このページは旅行記『ヨーロッパ北東部』 2004 jul -aug です

アウシュビッツ強制収容所1
オシフィエンチム
2004年8月7日(金)曇り時々雨

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 第2次世界大戦中、ヒトラー(ナチスドイツ)が作った強制収容所。1940年から1945年までの間に、400百万人以上のユダヤ人、反ナチス活動家などが殺された。その期間と数から『殺人工場』と呼ばれている。場所はクラフク(ポーランド)の西54Kmにあるオシフィエンチム村ビルケナウ村の2箇所だが、ドイツ名でアウシュビッツと呼ばれることが多い。

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このページでは、アウシュビッツ博物館オシフィエンチムを紹介し、
次のページでビルケナウを紹介する。

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(上:アウシュビッツ強制収容所の入口)

入り口の上には、働けば自由になる、と書かれている。

新しい収容所自分の墓穴をつくる仕事なのに・・・


(上:高圧電流が流れる鉄条網)

逃げ延びた人もいるが、同じ棟にいた者は見せしめとして皆殺しにされた。


(上:移動式絞首台もある)


(上、右、下:強制収容所内で、見せしめとして首を吊っている人)



(上:11号棟の壁では、銃殺が行われた。)

処刑される者は全裸にされる。
死体から衣服を外す手間を省くためだろう。


(上:正面奥が、銃殺するための壁。)



(上:放置された人々。)

放置されているのは珍しい。

収容されている人々の動揺を招くだけなく、死体が異臭を放つからである。

400百万人もの死体を処理するのは容易ではない。


(上:収容者によって運ばれ、ビルケナウ周辺で野焼きされる死体。)



(上:ここに連行された人々の髪)

想像して欲しい。
見学している女性の髪を、ばっさり、そのまま切り落し、
このガラスケースの中に放り込む状況を!
(たまたま写真に写ってしまった女性、ご免なさい。)


(上:三つ編みのまま切られた髪、いろいろな色の髪で織られた布。)


(上:靴ブラシだけでも、これだけの量がある)




(上:義足やコルセットを没収された者は、労働できないのですぐに殺されたと思う。)


(上:眼鏡)


(上:生活日用品)


(上:靴)


(上:強制連行される人々)


(上:入墨された整理番号)


(上:イタリア、オランダ、フランス、ベルギーなどEU各国の展示室がある)


(上:終戦により、アウシュビッツから生還した人)


(上:生還した女性。右下は収容される前の写真。)


(上:世界中の人々が見学に来ている。)


続きをどうぞ!

第2アウシュビッツ
ビルケナウ

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