このページは旅行記『ヨーロッパ北東部』 2004 jul -aug です |
私の日記
2004年8月6日(木)
◎ ワルシャワ市内観光=====================
1 ワルシャワ王宮
2 聖ヤン大聖堂
3 ワルシャワ歴史博物館
4 キュリー婦人博物館
午後: ワルシャワ(鉄道、急行で2時間35分、多数あり)→ クラコウ
クラコウ泊
==================================起床時間: 不明
7:00 朝食
(上:ホテルの食堂で朝食。いくらだったか忘れたけれど、悪くない内容だった。)
(上:ホテルのエレベーターを写してみました。扉が閉まるのは遅いけれど、一旦閉まると、物凄い勢いで上下した。)
(上:観光客用のバスは、とりあえず誰も利用していない。)ワルシャワ王宮
(下の画像をクリックすると入場できます。)
王宮の見学を終えた後、再び旧市街を通り、キュリー婦人博物館を目指した。
(上:昨夜も写真を撮り、今日も写真を撮った。)12:00? 13:00? 聖ヤン大聖堂
入り口にオルガンコンサートの貼り紙があったので、某かの入場料を払い、礼拝堂のほぼ中央席に座った。開演10分前なのに、聴衆は私1人だったと思う。やがて、2階のパイプオルガンの扉が開かれ、その前に演奏者が座った。バッハが鳴り響いた。リーフレットには、『この聖ヤン教会はオルガンと共にワルシャワ最古である。』と書かれていた。
(上:14世紀に建てられた聖ヤン教会のパイプオルガン。正面入り口の上に設置されている。)約30分の演奏が終わると、私の後ろには20人ほどの観光客がいた。そのまま帰ろうとしたら、牧師が、私たちを祭壇上に通じる階段へと導いた。2階には小さな展示室があった。
(上:歴代の神父が使った杖だと思う。)旧市街の旧市場広場に出た。新しい建築物に違和感はないけれど、観光バスで押し寄せる観光客と彼らが落していく金を目当てにした商売をする商人の姿は面白くない。まるで、老人を観光バスに乗せて土産物や巡りをさせているかのようだ。全体としては長閑で、お勧めしたい広場だけれど、貪欲な僕はもっと夢を見たい。
(上:世界遺産に指定されているクラコウの旧市街の旧市場広場)
ワルシャワ歴史博物館
小さな博物館だった。工芸品より、ワルシャワの歴史を示す写真に興味があった。
. キュリー婦人博物館
小さな博物館だった。彼女の字に見とれた。
. キュリー博物館を出て、ワルシャワの鉄道駅に向かった。これから、次の目的地『クラコウ』へ向かう。
(上:由緒正しき民家?の門柱)
(上:ワルシャワ中央駅)
(上:中央駅西のバザール付近で)
(上:文化科学宮殿。内部は見学しなかった。午後4時。)16:10 ワルシャワ中央駅
列車を待つ間に、軽い食事をする。旨い物は期待できないが、挽きたてのコーヒーとMacをおけるテーブルがある。
(上:構内のカフェテリアで)上の写真中央に小さく写っている紳士は、物乞いをする少年に食事を奢ってやった。その少年は私のところにも来たが、私が何もくれないことが分かると、電話している女性を通り過ぎ、紳士のところに向かった。少年と紳士は言葉通じなかったようだが、少年が腹を空かしていることが分かると、紳士は鞄を持って立ち上がり、少年と一緒にショーウィンドーのところまで行って、彼に好きな物を選ばせた。決して安いものではないのに、哀れんで食事を奢ってやる彼の心の清らかさ、流れ行く時間、偶然そこに居合わせた自分の幸せを感じた。
16:30? ワルシャワからクラコウへ
私のコンパートメントは8人部屋。
(上:とても窮屈。おまけに、向側に座っている女友達3人組はピーナツの皮を散らかし、バナナの皮をテーブル下にある小さなゴミ箱に無理矢理詰め込もうとしたり、躾のなさを披露した。他の乗客は周囲に気を使って座っているものの、どことなく疎遠な感じがするのは首都と第2の都市をつなぐ特急列車だからだと思う。)
(上:ポーランドの田舎風景。)
(上:ポーランドの田舎風景2)21:00? クラコウ着
すでに辺りは暗くなり始めていた。宿が決まっていない私は、ガイドブックを取り出そうとしたが、それより前に、初老の客引きに声を掛けられた。どうやら、彼の家に泊まって欲しいようである。これまでの宿泊客が書いていったゲストブックの中から、日本人の感想も読まされた。立地条件も料金も悪くないので、彼の家に泊まることにした。彼はよく喋る男で、駅前にから出発する路線バス乗り場や時間を丁寧に教えてくれた。私は、明日早朝からアウシュビッツ収容所を訪問する予定だったので貴重な情報が得られた。
(上:彼の奥さんが美味しい紅茶とクッキーを出してくれた。)
(上:私の部屋)
(上:バスタブは、キッチンの一角にある。)23:00 消灯
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