このページは、旅行記インドネシア2000夏です

  私の日記
          

  8月1日               
  ◎ タナトラジャ6日目 ==============
  午前:
葬式見学4<サクリファイス> トンドン村
  午前:
闘鶏見学2             ババ村
                     
ランテパオ泊
  ==========================

  夜中の2時頃だろう。アメリカ人2人(女)が帰ってきた。
  ドアをノックしている。今日で2日目。

  私は鍵を開けてやった。彼女達は「近くで話をしていたから」
  と言いわけしているけど、そんな事はどうでもいい。ノック
  するのをやめろ!、、、

  10分後、またノックだ。(私の部屋は、この家で1番良い
  んだけど玄関の隣、表通りに面している。主人は奥の部屋で
  寝ている。)

    開けたら、今度は男。

    「女が来たか?」
    「部屋はあっちか?」
  
    私は知らないと答えたけど、
    男は勝手に進んでいった。

  また、ノックだ。

  いい加減にしろ!と思いながら開ける。今度は野暮ったい奴。
  私は無言で部屋に戻ったが、彼はソファーで煙草でもふかし
  ているのだろう。

    私は部屋の鍵を確認して目を閉じた。

  7.00 朝起きてから、遊び惚ける若者と、この宿の家庭を比
  較した。この家には赤ちゃんとパパとママがいる。大きな家
  なので、ソラとその友人が遊びに来る。両親とも仕事を持っ
  ているが、それ以外にも、私の様な旅人にレンタル・ルーム
  しているから副収入もある。とても安定した生活だ。だから、
  私が赤ちゃんに「パン1つ」あげても喜ぶのは、貧しいから
  ではなく、変化のない安定した生活へのアクセントとして喜
  んでいるのだ。平凡だけど、他人の気持ちが分かる素敵な生
  活。小さな喜びや感動を感じる生活。結局、私はこの家に6
  泊した。

    それから、朝食をビデオにとった
    5000ルピー+コーヒー1000ルピー

  8.00 出発。と思ったら、ソラが「セレモニーは11時から。」
  と言うので、彼の知り合いのレストランまで彼の朝食につき
  あった。彼は5000ルピーで豪華なチキン。私より遥かに良い
  ものを喰っている。コーヒーをサービスしてもらったけど変な
  気分。

  彼の朝食後、ベモでBolu(ボル)村→ Maranteo(マラン
  テオ)村。そこの小・中学校を見学してからTondon(トン
  ドン)村の葬式会場まで歩く。

  → Maranteo(マランテオ)村のスナップ
  → 
小学校のスナップ

  
  (上:水田で水浴びする水牛を見て、)
    あー、これが水牛だなあと思う。
  

  葬式見学4<サクリファイス>
  喪主に煙草1カートンをプレゼントしたものの、(ソラが煙
  草の品質を落としたのではないか? つまり、1番高価なマ
  ルボロを買うため彼に4万ルピー渡したが、安物を買って金
  を浮かせたのでは?)と疑ってしまう。(私もセコイ人間に
  たなってきた)

  
  (上:やっぱり見ちゃおれん。けど一撃で。これが10頭。)

  
  (上:皮を剥がされ、人間が喰う。)

  歓迎のコーヒーを飲みながら、家族の少女(とはいっても2
  1歳の大学生、ウジュンパンダン)と話をした。彼女は「ど
  うして、昨日来なかったの?面白かったのに、、、」
と質問
  したが、なるほど今日はつまらない。小さな水牛を10頭ほ
  ど殺るだけ。おまけに、無礼者のアメリカの素人カメラマン
  の団体さんがウロウロ、ウロウロ。彼女に言わせると、昨日
  は地方から沢山の家族が集まり、豚を殺って盛り上がったそ
  うだ。こんな話をすると、ガイド「ソラ」の信用はますます
  落ちるけど仕方ない。こうした葬式情報を入手するのは至難
  だし、その辺の人も教えてくれるけど、その規模までは分か
  らないから。

    さて、他に何も起こりそうにない。

  このまま1日が終ってしまいそうだ。もし、12時までに昼
  食が出たら、そして、もう少し天気が良くなってきたら、昨
  日のババ村に行こうかなと思っている。もちろん1人で。だ
  って、いいロケーションだし、とってもフレンドリーだし、
  昨日楽しかったから。

  
  (上:水牛のパピヨン。竹に肉と血を入れ、バナナの皮でふ
     たをして蒸し焼きにした料理。)

  

  (上:私の後で、食事の準備。パピヨンを盛り付けている。)
                    もっと大きな画像


  (上:昼食を待つ人々。私もその1人。)

  
  (上:米が配られる。女40人ほどの行列だった。)

  
  (上:そのうちの1人。美しい女性を撮影した。)

  ===

  さあ、ベモに乗ってババ村に行こう。もちろん1人で。今日
  は鶏闘をやると言っていた。


 (上:運転席フロントは、鉄板のみ。計器類一切なし。オーディオだけ。)

  

  14.30 ババ村に来た。
     (ベモで1000ルピー、15円)

  ここは落ち着く。自分の村みたいな気がする。鶏闘を見た。
  やっぱり良い。最後に、棺の置かれた建物に登っていったら、
  階段の途中でサイレンが鳴った。
  
ううぅぅぅ
  何だろう?と振り返って見ると、全員、私を注目している。
  どうやら、携帯スピーカーを持った喪主が、「不法侵入者発
  見!」などと冗談を言っているようだ。私は「がおー」と応
  えた。やっぱりそうだった。ここは楽しい村。何たって、3
  日連続で日本人が訪ねてくるんだから。

  さて、この梯子(階段)を登れ!と催促したのは、喪主の娘。
  つまり、死者からみて孫娘である。この娘は、イリアンジャ
  ヤのジャヤプラ(これから私が行こうする場所)の大学に通
  っている。そして、この葬式のために飛行機で帰ってきたの
  だから、大した金持ちである。

  
  (上: 梯子に登って中央広場を望む。)


  (上:中央は棺。おばあちゃんが入っている。周囲は孫娘達。)

  ◎ 鶏闘 一口メモ
 写真左: 闘わせる前に、互いの頭を突つかせ興奮させる
 写真右: 足首につけれらたナイフの一撃で、命を落とす
 

  ◎ 水牛達の翌日
  写真下のように、皮だけになっちゃった
  

  ===
  ===
 

  17.00 ベモを降りてすぐベチャ(箱付き自転車)を拾い、
  WR. TRISNO(ワルーン・トリスノ)へ。

      Nasi Camper(いろいろ飯)とティー
      満足。

  18.40 停電
      でも、どおって事ない

      昨日もあったと思う
      街はキャーと喜んでいる

  

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私の日記 8月2日

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