このページは、旅行記インドネシア2000夏です |
私の日記
8月9日 (快晴)
◎ ワメナの祭=====================
ワメナ(乗合いタクシー)→ スゴクモ村(3時間歩き)
→ ミニモ村
・ ワメナの祭見学
ワメナ泊2
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(上:ワメナの祭から。先住民の人達と)
5時20分、
早く寝たので早く起きてしまう。
そのままベッドでもそもそしてたら
6時半になった。
洗濯物を取りにいったつもりが、そのまま朝食になる。ホ
テルの男が準備してくれたからだ。朝食といっても、暖か
いコーヒーとパンだけだが、折角だから湯気のでているう
ちに飲む。
通りに出ると、すでに大勢の人々が行き来している。
ぼやぼやしてはいられない。今日は自力でミニモ村に行くつも
りだ。昨日、お祭をやるとの情報を得たからだ。
7時10分。
荷物をホテルに預けて出発。ピーナツバター・トースト、コー
ヒー、湯で卵の朝食は、さほど悪くはないが、今日は村に泊る
かも知れない。だから、ワルーン(大衆食堂)で、鶏飯を無理
やりつめ込んだ。
お世辞にも、うまいとは言えない。空腹なら違う感想だろうけ
ど、散々に灰が入った水で炊いた飯は、喰えたもんじゃない。
それに、やたら「チリ」を使うのは、舌を麻痺させるのが目的
かと疑ってしまうほどだ。
斜め向かいに座っている夫婦のうち、妻のほうは、ビートル・
ナッツで口の回りが真っ赤だ。それを見ていると、ナッツでい
かれた舌では、辛ささえ感じないのではないか。さらには、味
覚なんていらない。胃袋があればいいんじゃなかと思ってしま
う。胃袋で味わうんだ。彼等が非常にゆっくり食べるのは、鈍
感な胃袋の神経に合わせているのか。それとも、あまりにまず
いからか。あるいは、全て「チリ」で麻痺しちゃったのか。
それから、非常食としてビスケット1袋(2000ルピー)
を買った。水は水筒いっぱいあるから大丈夫だろう。
村への装備:
モスキートネット、スリーピングバッグ、羽毛ベスト
8時40分、タクシー出発。
乗り場では40分待った。
そこで、エランと出会い、これから2日間行動を共にすることに
なる。彼は43歳のアメリカ人で、4、5年おきに長い旅に出か
けるそうだ(今回は8ヵ月の予定)。今は看護士をやっているけ
ど、軍に勤めていたこともあり、エチオピア、エジプト、スーダ
ン、沖縄、北海道にも半年いたらしい。そして、ラッキーなこと
に、本土アメリカからハワイまで軍用機で行ける(10$)らし
い。(インチキ臭いけど、日本の自衛隊も同じなのかなあ。だと
したら許さん!!)
9時20分、Sugokumo(スゴクモ)村着。
だけど祭は、やっていない。
「どこだ、どこだ」
と踊って見せたら、今、通り過ぎてきたMinimo(ミニモ)村
らしい。
「なんで、もっと早く教えてくれないんだ」
と思うけど、地元の人々は『祭』に興味がないし、日米2人組
観光客にも興味はない。まして、彼等が祭に行くなんて想像で
きないわけだ。(もちろん、言葉が通じればこんな失敗ないん
だけど、、、)
さて、私達は早足で歩き始めた。乗ってきたタクシーは、
満席。地元民が我先にと「すし詰め」を作ったから、どう
にもならん。歩くしかない。
途中タクシーが5、6台通過したけど、やっぱり満席で、
運転手は、片手をひらひらさせて行ってしまう。
うぐうぐぐぐ。
(上:もう堪忍してちょ!の写真)
ミニモ村はすぐ近くか、と思ったら90分歩き、さらに、つり
橋を渡って90分歩いた。さらに、悪いことには、あまりに早
く歩いたのと、荷物が重かったので、左足に水豆ができた。糞
ったれ!!
バンドエイドを貼り、靴下をはいた。旅は1人のほうがいい。
と、またまた思ってしまうけど、道中不安でないことや、たく
さんの情報を手に入れることできるし、、、
11時50分。
やっと会場についた。
マイクで何やら話をしているから、まだ、始まっていない
かも知れぬ。そらから、入り口で「WELCOME!!」と言
われたときは、本当に嬉しかった。ぶっ通しで歩いてきた
らね。
すでに、たくさんの観光客がいた。40人ぐらいかな。中央テ
ントに椅子があり、軍人やポリスと一緒に『白人』が見物して
いる。エランと私も偉そうに中央を陣取った。
(上:弓で豚を殺す儀式)
(上:成人式で、少年の頭に貝を載せる)
(上:口琴を演奏するローカル)
(上:若い女性たちの踊り)
一番前の『芝』に座る。特等席だ。豚を弓矢で殺したり、戦い
をしたり、成人式、口琴の演奏などもあった。しかし、部族の
人々(男)はコテカを着用せず、ショートパンツをはいている。
まったく興ざめだ。女性の姿はほとんどないし、警察と軍に統
制された、あるいは、強要されたステージといったところだ。
一言で言えば、つまらない。エランも5年前に比較して、全く
つまらんと言っていた。
(次は、エランの話)
当時の参加者数は、今日の約2倍。ほぼ全員がコテカを着用し
ていた。また、10日間かけて、完全なローカルが民族衣装と
戦闘用具を持って集結したそうだ。宿に帰ってから写真を見せ
てもらったが、なるほど本物だと思った。だって、今日の「祭」
なんかは、ローカルの女性が正面を悠然と知らん顔して横切っ
ていくけど、その方が、余程魅力的だから。
(上:戦闘の儀式。ショートパンツ着用)
15.00 最後に、ツーリストオンリーの弓大会があって、その
後、流れ解散。せっかく泊まる準備もしてききたけど、興ざめ
著しく帰る。NAYAKホテルに滞在しているツーリストのバ
スをヒッチしたので、あっという間に戻った。
16.00 部屋がないので、エランのところに転がり込んだ。
44000ルピーをシェアする。荷物をベモでトレンディーホテル
まで取りにいき(1000ルピー)、ぼったくりコーヒー(3000
ルピー)を飲み満足している。そうそう、エランはノートパソ
コンを持って来ていて、高画質の画像をノートにダウン。そし
て、CDに焼き付けている。やるなあ。
それから、一緒に夕食。ホテルに帰って今後の計画を練る。
23.00 消灯
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