このページは『イラン旅行記 2004冬』 2004 dec -2005 jan です |
私の日記
2005年1月4日(火) 快晴
◎ コム(イスラム教シーア派第2の聖地)============
(夜行列車)→ 10:05 コム
・ ハズラテ・マアスーメ
コム泊
==================================7:30 起床
・ 列車の中
(上:車窓から美しい山が、雪を冠って、)
(上:城壁に囲まれた小さな町を通過・・・大陸、イランだなあ、)
(上:誰もいないように見えるけれど、人々の生活している跡があって、土と一緒に生きているから、)8:30 朝食
・ 豪華1等寝台車の旅
・ まさか朝食までついているなんて・・・
(上:どこかで見たことあるセットだけれど・・・)10:05 コム着
・ 結構、太陽が高くなってからの到着です
・ それにしても、列車の外見から想像できない素晴らしいサービスだった
(上:コム駅のプラットホーム。撮影禁止場所かも知れない。)
(上:コム駅前)時間がたっぷりあるので、駅から市街地のホテルまで1.5Km歩く。
大通り沿いに、てくてく。「あ、銀行だ。両替えしよう!」
「え、できないの!」
めげずに、てくてく。
コムの中心部に来た。
2つ安宿を発見。
お、細い路地にたくさん看板がある。
ペルシャ語で全く読めないけれど安宿の雰囲気がムンムン。
暇なので全部訪問しましょ!
・・・結果、4軒回った。初めの宿: 狭い階段を上がっていくと突然視界が広がり、パジャマ姿の宿泊客が10人。奥では真っ黒なチャドルを着ていない御夫人方が食事の支度? 「おお、イランの世界に踏み込んだよ。イラン人専用宿泊施設だよ。」 フロントの男は英語が話せないまま私に1番奥の部屋を見せた。その部屋は共同台所の隣りなので、調理している女達が興味深気に私を注目した。部屋の中にはベッドが3つ、トイレはないけれどシャワー付きで7万リアル。子供達が走り回り、雰囲気は最高なんだけれど、シーツが汚いので躊躇った。
次の宿: 高級そうなホテル。20万リアル。あまりに高額なので、部屋も見ずに値引き交渉したら、すぐに15万リアルになった。あっさり5万リアル下がったので、いい加減な値段に呆れて回れ右。他に宿泊客はいないと思う。階段に改装工事の埃が舞い上がっているし、豪華設備は期待できない。この冬の季節、観光客が少ない間に工事を終わらせるつもりなのだろう。
3軒目: これまたイラン人専用風の宿泊施設。1軒めのように人が歩き回っていないけれど、共同キッチンがあるし、チャイを飲んでお喋りする空間がたっぷりあるので、来るべき時間には大賑わいになるだろう。料金は80000リアル。悪くないけれど、他の宿も見学したかったので本気で帰ろうとしたら70000リアルに値下げ。それでも、さようなら。ありがとう。
4軒目: ガイドブックに載っている中級ホテル。20万リアルだったかなあ。料金は忘れてしまったけれど、改装工事中だったのでやめた。ただし、フロントのおじさんが良い感じの英語を話すので、現金アメリカドルを両替えできないか尋ねた。電話で問い合わせ、「若干レートが悪いけれど、50ドルを43万リアルでも良いか?」と丁寧に訊ねるので快諾した。
ここまでに時間がかかってしまい、しかも、イラン風安宿と高級ホテルの雰囲気が分かったので、3軒目の宿に決めた。フロントの御主人様は、「セブン」とだけ言った。「7万リアル払え!」という意味である。
10:30 チェックイン
(上:私の部屋)
・ 英語の看板はない
・ 安宿というより、大きな家の間借りをしている気分
・ ホットシャワー、冷蔵庫、暖房付き
・ 仕事机が最高10:40 コム市内散策へ
(上:大変美味しそうなお菓子屋さんが軒を並べている。バタークッキーらしい。)11:00 昼 食
・ 羊の肉を煮込んだ店、豆スープの店、シシケバブの店など同じものしかない
・ あきらめて、ハンバーガー屋に入る
・ 鶏肉らしき物を注文する
(上:サンドウィッチの他に、サラダとノンアルコール・ビールを注文した。)
・ サラダにかかっている生ヨーグルトドレッシングは酸味が効いて最高
・ ビールもどきはちょっと甘い不思議な味(100mlまでは美味しい)
・ 本命のサンドウィッチは腐っているかと吐き出したら、、、
「おいおい良く見ろよ。絶対にチキンじゃない。絶対に腐っているよ。こんな味、食べたことがない。」 そう呟いてから顔を上げると、店長が人さし指を自分の頭に指差している。 「俺の頭は可笑しくないよ。サンドウイッチの味が可笑しいんだよ。」・・・よくよく考えてみると、パンの間にはさまれているのは、羊の脳味噌だった。 「元祖狂牛病じゃないか。そんなものは喰えない。」 それから、2口ほど挑戦したけれど、食べれない。ほとんど残したまま金を払って店を出ようとしたら、店の奥からシェフが出てきた。「美味しいから全部食べろよ。食べれないなら、お金はいらないよ。」なんてことを言ってたような気がするけれど、脳味噌が溶けてしまっては元も子もないので、兎に角金を払って店を出た。残してご免!
(上:羊の脳味噌だった。6000リアル)
それから、イスラム教シーア派第2の聖地の中心『ハズラテ・マアスーメ』へ向かった。と言ってもホテルの目の前、徒歩5分。11:30 ハズラテ・マアスーメ
ガイドブックによると、「ムスリム以外は立ち入り禁止の聖域」とある。入り口には門番がいる。一瞬たじろいだものの、私は人込みに紛れて真直ぐ前を向いて歩いた。大成功! イスラム教シーア派の聖域に立ち入った。あとは失礼のないように立ち居振る舞いに気をつけるだけだ。
(上:橋を渡ると、そこにコムの中心『ハズラテ・マアスーメ』がある。)私の緊張感をよそに、聖域内は楽しい華やかな雰囲気に満たさせていた。ここは、イランの人々とって心和む観光地でもあるのだ。
(上:奥さんが礼拝をしている間、赤ちゃんを抱いて待っている若い旦那)私は敷地内をうろうろした。そして、観光客はいないこと、私と同じような顔つきのアジア人が多いことに気づいた。モンゴル・中国系のムスリムが少なくとも10%はいる。・・・どおりで、すんなり入場できたわけだ。キョロキョロせずに真直ぐ歩いたり、ぼけーっとしゃがみ込んでいる限りは、誰にも注目されない。ただ、カメラで記念撮影している人は誰もいない。
(上:建物の陰に座り込んでスナップショット。)それから、されに内部に突入することにした。入り口は女性用と男性用に別れている。それぞれの入り口はいくつもあるけれど、メインの入り口から挑戦だ。靴を脱いでクロークに預けるのは問題だ。何とかせねば、、、おや、ビニール袋が1枚落ちている。アラーの助けだ。あれを拾って、靴を入れて持ち込めば良い。
かくして、ごく自然な動きのもとに聖棺が安置されているメインの建物に入った。
入り口の扉では、両手を上げて何回も祈りの言葉を捧げ、何回も扉に触れた。
敬虔なムスリムは熱い口づけをしていたけれど、私にはできなかった。聖棺のまわりには、人々が3重になって祈りを捧げているので近づくことは容易ではない。人の間を縫って少しずつ近づいた。100人中、99人聖棺に熱い口づけをしながら祈りを捧げている。ここでも私は口づけできなかったけれど、祈りの言葉は負けなように唱えづつけた。世界中の人々が幸せになりますように・・・(その画像はありませんが、同じような雰囲気の写真をシーラーズの『シャー・チャラーグ廟』で撮影しましたので御覧下さい。ムスリムの平和を祈る心が伝わると思います。なお、別ウィンドーで開きますので、読み終わったらページを閉じて下さい。)
(上:壁面に美しい紋様が装飾されていた)本当はもう少しゆっくりしたかったけれど、正午の礼拝準備が始まったので、20分ほどで外に出た。敬虔な信者の邪魔をするとこはできない。
(上:礼拝の前に、身体を浄める人々)それから、しばらくして宿に戻った。
宿に帰るとシャワーを浴びて横になった。
体調を崩し、夕方まで寝た。19:00 起床、そして再び、ハズラテ・マアスーメ
復調していなくとも、夜のハズラテ・マアスーメは見学させて頂かねばならない。
(上:ハズラテ・マアスーメ正面にある大駐車場。)すんなりと敷地内へ。
(上:女性専用入り口前。銀色に輝く天蓋。)
(上:夕方の礼拝を終え、赤い絨毯の上で談笑する人々。)ここは女性専用モスクの前。銀色の天蓋から入ったところにある聖棺の傍でも礼拝できるけれど、外で礼拝する人も多い。なお、写真上の手前に写っている小さな石のようなものは、イスラム教『シーア派』の人々だけが用いるもので、これを地面の自分の頭の位置に置いて礼拝する。
(上:ホメイニィー師などの肖像画が掛かっている)
(上:これだけ撮影すれば満足でしょう。)尚、この時間帯になると、何故だかフラッシュを炊いて記念撮影している人々がいた。イランでは夕方の礼拝が重要なので、その後に撮影することに意味があるのでしょう。お陰で、私も気楽に撮影できた。
それから、商店街を歩いた。
昼間はシャッターを降ろしている店が多いのに、今はほどんど開いている。
(上:狭い空間に広がる4階建ての商店街。衣料関係が集まっている。)20:00 夕食
これ以上体力を落とせれないので、高級そうなレストランに入った。メニューを注文したが、セット物しかなかった。ケバブの肉の種類しか選べれないので、私は丸焼きチキンを注文した。
(上:全部合わせて2万リアル、240円。)21:00 消灯
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