このページは、旅行記ミャンマー2000冬です

  私の日記
          

  12月30日                (晴れ)
  ◎ ニャウンシェ2日目 ====================
  終日: ボートで村巡り1 
    ・ インダイン村(indein)
    ・ ポエサーコン村(pwezagon)
                          ニャウンシェ泊2 
  ================================

  5:00 起 床 

  8:30 ボート出発

       ちょっと走って入域料3ドルを払う。

  それから、ぼやぼや走っているけど、湖ではなく、幅15メートルの
  水路のようで全然面白くない。

  Macを取り出し、日記をしたためる。
  これはボートの上で書いている。4、5人乗りのボートに私一人。ぜ
  いたくの限り。他の人に声をかけてシェアすることもできたけど、や
  めた。再両替え不可能な外国人専用通貨FECが余っているからだ。
  と、ここまで書いたら景色が広がった。

  8:52
  湖底からぼさーっと水草が生えていてる。気温が低いので色も悪い。
  「インレー湖は浅い」とガイドブックにあったけど本当だ。

  ああ、だんだん寒くなってきた。上は長そでに羽毛ジャケット、下は
  ズボンにウインドブレーカーを重ねているけど、朝コーヒーを3杯飲
  んだためだろうか、トイレに行きたいよ−。

    9:18 
    あれからウインドブレーカーを着てちょっと収まった。だいたい、
    「トイレに行きたいよ−」なんて書いてはいけない。そんなこと
    しらた、本当に行きたくなっちゃうー。

    9:21
    おっ、左にターンして、やや大きな水路に入った。インダイン村
    に行く。何があるかわからないけど、楽しみ。ツーリストの行か
    ないところだと言ってたから。でも、なんだこりゃ! 水路の両
    脇に青、黄、赤の旗。潰れた水上ホテルもある・・・

  10:00 インダイン村着

  ひどい量の土産物屋が並んでいる。これは、まいった。とりあえず、
  パゴダがあるそうだから行くしかない。もちろん、その前に竹やぶで
  すませました。

  インダイン・パゴタ
  長いながい階段を登っていく。
  めっちゃ良い感じ(写真下)で御機嫌になる。
  
  (上:700メートル以上続いていると思う。)
     床はレンガだったり、石膏だったり、板張りだったり。
     天井はトタンが貼ってある。

  200メートルぐらい歩いたところで、左手に荒れ果てたパゴタの群
  れ。いったことはないけど、カンボジアの遺跡はこんな感じなんだろ
  う。
  
  (上:頭がごろんと転がっている。こんにちは、って感じなんだけど)

  他にも、思わず日本に持って帰ろうかな(泥棒)と思ってしまうほど
  素敵な仏様の御足など、たくさん転がっていた。

  ===

  本堂に着いた。
  キラキラしている。
  ニャウンシェと同じように、壁一面が鏡のモザイク。
  
  (上:仏様の前で茶を飲む人々)

  さらに奥に進んだ。
  うろうろした。
  とにかく良い(写真下)。
  
  (上:壊れかけたストゥッパの群れ)

→ もっと見たい方
(インダイン・パゴタ)

  13:45
  今は、今日最後の村に向かっている。それにしても、僕のMacは可哀相。
  直射日光を浴びながら、これって液晶に悪影響あるんだろうか。それに、
  太陽のもとで見るとずいぶんスクリーンに傷がついているし、本体も傷だ
  らけ。以前、ノートパソコンなんて消耗品ですよと言ったことがあるが、
  まさに激しく磨耗している。

  
  (上:同情してたら、細い水路に突入)
     水しぶきは、ちょっとやばい。

  ヘヤーヤーマー村
  大きな寺院が見えたので「止めてぇー」と言って止めてもらう。
  
  (上:建物の造りは大雑把)
     例えば、屋根の先端部は「トタン」を打ちつけてあるだけ。
     ミャンマーの人は、全体像をつかんでから作り始めるのではなく、
     とりあえず手許にある材料から作り初める?

  
  (上:水上家屋のむこうに、さっきの寺院を望む。)

  うろうろ散歩していたら、「おいで、おいで」と手招きされるので、
  そのまま家に入る。バナナとお茶がでて来た。子供がもってきたの
  で、お返しに5Kを差し上げた。姉さんと弟に1枚ずつ。喜んでい
  た。

  お母さんがツーリスト用のかばんを作っている(写真下)。出来上
  がったものは『いかにも』なんだけど、両足でぎっこんギッコンや
  って、毛糸の色を1つずつ変えて織っている。
  

  次に、主人が来てバナナを勧めてくれた。もらわない訳にはいかない。
  1本もらう。「大きな家ですね」とジェスチャーを交えた日本語で話す
  と、2階を案内してくれた。巨大な仏壇、その上には40cm×60cm
  の写真(お坊さん)が6枚も飾ってある。

  
  (上:2階から階段下を写す。)

  長居はいけない。
  さあ、出発。

  
  (上:ふたたびインレー湖を快調に飛ばす)

  右に曲がり(湖の西岸)、ポエサーコー村をめざす。細い水路を10分。

  ポエサーコー村
  ここは、ボートドライバー「モンミュー」の生まれた村で、写真下は叔父
  さんの家である。大きくて清潔。さっき、ヘヤーヤーマー村を1人で歩い
  た時は汚い家が多くて驚いたけど、きれいにしている家はきれい。

  お茶と米せんべいを御馳走になった。
  

  小さな手漕ぎカヌーに乗り換え、村巡りに出発。
  船頭は10才ぐらいの少年2人。
  
  まず、巻きタバコを作っている家を案内されたけど、働いていたおばさ
  んやお姉さんの笑顔が商業的なので、こちらまで同じような顔になって
  しまった。「写真をとられることで、非日常的なチップをもらっている
  のかなあ」と思う。ちなみに、彼女たちは1日で700-1000本/作るが、
  売り値は250K/150本。

  ===

  がっかりしている私を見て、モンミューが「モノストリーに行く?」と
  言った。「うん」と答えた。

  

  この村の本尊(写真上)は子供のようだ。小さな仏様が5体、大きな台
  座の上に座っていた。私はミャンマー式に挨拶し、賽銭を入れた。この
  国の宗教文化を受け入れて5日。心の思いは、「全ての人々が幸せにな
  りますように。」「この国の人々が幸せになりますように。」「今ここ
  にいる人たちが、いつまでもこの宗教を続けられますように。」

  
  (上:本尊の横には、面白い車が置いてある)

  トリの形を車。
  エンジンはないから、祭りのとき押して歩くのだろう。

  ぐるっとひと回りすると眠たくなってきた。
  ここでも数人のグループがあちらこちらでうたた寝し、さっきの寺でも
  そうだった。「もっと、掃除をしたほうがいいんじゃない」と思うけど、
  昼寝の時間なので私もごろん。そしたら、モンミューが入ってきて「そ
  こはいけない!」と注意した。みんな仏像に足を向けて寝転がっている
  から、どこでも良いのかを思ったら違った。とりあえず、仏様の横から
  ならいいようだ。

  目を閉じてしばらくしたら、自分の「ふがっ」という音で目が覚めた。
  びっくりして時計をみたら、10分間の睡眠だった。
  
  
  (上:モノストリー前でバレーボールをする青年たち)

  モンミューが「ココナツを買いに行くけどついてくる?」と言うので一
  緒に行く。5分ほど歩くと椰子の木が5本生えていた。少年がするする
  っ、と猿のように登ぼり、ココナツの実をもぎり取り、下に落とした。
  「ドスっ」。
  ものすごい音がして、柔らかい土にめり込んだ。あたったら死んじゃう。
  2つ目からは、水の中に投げ入れた。こうして手に入れた「ひと房」の
  11個のうち、2つは割れた。もちろん、中に入っている水は飲んだ。
  穴を開けるのは簡単だ。てっぺんについている花柄を引っぱり、こそを
  こじ開ければよい。勢い良くやると「ばびゅっ」と顔にかかる。その後、
  棒でたたき割り、中の白身を食べようとしたけど若くて食べれなかった。

  再び、2人の少年の漕ぐカヌーに乗った。

  
  (上:貧しい家のようだけど、)
     外国人観光客が来るまでは、これが平均。もちろん、大きな家
     に住んでいる人はいたけど、貧富はない。貧しい人はいない。
     物をもらっても「ありがとう。」と言わない。金に価値は存在
     しなかった。
     

  

  

  とある大きな家についた。「モンミュ、何をするの?」と思ったら、モ
  ーターボートの舵を見たいと言う。オーナーに「舵とプロペラの中古を
  探せ」と言われたらしい。

  普通の観光客だったら、「おい、こら!」と怒りたくなる状況だけど、
  私が「好きにしていいよ。」と言ったから。さっき、ココナッツも運ん
  であげたし、、、

  この倉庫には、もう使わなくなってクモの巣が張り、それに大量のほこ
  りがたまって、クモさえ住めなくなった古い農作業器具がいっぱいある。
  その中に埋もれている中古品から、使えそうなものを探し出そうという
  わけだ。少しつき合ったけど、さすがに汚いので散歩に出かけた。

  
  (上:「こんなボートを手に入れるのが夢」と話すモンミュー。)
     全長15メートル。20人は乗れる。300ドル

  ===

  1人で散歩に出かけた。

  畑に水をやっている親子がいた(写真下)。

  

  土を見た。初めて土を見た。「農民にとって、土は命」のような意味の
  言葉を聞いたことがあるけど、こんなにかたい土を耕して、種(ピーナ
  ッツ)を植え、バケツで水をくんで1つずつ掛けていく姿を見ると、ま
  さに命を注いでいるようだ。こうして、何年も何年もかけて土が成長し
  ていくのだろう。

  穀物(野菜)にも人にも優しい土が育っていく。彼らは裸足で作業して
  いるけど、自分の分身なんだから当然だ。僕なんか、サンダルで2、3
  歩歩いてしまい、大変失礼なことをしてしまったと恐縮している。

  
  (上:ピーナッツでした)

    倉庫に戻ると、モンミューは待っていた。

    カヌーに乗る。
    少年達が片足で漕ぐ。
    モーターボートに乗り換える。

  ===

  出発。

  モーターボートは快調にインレー湖を飛ばした。

  
  (上:湖に網を張る人)

  
  (上:漁を終え、家路を急ぐ人々)

  ===

  17:26
  インレー湖の山陰に太陽が沈んだ。
  これからじっとしていれば、美しい黄昏が始まるかもしれないけど、今
  日はこれで十分だ。

  今は帰りのボートの中で書いているけど、寒い。朝と同じようにフル装
  備の重ね着をしている。

  ボートめぐりの感想は、午前中は「かったるい」だったけど、この時間
  まで散策すれば「たっぷり遊んだ」に変わる。さっき、日没を待つ時間、
  モンミューに、明日の夕食を招待された。外人を招待するのは初めてだ
  そうだ。

  面白そうなので、もちろん行く。少し材料費を出してやりたいので鶏1
  匹の値段を聞いたら、700K。これは5年前が300Kだったことに
  比べて、異常なスピードで値上がりしたことになるが、その原因は観光
  客が増えたこと。大きな責任を感じるけど、私の力ではどうしようもな
  い。また、魚の値段は、30cm程で200K。
  <参考:1996年、観光年としてミャンマー政府が各種政策を施行>

  21:12
  帰ってきてからずっと、画像の整理、日記を書いている。もう、イヤに
  なってきた。日本に帰っても、また、毎日毎日、学校での実践記録を書
  き続けなければならない。いくら自分の決めたこととはいえ、疲れてき
  た。あ〜あ、これが今回の旅、第2の修行。ひょぇええええ。

続きをどうぞ!

私の日記 12月31日

<情 報>
・ 入域料 3ドル(FEC)
・ 有効期間: ビザが切れるまで

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