このページは、カンボジア旅行記 2002冬 です

  私の日記


  12月30日(月)
                  晴(最高気温35度C)
 
 ===アンコール遺跡群(6日目)========
  日出: 西バライ West Baray
   バイヨン Bayon
  2 タ・ケウ Ta Kev
  
3 タ・プローム Ta Prohm
  
4 タ・ソム Ta Som
  5 ニャック・ポアン Neak Pean
  
6 アンコール・ワット Angkor Wat

                     シェムリアップ泊8
  ==============================

  4.55 起床
  今日は朝焼けを見るため遠く西までバイクを走らせる。

  地図を見ると、西バライという大きな池がある。観光客はそこまで出かけること
  はないと思うので、その西岸から日の出を見たいと思った。暗い夜道を独り走っ
  た。国道から未舗装の細い道に入り、さらに湖岸の道を進むと路面は砂地に変わ
  り何回か転びそうになった。そんな道を4kmは走ったと思う。太陽の位置から
  考えて西岸を走っているようだ。
  
  西バライ West Baray

  
  (
↑ クリックすると拡大します

  
  7.00 近くの寺院

  (上:地獄の絵)
  いけないコト2つ
  1 お坊さんに危害を加えること
  2 すけべなこと
  死んでからのコト
  1 赤ちゃんを生まなかった女性は虫に乳を吸われる
  2 親に食事をさせなかった人は嘔吐する
  3 浮気をした女性は棘のついた木を登る(男性は?)
  4 親を大切にしなかった人は首を切られたり釜茹でにされる
  5 放火した人は、火の中に放り込まれる
  6 たくさん悪いことをした人は、何処の地獄か閻魔様に裁かれる

  「悪いことをしたら地獄に落ちますよ。」
  これは神仏を使って悪事を戒めることであるが、本来なら人が人を戒めるべき
  だと思う。他力本願ではいけない。地獄や天国を使って人の生活を誘導するの
  は力のない、あるいは、今の生活を大きく失敗する原因になりかねない。

  7.30 朝食
  ・ 東メボンにある小さな村の屋台にて
  ・ 昼食も同じ村にきた


  (上:本日の朝食は雑炊。豚肉、臓物入り。1000リエル)


  (上:その村で少し撮影した。
→写真を見たい方はクリックして下さい

  それからアンコール遺跡群を散策した。
  
(気になる遺跡を再訪問した)
   イヨン(再) Bayon
  2 タ・ケウ Ta Kev
  
3 タ・プローム(再) Ta Prohm
  
4 タ・ソム Ta Som
  5 ニャック・ポアン Neak Pean
  
6 アンコール・ワット(再) Angkor Wat

  タ・ケウ Ta Kev
  ・ タ・ケウには彫刻が施されていない
  ・ 王様が途中で死んでしまったからだ
  ・ 全体の構造はしっかりしている

  (上:タ・ケウの中心部分にて記念撮影)


  タ・プローム Ta Prohm
  → 訪問したい人はクリックして下さい(12月25日に訪問したときの画像から始まります)


  タ・ソム Ta Som
  ・ 比較的大きな遺跡だが、素人に特徴は分からないのでお勧めできない

  (上:私にとってのハイライトは、コレ)


  ニャック・ポアン Neak Pean
  ・ 中央に大きな池があって、そこから水が四方の池に流れてたらしい
  ・ 悪くはない
  → 訪問したい人はクリックして下さい


  ===

  とても疲れてしまい、昼食とする。
  宿に帰ろうかと思ったが、そこまでバイクで戻る気もしない。
  朝、食事をした小さな村まで行くことにした。

  その途中、樹木が伐採され整地されている場所に出くわした。
  カンボジアにきて初めての光景である。ただ何もない赤土が広がっているだけ
  なのに、とてもすっきり爽やかな、そして、整然としたアンコールワットの佇
  まいさえ連想した。

  周囲を良く見たわすと、背丈10メートルの樹木が生い茂っている。それに椰子
  の木が時々顔を出す。空には眩しいばかりの綿雲。古代の人は整地した、ある
  いは、火を放った大地を見て、これから作ろうとする建築物を想像したに違い
  ない。先日、スラスランという湖の水面に映った樹木を見てアンコールワット
  遺跡群を連想したと書いたが、ここでも同じようにカンボジアの風土が持つ建
  造物のあり方と提示させられた。


  (上:ホテル建設予定地)
  

  13.40 昼食
  ・ 朝食と同じ村

  (上:本日の昼食は煮魚)
  調味料は醗酵し醤油、まるで、納豆のような香りをしていた。
  大変に美味しい。

  私が1人で食べていると、隣の屋台の主人が私を手招きした。
  広いテーブルで食べなさいと、いう訳である。
  魚と白飯を持って移動した。
  
  すると、そのテーブルにも食事の準備が始まった。
  私と一緒に食事をしよう、という訳である。
  会話は全くできないが、彼等のおかずをもらった。

  おかずは何かと言いますと、スイカと干物の魚。
  スイカをスプーンですくって食べて、白飯をスプーンで食べて、干物を手で
  ちぎって食べて、また、スプーンで白飯を食べるのくり返し。私は「煮魚を
  一緒に食べましょう」と申し出たいところだったが、すでに半分以上食べた
  後だったので言い出せなかった。

  しばらくすると、彼の息子が帰ってきた。
  バイクタクシーの運転手をしている。


  (上:左から、父さん、近所の子供2人、母さん、息子さん。)
   ・ テーブルには白飯、スイカ、赤い魚の干物、氷を溶かした水

  やっと会話が成立して、父さんは39才、息子は16才で日本語を勉強している。
  私が「どうして日本語を勉強しているのか」質問すると、授業料が3ドル/月で
  英会話より安いからだと答えた。

  ===

  腹が一杯になると元気が出てきた。
  3たびバイヨンを訪問した。
  やはり、日中の強い日ざしの方が似合う。


  (上:私が運転してたスーパーカブ、排気量110cc)
   ・ アンコールトムの入り口で記念撮影
   ・ 日本から来た団体客も、必ずここで記念撮影していた

  ===

  16.00 宿へ戻る
    ↓
    シャワー
    ↓
    夕寝
    ↓
  アンコール・ワットで女神探し
    ↓
    シャワー
    ↓
    仕事
    ↓
    
  21. 00 夕食
  ・ 永田さんと屋台探し
  ・ 早くも店じまいしているのでビックリ
  ・ 慌てて注文

(上:アヒル)

(上:赤いのはバナナ)



  (上:その他に、内臓いろいろと冷麺。)


  (上:デザートはアヒルの有精卵。クリックすると拡大します)

  23.00 消灯

  

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