このページは、旅行記『中央アジア2001夏/taka』です |
私の日記
8月12日(日) 晴れ
=<サリチェレ湖>======================
・ タシュコムールの市場散策
・ サリチェレ湖(貸しきりタクシー)
タシュコムール泊2
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時間不明
蚊に悩まされ悩まされ、、、
掛け布団のシーツに中に入ることを覚え、
やっと眠れるようになった。
(蚊帳をもっていないのだ)
朝方、暑く感じるので枕とシーツを持って外で寝た。
セメントが冷えていて気持ちよかったけど、
シーツを被っているので朝の冷気を感じることができない。
でも、蚊に喰われるよりずっとましだ。
9.10 朝の散歩
9.20 朝食
市場まで歩いてゆき、1軒だけ開いている店を見つけた。
・ 羊肉スープ
・ パン
・ チャイ
・ 25ソム
・ ?ジュース
(上:市場のメインとなる建物。閑散としている)
うろうろしていると宿のおばちゃんが来て、「もっと大きな市場があ
るから、そこにいきなさい。タクシーで3ソムだから。」と言って私
をタクシーに乗せた。
(上:宿のおばちゃんは、どこか私の母親に似ている)
その市場は確かにさっきより大きいけれど、特にこれといったものは
ない。近くに力強いレリーフがあったので一応満足はしている。
→ レリーフを見たい人はクリック
タクシーで戻ってきてからサウナにいった。
けど、やっていない。
がっかりして宿に帰る。
(上:宿の前の市場)
ガイドブックを読んでいてたらサリチャリ・レイクが気になる。調べて
みると、大変美しく泳げるようなので行ってみたい。交通手段は貸し切
りタクシー(1000ソム)しかなさそうだけど、覚悟を決めて行こうと
思っている。こんなことなら朝から行くように調べておけば良かった。
/
とうことで今日はここで遊ぶから、明日はビシュケクまでがんばろう。
11.07 隣のショップ
この店の女主人は45歳。元英語教師なので英語が堪能である。彼女に
通訳してもらいながら情報を集めれば、、、と助けを求めた。しかし、
彼女は「サリチェレ湖に言ったことがない」と言うので、「じゃあ、私
が全て払うから一緒に行きましょう。」と申し出た。彼女は「それも良
いけど、私の2番目の息子を連れていったらどうですか。彼は英語を少
し喋るから。」と言って、彼のところへ相談に行った。
11.30 ホテルで
ホテルに戻ると、おばちゃんが「湖で1泊してきなさい。寒いから長袖
や靴下も持っていかないと。」と私の鞄を覗き込んで一緒に詰め込む。
しかし、ガイドブックによると外国人の宿泊には特別な許可書が必要と
書いてあるから、無理は良くないと思うけど、、、
11.50 ショップの前で
2番目の息子がやってきて紹介された。名前は「ラスル」。顔つきは(年
齢が私と18違うので彼には申し訳ないけど)完全に兄弟である。(後に出
てくる写真をみてください)
それから、「良いタクシードライバーを知っているから」ということで、
その運転手を探すために時間を費やすことになる。(おいおい、一体何時
になったら出発できるんだ?)
12.15 タクシー出発
頼んだ人は出てこないので、自分でその辺にとまっているタクシーと交渉
して800ソムになった。距離は約100km、所要時間は2時間の予定。
(上:サリチェレ湖畔にて記念撮影)
左からラスル、運転手、通りがかりの人、私
20.40 タシュコムール着
辺りは暗くなりはじめていたけど、ラスルの母親は外に出て私達の帰り
を待っていた。それから、彼女のショップに入って高価なロシア製ビー
ルを奢ってもらった。そんなつもりじゃなかったのに悪いことをしてし
まった。そこで話をしている途中、何人かの人がウォッカを買いに来た
けど、お金を持っていないのでみんな『つけ』で持っていった。それを
記載したノートには、日付け、名前、品物名、金額がびっしりと書かれ
ていた。「私達は貧乏です」という言葉の重みを感じた。私は贅沢をし
てはならないし、日本人は働きに相当していない金額を手にしている
(私も含めて)。こんな時代は長くは続かないと思うけど、これから先
の時代においても、働きににあった努力にあった金を手にし、社会的な
ポジションについても努力や能力に相応したものでなければ人類全体の
不幸になる。私は結婚していなし子供もいないけど、人類を最小単位の
家族であると考えているから、私の家族ぐらいなんとかできるはずだと
信じている。日本に帰ったら、もっと努力しなければならないことがあ
る。
(上:ラスルの母親、ビデオに向かって私に家族にメッセージを贈った)
21.30 警察官の家
サウナに入って寝ようと思ったのに、サウナの目の前が、1昨日知りあ
った『警察官の家』なので、招待されることになった。応接間で、彼の
学生時代から結婚、現在に至るまでの写真を見せてもらい、次に、子供
部屋に入ったら「タカ!」と私の名前を呼ばれた。これまた、一昨日で
あった子供が出てきた。彼等は、つくりつけの遊具で、綱登り、つり輪
などをして遊んでいる。リッチな生活だと思う。金はなくても、ハート
がある。
22.10 サウナ
やっと私の順番になった。さっき、招待されている間に誰かが入ってし
まったからだ。あああ、って感じ。もう、ふらふらになっていて、さっ
さと切り上げ、ホテルに帰った。サウナから出てきた時、別なおじさん
にチャイを飲め飲めと催促されたけど、断る元気もなかった。ヨガとそ
の友達が暗い夜道をホテルまで送ってくれた。
(上:バーニャの看板。サウナのことを『バーニャ』と言う。翌日写す)
22.30 ホテルでチャイ
扉を開けると、ホテルのおばちゃんが出てきて、「チャイ?」と言う。
たしかに喉が乾いていたので甘えてしまった。お陰で、サリチェレ湖の
ビデオを見せ、話をし、さらに、トマトやパンが出てきて疲労は限界を
超えはじめていた。
23.00 消灯
暑いけど、蚊が恐いので窓と扉を閉め切った。
夜中の出来事は、翌日の日記にある。
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8月13日
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