このページは、旅行記ミャンマー2000冬です

  私の日記
          

  1月1日                (晴れ)
  ◎ インレー湖 4日目 ====================
  終日: ボートで村巡り3
    ・ チョップテイン市場 chop tein
    ・ ナンバン・バゴダ  nampan
    ・ タウン・トゥ−村  tung to
    ・ 温 泉
                          ニャウンシェ泊4 
  ================================

  5:45 起 床

  7:00 朝食は出てきたけど、モンミューが来ない。
  
       今日はインレー湖南端の村に行くので「7時に出発しよう!」
       と約束してあったのに、昨晩ビールを飲み過ぎたのかなあ。
       早く来てよー。朝市の良い時間帯は7〜8時なんだから。
  
  7:20 出 発

  
  (上: 日の出)

     今日は21世紀の初日の出であった。
     思い出したように写真を撮った。

     太陽は人類全ての神である、
     と柴山さんが言っていた。

   

  9:00 チョップテイン
  
  (上:完全なローカルだ)

     最盛期に来た。

     もっと早い方が、遠くから市場にきて準備をしたり、また、並べて
     いる途中の人から買い物をする風景が見れて面白かったろう。

     私が来た時には、すでに帰ろうとしている船とたくさんすれ違った。

  
  (上:昨日までの雰囲気とは全く違う。
     ツーリスト用のお土産ショップが1つもない。

     パオ族の人々もたくさんいる。

  
  (上:その食べ物は50K(13円)。
     隣の人に赤メシをもらって一緒に食べた。

  
  (上:市場の外れには、床屋さん。)

  
  (上:船に米を積み込む。)
     牛車でボートまで運ぶ。
     こんな泥地をらくらく歩けるのは、牛ぐらいだろう。

もっと見たい人
→ チョップテイン市場

  11:30 出発

  モンミューが「どうする?」と尋ねるので、「小さな村を回ってくれ」
  と頼んだ。

    近くの大きなモノストリー見学
    12:00→12:30

      ツーリスト用の「かじ屋」見学  
      
ツーリストを見る。

  イタリア人の団体だったけど、さかんに買い物していた。ひとりの女性
  は、このかじ屋とは関係ない「真鍮のヤカン」を15ドルで買おうとし
  ていた。本気になっているので、店員は20ドルからの値引きに応じな
  い。

  そもそも、あのヤカンの値段は2ドルだと思う。イタリアからのビッグ
  な鴨だから、双方必死である。私のようなウォッチャーがいても、誰も
  気にしない大繁昌のかじ屋である。

  たいそう太っ初老の男性が、ローカルな巻たばこを1本貰い、火をつけ
  た。頷きながら、もっと太った厚化粧(ブルーのシャドー。長い付けマ
  ツゲ。ピンクの口紅)の奥さんに一口勧めたけど、彼女はタバコにも「
  かじ屋」にも興味がない。早く帰って、西洋フードが食べたいのだろう。


  

  (上:のみで、鉄を削る)
     鉄より固い鉄は、どうやって作ったのだろう。
     のみには、 made in indiaと書いてあった。

  ナンバン・バゴダ
  

  (上:ミャンマー人も、寺巡りを楽しんでいる。)

  
  (上: 本 尊)
      宿にかえってから、モンミューにこの画像を見せた。私からす
      れば、どこの仏像か分からない。ほとんど同じに見えてしまう
      し、村々には数知れないほどの仏像がある。

      「どこの村の仏像か分かる?」

      そしたら、自信をもっても即答だった。
      「ナンバン村。」

  タウン・トゥ−村
  

  (上:いい感じの村だった。)

    それかも、いくつか小さな村を回った。

    ツーリストの来ないようなところは、左右の窓から子供が手を振る
    ので、まるで、天皇気分。

    「た、たー  (さようなら)」
    「はろー   (こんにちは)」
    「ミンガラバー(こんにちは)」
    

    手を振り、挨拶しながら、ゆっくりまわる。

  ========

  14:21 ボートの上で記す
  たくさんのパゴダやモノストリーでお辞儀してきた。両手をついて頭を
  下げて御挨拶する。自然に、何も意識せずにできるようになった。日本
  にいると、頭を下げてお辞儀をするものの、不自然さがつきまとう。生
  きた文化ではなくなっている気がする。「とりあえず、頭を下げる」文
  化が失われている。アメリカなら「とりあえず笑う」文化に相当するだ
  ろう。

  最近の日本のお辞儀は、商売が絡んでいたり、相手を見下げているよう
  な印象を受ける。中学生については、まっすぐにお辞儀をすることがで
  きないと指摘されるが、これは「自分が1番えらい存在だ!」と錯覚し
  ているのが原因だ。「あいつの方が頭がいい」と思っていても頭を下げ
  ない。そいつが知っているなら、頭を下げて「教えて下さい」と言うの
  が当然である。
<比較>ミャンマーでは、人に対して頭を下げない。
  ただし、物を渡すとき、必ず右手に左手を添える。

  塾では金を払って教えてもらうけど、「教えてもらうこと」より「金」
  の方に価値が存在するので、塾の先生が「いらっしゃいませ」なんてや
  っている。ひどいところだと、真夏にネクタイを絞めた若い先生が汗だ
  っくになって生徒に頭を下げる。これは「教育」以前の問題で「あほ」。

  私たちはとても大切なことを忘れている。

  ミャンマーでは無理矢理、仏様の前で頭を下げてきたけど、7日目にし
  てようやく自然に下げれるようになった。みも知らない僧侶に両手と頭
  を下げれるようになった。こうしたことを無条件にできるようになった
  今、私は第2の発見をするだろう。楽しみだなあ。どんどん頭を下げよ
  う。

  温泉(2回目)
  昨日は石鹸で白濁した露天温泉だったので、今日は1ドル払って奇麗な
  温泉に入りたい。タオルと水着も用意してきた。
  

  (上:有料の温泉施設。パゴダから写す。)

  <感 想>
  もう、イヤ。堪忍して!

  少年がサンダルを洗っている。そんなところで、ゆっくりできるわけが
  ナイ。地元の人は気持ち良さそうに入っているけど、スウェーデン人は
  「いい気持ち」と言っているけど、、、

  
  (上:昨日、私の入った露天風呂は温水プールに化していた)

  
  (上:女湯はなんだかほのぼの、何してるんだか。)

     ===

     こうして、ボートツアーは終了。

    17:15 
    もっと早く帰るつもりだったのに、昨日より遅くなった。

  17:50
  リンリンが「夕食を食べよう」と呼びに来た。

  さっそく出かける。

  まず、彼の両親の家に案内された。
  (ここからの画像は、誤って消してしまいました)

    そこはテレビのある大きな家で、近所の子供が7、8人集まって
    いた。両親、祖父母に紹介され「ミンガラバー」。笑顔で握手を
    交わした。

    お茶と海老せんべいが出てきて、「この先どうなるのだろう?」
    と思っていたら、場所を移動することになった。昨日と同じモン
    ミュの家である。

  ロウソクだけの家だけど、暖かい雰囲気に包まれる。奥さんのトショ
  は、今日も朝から調理していたらしい。「どうも、ありがとう。」ビ
  ールもたくさん飲んで、とっても楽しい晩餐でした。

  そうそう、赤ちゃんのポンポンは新品の青い服を着ていた。それは、
  私が昨日プレゼントした10ドルで買ったそうだ。うれしいな。

    ===

    宿への帰り道、Pyi Gest House に立ち寄った。たくさん客
    が集まった夜には、ミャンマーダンスを行うそうだ。今宵は魅
    惑的な音楽が聞こえる。

    地元の人達の垣根ができていたけど、その上から十分に楽しん
    だ。シャン族の女性の踊りや、山羊の着ぐるみの踊りなど、レ
    ベルが高い。

    最後にツーリストと一緒に踊る場面になり、地元民が一斉に帰
    り始めたので、私たちも帰った。

  22:00 消 灯  

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私の日記 1月2日

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