このページは『イラン旅行記 2004冬』 2004 dec -2005 jan です |
私の日記
2004年12月24日(金) 快晴
◎ テヘラン市内観光 =======================
・ イラン国立博物館
・ アーブ・ギーネ博物館
19:00 テヘラン(飛行機)→ 20:30 バム
バム泊
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入国手続きを終え、両替も済ませ、何もかも整ったところで、ベンチに座って1時間半。少し寒くなってきた。ここは室内だからそれほど寒くはないけれど、外は氷点下らしい。さて、私がここで何をしているのか、何をしようとしているのかと言うと、私は、税関で掴まっているイラン人を待っている。掴まっている人には直接用事はないけれど、その人の友人が私を助けてくれると言うのだ。助けてくれるといっても、ただ単に、旅行代理店で『ケルマーン』行きの航空券を手配してくれたり、ここから500メートルほど離れた国内線ターミナル(歩いていけないのでタクシーを使わなければならないらしい)へのタクシーを見つけてくれるらしい。どちらも自分1人で十分できる内容だけれど、まあ、一応、本当に何もないのでこうして彼とベンチに座り時間を過ごしている。1:30 タクシーで市内へ
・ 35000リアル
・ 欲しいチケットは旅行代理店になかった2:00 チェックイン
(上:翌朝写した私の部屋。鏡のない洗面台、TV、ホットシャワーがついている。トイレは室外。)2:10 消灯
疲れているので何もせずに寝た。ただ、腹が空くと眠りが浅くなるので機内でもらってきた小さな菓子パンとピーナツを食べた。何でピーナツを食べたのかは不思議だけれど、食欲に従うより他にない。8:00 起床
夜中に7回も8回も目覚めるが、その度に睡眠の充足感を味わっていた。TVをつけ、平和なイラン人の心に触れる。
ここはとても平和だ。
今日は金曜祝日だ。部屋のシャワールームでは温かい湯がたっぷりと出た。
扉は閉らないけれど、
からーんとけたたましい音を立ててノブが落ちるけれど、
、、、9:20 朝食
30分以上歩いているのに、適当な食堂が見つからない。金曜祝日は徹底されているようだ。代わりにバナナ2本(5000)とりんご(2500)を買って、食べながら歩いた。バナナが大変美味しかった。
(上:バザール付近まで歩いて、やっと見つけた。豆が4、5種類入ったスープとナン。ナンは薄く、焦げ目がついていない。とても塩辛く感じたのは塩分補給のためたくさんふりかけてあるからだろうか。7000リアル。)
(上:ナン屋さん。焦げ目がついていて美味しそう。)
(上:ごま付きの巨大なナンを買ってしまった。いくらか分からないので無理矢理1000で押し切ってしまったような気がする。お店お人は盛んに片手を広げていたから5000だったかも。ご免ね。)11:00 テヘラン鉄道駅前の北、徒歩5分のところにある旅行代理店
明日18時発、バム行きの切符を買った。80000リアル。安いなあと思っていたら、飛行機ではなくて列車だった。すぐさまキャンセル。航空券を訊ねたけれど、金曜祝日につき飛行機用コンピューターは動いていないそうな。これ以上時間を無駄にできないので、タクシーで飛行場へ。26000リアル。運ちゃんには安い料金で旅行代理店まで探していただいが、結局開いていた代理店は、結局昨日と同じ店(ターミナル2。国際線到着ターミナルから出てきて100メートル右斜前方に並んでいる旅行代理店の右端の店。365日24時間営業)だけだった。あー、午前1時に決断しておけば・・・
(上:タクシーの車窓から写した博物館)11:40 バム行き航空券購入
・ IRAN ASEMAN AIRLINES
・ YEP 597
・ 433000リアル(5000円)
本日午後5時発、バム行きの飛行機があった。バムの飛行場は小さく、発着便が少ないと聞いていたので、非常に嬉しかった。しかも、昨日はないと言われていた便なので不思議だけれど、手に入れた喜びを噛み締めよう。さあ、これで今日午後と明日の予定ができた。タクシーで宿まで戻り、荷物をピックアップしてからテヘラン市内の博物館巡りをしよう!エアポートタクシーで移動。
・ 40000リアルで、宿→ 国立博物館
・ 尚、通常料金は35000リアル13:00 国立イラン博物館
下の画像をクリックすると入館できます
(上:新館前で記念撮影。)14:30 アーブ・ギーネ博物館
下の画像をクリックすると入館できます(4点のみ)
博物館の見学お疲れさまでした。
以上2つの博物館は期待したより短い時間で終了。
他にも予定していた博物館はありましたが、もうテヘランに未練はありません。
飛行機で、バムに移動しましょう。15:30 博物館(タクシー)→空港
・ 25000リアル
・ 地元民に近い値段になっていると思う
16:00 テヘラン空港ターミナル4(国内線)
空港ターミナル内で、昨年12月25日に震災したバムの写真展が開かれていた。
(上3点:私がこれから訪問しようとしているバムの写真展。どれだけ復興しているのか、この目で確かめる必要と責任ができてしまった。)手荷物検査で別室に移動させられた。
貴重品袋を出さなかったからである。
ちょっと、ビビった。
けど大丈夫。
・ インスタント珈琲(チョコレート付き)5000
・ ピスタチオ100g 8000
・ チャイ 200017:25 構内にコーランが流れた
待てど暮らせど『バム』行きのインフォメーションも電光掲示板もないので右往左往していたが、やっと1時間半遅れになるとの案内が出た。これで一安心。もう一杯珈琲を頂こうかな思っている。
18:40 搭乗開始
19:00 離陸
(上:テヘラン空港で写真を撮っていたら注意された)
(上:テヘラン市内の夜景)
(上:機内食)
20:30 バム着
手荷物だけにしたので、一番に飛行場を出た。タクシーの運転手に声を掛けられるままの状態でバム市内に向かった。同乗したのは、イラン人のNGO職員。彼は小学校で宿泊するらしい。バム市内まで20キロメートル。30000リアル。21:30 ホテルは満室
昨年12月の地震以来、営業を再開したホテルは1軒だけらしい。そのホテルはとても立派で、広い玄関ロビーには赤い絨毯が敷き詰められ、奥の喫茶店では背広姿の紳士達が大きなガラス越しに庭園を眺めながらチャイを啜っている。私には縁のない部類。それでも、フロントで1泊したい旨を伝えると、満室。えっ、じゃあ、他にありませんか。ありません。えっ。・・・同じ会話を数回くり返した後、鉾先をタクシー運転手に変えた。君の家に泊まらせてくれ! 彼は英語を話せないので、フロントの女性に通訳してもらった。同じように何回もくり返した後、ようやく彼は承諾した。<ちょこっと情報>
・ 明日は、バムの震災1周年ということでフェスティバルが行われる
・ バムの安宿は他にもあるらしいそれから、彼の家に向かった。
コンテナの仮設住宅だった。コンテナの前にタクシーを止め、私を外に待たせると、彼だけ家の中に入った。
暫くして、家人の同意を得たらしく、彼が私を招き入れた。
彼の妻子が暖かく迎え入れてくれた。夕食を作ってくれた。
腹は減っていないけれど食べた。
卵焼きとフライドライスが出た。
贅沢をさせてもらっていると思う。食後のチャイを飲んでいると、父親が来た。
暫くして、彼の兄も来た。
言葉は全然通じないけれど、会話がどんどん弾む。
3才児が起きてしまった。
私に興味があるけれど、深夜なのでぐずついている。
(上:左から運転手の、私、叔父、息子、運転手の兄。)
(上:たまたま写っていた運転手の父親は52才だった。)
それから、コンテナを移動した。
彼の弟、父親、叔父さんの3人が住んでいるコンテナに移動した。
運転手は、妻子のいるコンテナに移動した。寝る前、屋外にある共同トイレと手洗い場を教えてもらい、
1番綺麗な毛布2枚と、1番ストーブに近い場所を準備してもらった。
電気を消す前、毛布を燃やさないように注意された。23:50 消灯
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<今後の予定>
24金 飛行機でバムへ、バム泊、
25土 バム市内観光、バム泊2
26日 バム(バスで3時間)→ ケルマーン、ケルマーン泊
27月 ケルマーン市内観光(列車で6時間)→ ズヤド、ズヤド泊
28火 朝から鳥葬場へ、ズヤド市内観桜、ズヤド泊2
29水 ズヤド(バス)→ エスファハン、エスファハン泊1
30木 エスファハン観光、エスファハン泊2
31金 エスファハン観光、エスファハン泊3
1土 エスファハン(バス)→ シラーズ、シーラーズ泊
2月 朝からペルセポリスヘ、シーラーズ泊2
3火 シーラーズ(バス)→ アウファーズ、アウファーズ泊
4水 チョガーザンビール観光
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