このページは、旅行記ミャンマー2000冬です |
私の日記
1月6日 (晴れ)
◎ バゴー =========================
(夜行バス) →8:00バゴー
<自転車でパゴダ巡り>
・ シュエモード・パゴダ
・ ピンタゴン・パゴダ
・ シュエターリャウン・パゴダ
・ マハーゼディー・パゴダ
・ シュエグーガラー・パゴダ
バゴー泊
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8:00
「バゴーに着いたよ。」と言われたけど、降りたのは乗客70人
のうち私だけ。辺ぴな所に降ろされたものだ。場所が分からない
ので、サイカーに200K払ってホテルまで連れてってもらう。
8:30 エンペラー・ホテルにチェックイン
・ ダブルベッド
・ エアコン
・ トイレ・シャワー
・ 5ドル(2000K)
・ 川のそば。鉄道駅の西徒歩7分。
トイレに入ると下痢をしている。ミャンマーに来て初めて。メイ
ティーラの街は臭いくさいと思っていたけど、やっぱり腐ったも
のを喰った。
9:40まで仮眠。
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それから、自転車を借りて走る
(200K)
シュエモード・パゴダ
ヤンゴンのシェエダゴン・パゴダより高い(144m)ので、ミャンマ
ー国内で屈指。なお、次に訪るピンタゴン・パゴダと全長500mの参
道でつながっている。
(上:外国人もミャンマー人もたくさん来ていた。)
入場料2ドル(FEC)を払う。私は、バゴー全域の共通券を6
FECで購入したが、結局、こことシュエターリャウンで使った
だけで、あとのパゴダは無料だった。2FECの損。
(上:本尊の顔は金ぴかてかてか。)
後ろに控えるパゴダには、ブッダの聖髪2本が納めらている。
(上:正面から撮影)
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次のパゴダへ自転車を走らせている途中、スピーカーで何かを訴えて
いる僧侶の列に出合った。
(上:大きな団扇は「日よけ」になっている)
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ピンタゴン・パゴダ
「9時半から4時まで、ここで祭りをやっているよ。」の情報を信じ
て来たけど、何もない。さっきの「僧侶の列」がそうだったのかなあ。
余談であるが、こことさっきのパゴダで16時まで昼寝。
調子が悪い。胃も腸も活動していない。昨日の昼から食べていな
い。点滴代わりに、ビタミン剤や各種ドリンク(豆乳ジュース、
コーラ、ビタミンetc)を使用している。
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自転車で移動していると、またまた面白いものに出合った。
(上:道行く人や車から、パゴダを新設するための募金をしている)
私も少々寄付しました。
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シュエターリャウン・パゴダ
午後4時半。パゴダ前の小さな市場を撮影。
この時間帯の光線は、撮影したくてたまらない。
(上:女の僧侶を見た)
今まで「珍しい。」と思っていたけど、パゴーに来てから良く
見る。
(上:瓶を撮っちゃった)
並んでいるジュースは当然暖かいけど、屋台の下に氷りで冷や
されたものがある。35K/本(安い)。これまでは50〜60K
だった。他の店でも同じだった。
(上:全長55mの巨大な寝釈迦仏)
なるほどデカイ。机に座っている2人のお姉さんは、外国人
から集めた入場料を計算ししている。
(上:寝釈迦仏の後ろは、その歴史レリーフがある。)
(上:入口にあった「歴史画」。)
昔、ブッダがここに来て、・・・
こんな空想画は、夢があっていいなあ。
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マハーゼディー・パゴダ
(上:ピラミッドを思い出した。)
太陽に近づきたい。
1cmでも高く登りたい。
写真には、小さく月が写っている。
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シュエグーガラー・パゴダ
特に見るべきものは無かった。
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18:10
宿に帰ってシャワー、日記を書く。
19:24
腹は活動を再開していないので、もう少ししたら妙薬「ビール」を服用
しよう。
気分的には、航空券のリコンファームも完了したし(200Kでしてもら
った)、明日の10時半発「ヤンゴン行き」の鉄道チケットは1時間前
から発売することも分かったし、旅の最終プランができ上がって、いい
感じ。
21:05
ほとんどの店がシャッターを降ろし、ビールが危ない。閉店だ。
だけど、生ビールを飲ましてくれる店を見つけて飲む。旨い。中ジョッ
キがあっという間に空になった。お土産にミャンマービアーを買う。栓
も開けてもらう。
21:30
部屋に戻って、日記をしたためる。
病んだお腹に、ビールはやさしい。
続きをどうぞ!
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