このページは、カンボジア旅行記 2002冬 です |
私の日記
12月25日(水)
晴(最高気温35度C)
===アンコール遺跡群(2日目)=============
朝 スラ・スラン Sras Srang
1 バンテアイ・スレイ Banteay Srei Temple
2 クバール・スピアン Kbal
Spean
3 タ・プローム Ta
Prohm
シェムリアップ泊3
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4.30 起床
快適な睡眠だった。今日はまだ、どこに行くか決めていないが遠いところま
でバイクで行こうと考えている。暑くなると嫌なので涼しいうちにさっさと
行動したい。
5.00 昨日と同じようにコンビニで買い物をしてから、タクシー・バイク
の兄ちゃんに声を掛けた。ここから約60km離れたところまで1日貸切って
6ドルで成立した。安過ぎる気もするけれど、そんなこともあるとをお互い
勉強するのも悪くない。彼は今日の予約ができていなかったし、英語は片言、
バイクも古いものだった。
5.30 出発
6.00 スラ・スラン Sras Srang
アンコールワットから東に向かって5kmほど走ったところで素晴らしい朝
焼けに変わった。スラ・スランという大きな池で撮影した。
(上:スラ・スランの朝焼け。午前6時ごろ)
(上:同上、魚眼レンズで撮影)
(上:アンコールワット寺院のシルエットに似ていると思った)
ここアンコール遺跡群の周辺は亜熱帯の森林に包まれているから、水があればこう
した風景になる。また、標高数100メートルの山さえ珍しいほどの平原だ。
それから北へ向かうこと40km。途中で腹が痛くなって野糞をしたり、寒い寒いと
震えているうちに趣き深い遺跡を発見した。「見学したい!」思っていたら、ここ
が目的地バンテアイ・スレイだった。
7.30 バンテアイ・スレイ Banteay Srei Temple
→ 訪問したい方はクリックして下さい。
(このページは、後日再訪問したものを含みます)
(上:日本の神社のように一直線状に構造物がある)
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9.40 クバール・スピアン Kbal Spean
・ (シェムリアップ)川の源流という意味
・ アンコールの文明を生んだ源、と言える
・ バンテアイ・スレイを14km北上したところ
・ 駐車場から約2.5km歩く(40分)
・ ヒンデゥーの神がある(ヒマラヤ山脈に例えられる)
(上:生きている黒い虫を襲う蟻)
山道の途中で、壮絶なる食物連鎖を見た。→クリックして下さい
とてもゆっくり登ったけれど、約40分で到着した。
滝は全然大したことはなく、他の遺跡も大きく想像力を働かせる必要がある。
(上:1番気に入った『大リンガ』)
→ 続きを見たい方は、クリックして下さい。
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12.00 シェムリアップに戻る
(上:帰り道、シェムリアップ川に架かる小さな橋で)
13.30 宿
シャワー
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昼食
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日記の整理
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昼寝
(上:本日の昼食はスープとチキン・ピラフ)
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昼寝終了
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シャワー
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16.00 バイク・タクシーで再出発
・ 彼は時間通りに待っていた
・ 昼食代として1ドルプレゼントしておいた
・ 彼も寝ぼけた目をして登場した
16.20 タ・プローム Ta Prohm
・ 1186年、仏教寺院として創建された
・ この後、ヒンデゥー教に改宗したため、多くの仏教彫刻が削り取られた
・ 最盛期には5000人の僧侶と600人の踊子がいた
・ この遺跡は自然の力を残すため、樹木の伐採があまり行われていない
・ 小さな草本は伐採しますが、その管理手数料は10ドル/月。
→ 訪問したい方はクリックして下さい
(12月30日に再訪問したときの画像も含みます)
◎ 寝る前の思いで
午前中、腹の調子が悪くてブッシュの中で用を足したけれど、地雷で吹き
飛ばされなくて良かった。あと1歩下がって本物の踏んでしまったら洒落
にならない。穴が飛んだら即死!! これからも気をつけよっと。
それから、日本でカンボジアの地雷について調べたけれど、街中や村で身
体を地雷で失った人をみることは少なかった。バングラデシュなど、他の
国の方がはるかに割合が多いと思う。その後、遺跡に中で脚を失った人を
たくさん見ることになる。
◎ 文化について
夕食でななめ前の席にいる男性に声を掛けると、彼は国画会に所属する彫
刻家だった。イタリアと日本にアトリエがあり、1年のうち半分は国外で
生活しているそうだ。カンボジアは7回目だと言う。彼からたくさん話を
聞かせて頂いたので、忘れないうちにメモしておこう。まず、文化は人間
が作ったもので、それには流行があって、、、
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