロナで新しい生活様式の模索を強いられ、私は公私ともに大衆に翻弄されているようだ。主原因は、私が免疫力(主に体力)維持、睡眠時間確保に気をとられていることだろう。

 私は多様な活動を同時に行っているので、内容の精選と質の向上は当然であるが、活動時間確保も欠かせない。最近、その絶対量が減ってきているので、当然、活動量が減る。それがストレスになっているのだろうか?! 最近、睡眠の質が低下している。これは熱帯夜だけのせいではない。これらの問題解決には「意識改革」が必要である。ああああ、当たり前のことを書いてしまったが消さないでおこう。そんな程度の生活をしている。

 公人として自分とクリエーターとしての自分。それらの両立に疲れを感じている、ということである。

ペンギンラッシュ – 高鳴り(Official Music Video) - YouTube
 これは私のビルで撮影されたミージックビデオで、この部屋は私が仮眠するためによく使っている場所です。また、ビデオにある無数の絵画はほぼ全て私が描いたもので、そのほとんどは30年以上前、私が絵筆を持って1年程のものです。興味ある方はご覧ください。 2020年6月10日公開。

2020年6月15日(月)
部活動再開で見えてきた、トイレ消毒命令の違法性
 名古屋市の小中学校教員は、毎日授業後、トイレ消毒作業を行っています。この職務命令は学校再開前から存在していましたが、いよいよ部活動再開にともない、違法超過勤務命令となる可能性が濃厚になってきました。コロナによる生命の危機だけでなく、超過勤務命令による生命の危機が高まってきたわけです。

 これを防止するためには、抜本的な改革が必要です。部活動とは何か。その定義や意義を見直さなければいけません。部活動を学校教員の善意(命と削ること)に任せる時代は終わりにしなければいけません。なぜ、若い人たちが教員になりたがらないのか、この機会に考えるべきでしょう。

 どこかの教育委員会は「子どもに消毒させている学校がある(先生がいる)」と学校(先生)に注意を促していますが、それよりも前から、「先生にトイレ消毒をさせている学校(教育委員会)がある」というクレームがあることを忘れてはいけません。そもそも、先生も子どもも「トイレ消毒」すべき立場の人ではない、のです。

 教室の消毒作業も同じです。なぜ、先生が消毒するのでしょう。先生が消毒しても良いのでしょうか。専門職でない先生が未知のウィルスで死んだ場合、先生の自己責任になるのでしょうか。教育委員会は、消毒の職務命令をしてもよいのでしょうか。教員はボランティアではありません。学校の先生は専門教科の免許をもった人です。その専門知識や技術を十分に活かせるような職場にするのが管理職や教育委員会の仕事です。子どもを大切にするのと同じように、教員も大切にしてください。

 教員の死亡により事態が変わる、ということだけは止めて欲しいです。

 論点がぶれてしまいましたが、部活動指導を教員に担当させるなら、時間確保しなければいけません。部活動は遊びでもボランティアでもありません(よね)。教育を目的としているのなら、それに似合う時間(金)を確保・保障しなければできない、と思います。

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 上の文章を書き終えて思ったことを書きます。

 昔むかしあるとろこに、「オレ(私)は○○部の顧問になりたくて、学校の先生になった」と豪語する男(女)がいました。その男(女)の部活動は厳しく、土日も休むことなく指導するので大層強くなり、とうとう全国大会出場を果たしました。子どもの親たちも大層喜び、「先生、先生」と持ち上げるようになり、先生も親も子ども大層天狗(てんぐ)になっていました。天狗というのは「鼻の高い山の神」を指す言葉ですが、ここでは「高慢な人」という意味です。周りから「次は全国優勝ですね」と世辞を言われれば、鼻のひとつまみでも高くなるというのが人情です。

 そもそも子どもは純真で、どのような方向にでもグングン伸びます。力のある指導者なら全国大会出場はそれほど難しいことではありません(私も専門外で県大会出場まであります)。しかし、全国大会出場は子ども本来の目的ではない(?)ことを忘れてはいけません。それは親や指導者の欲望や夢が膨らんで出てきたものです。

 もう1つ恐ろしいことがあります。それは、全国一になった顧問を重用する組織(教育委員会)があることです。教員の一義は「毎日の授業」であるはずです。授業を一流とする教員になるためには、すべてを授業に捧げる覚悟が必要です。部活動をリフレッシュの1つとして位置づけられる程度なら話は別ですが、無給残業60時間を超える先生には、そのように捉える余裕はありません。「部活さえあればいい」「学校の治安は部活でもっている」「荒れた子どもをオレ(私)が面倒みている」などと思っている教員(学校、教育委員会、各種組織)が存在しているなら、時代錯誤も甚だしいといえましょう。

 また、優勝や全国一番などという数値目標の設定は、学校教育の本質から外れています。最近、教員に自己評価させることが流行っていますが、それは良いことです。しかし、それに数値目標を入れさようとする教育委員会があると聞きますが、それは危険です。教育の本質を忘れてはいけません。あー、また論点がぶれたので、本日はここまで。

続きをどうぞ!
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