このページは『イラン旅行記 2004冬』 2004 dec -2005 jan です

私の日記
2004年12月25日(土)      快晴
                      
◎ アルゲバムとマーハーン==================
午前:
アルゲ・バム
午後:マーハーン(
王子の庭園シャー・ネエマトッラー・ヴァリー聖廟
                            
ケルマーン
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 夜中に毛布が燃える大惨事になった。煙りがモクモク発生して、一酸化炭素中毒になって死んでしまうのではないかと思った。扉を開けて、毛布を出して火を消したが、いつまでも毛布内部の化繊が燃え続けた。本当に悪いことをしてしまったと思うけれど、3帖の広さで男4人が寝るんだから、ストーブを消しておくべきだった。いくら熱い心遣いとは言え、固辞すべきだった。

8:00 起床
 従兄弟がトイレに付き合ってくれた。

 毛布代を請求された。
 当然の事だけれど、100ドル考えていたけれど、
 兄の顔を見ていたら、100000リアルで十分ような気になってしまった。
 実際、彼は100000リアルで十分だと言い、
 タバコ代として10000リアルくれと言った。
 私は20000リアル追加した。

 運転手が来て、
 妻子が待つコンテナに移動した。

8:20 朝食
 チーズが美味しかった。

 紅茶に砂糖を入れたら、一斉に笑われてしまった。
 他の人の飲み方を拝見すると、
 砂糖を口の中に放り込んでから、あるいは、
 ぽりぽりかじりながら紅茶を飲むのが正しい作法らしい。
 次回からはそうします。

(上:メニューはチーズ、バター、オレンジジャム、ナン、それに、何だか分からない木の実を砂糖につけたもの。何もないメニューであっても、心づくしのもてなしに感激した。)

 運転手があまり食べないので心配したら、虫歯らしい。
 良く見ると、彼の兄も前歯がない。
 歯ブラシがないのかしら。

 誰もが歯痛に苦しんでいた。

 私は鎮痛剤をプレゼントしたけれど、根本的な治療からは程遠い。


(上:こんな外国人のおじさんにも興味があるらしい)

 食事を終えてから、彼等のタクシーでアルゲ・バムへ向かった。昨日のタクシー代30000リアルの他に50000リアル払った。出火した時は、お詫びの気持ちを込めて100ドル(8700000)支払おうと思っていたのに、僅かなお金を請求されているうちに、小さな心になってしまった。タバコ代を何回も請求しないでおくれ! 僕はタバコが大嫌いなんだ。


(上:タクシーの中から、バム市内を行進している人々を見た。)

9:00 アルゲ・バム
 下の画像をクリックすると入場できます

 もう少し散策してみたい気分だったけれど、ファリーバに従うことにした。バム市街も散策していないけれど、生まれて初めてバムにやってきた彼女も散策していない。さらに今日は震災1周年記念祭だけれど、震災で亡くなった人を追悼する儀式があるだけで、とても観光客が見学するようなものではない。あまりに悲しい。震災のつめ痕は深く残っている。遠くに聞こえる祈りの声だけでも十分すぎる。

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 ケルマーンから彼女が貸切ったタクシーに乗った。
 イラン人女性に誘われるとは夢にも思わなかった。

 アルゲ・バムの近くにある自家製テントに住んでいる人々に、ファリーバが話し掛けた。難民として生活している人々の話によると、政府は何も支援してくれていないようだ。昨日、私が泊まったコンテナや給水施設は、確かに世界中の人々から援助されたものだと思うけれど、今私の目の前にいる人は、何ももらっていない。家がないということは、毛布ももらっていないということだろう。水や電気はどうしているのだろう。日本からもたくさんの義援金が送られていると思うけれど、人々には数億円分の援助しか渡っていないと思う。他の99%の金はどこに消えてしまったのか。おそらく、イラクにおける自衛隊の活動と同じで、政府が絡む活動は、本当に必要とする人々には行き渡らない。本当に深い憤りを感じる。イラクの自衛隊員がもらう特別手当3万円/日も同じで、自衛隊員1人が日本に帰れば、それだけでイラク人500人が必要とする食料と水を得る。一体何万人派遣しているのか正確な数は知らないけれど、国という単位がやっている活動はそんな程度だ、ということを再認識すると同時に本当に激しい憤りを禁じ得ない。全員帰国せよ。新潟の震災でも、民間人の義援金がどれだけ正確に渡っているか全く分からない。それでもお人好しの民間人は、恵まれない人のためだと思って金を送る。あまりに悲しい。

 私は彼等の写真を撮らなかった。正確に言うと、ファリーバが地元民から撮影許可をもらってくれたが、テントの奥で寝ていた親爺が大声で叫び始めたから、急きょカメラをしまった。私は、昨日、同じように悲しい目をした52才の男と同じ屋根の下に寝たから、彼等の悲しみが1/10000ぐらい分かる気がしている。ここは悲しみに満ち溢れている。


(上:バムからケルマーンに向かう道。周りは砂漠で、植物は育たない。)


(上:途中、道ばたの商店でバムの特産品『オレンジ』を買うファリーバ)


(上:沙漠の中を走る直線道路。)


(上:雲が出てきた。冬には貴重な恵みの雨や雪が降る。)


(上:土産物屋で売られているアルゲ・バムの震災前と震災後の写真ポスター)

13:20 昼食
 何を食べるのかを思ったら、小さな商店で卵10個、ヨーグルトを買い、持参したコンロで卵を炒め始めた。もう少し美味しいものができるかと期待していたけれど、見た目の通りの味だった。こんなにたくさんの黄身を食べたら病気になってしまうよ。


(上:このスクランブルエッグの残像は、のちのちまで私の脳裏に焼き付いていた)

王子の庭園(シャー・ザーデ庭園)
 下の画像をクリックすると見学できます

 王子の庭園を見学して車に戻ってくると、
 運転手は、助手席の下でガスコンロの火を付けて眠りこけていた。
 寒くなくても死んじゃうよ。

シャー・ネエマトッラー・ヴァリー聖廟
下の画像をクリックすると見学できます。

 それからタクシーを15分ほど走らせ、ケルマーン市内に入った。

 タクシーを降りる時、ファリーバは運転手と長い交渉をした。
 高い値段をふっかけれているのかと思ったら、
 「この車は扉が満足に閉まらない事故車で、すきま風に苦労したわ。」
 と、初めの料金よりファリーバが値切っているのだった。

 結局、250000リアルが225000リアルになった。
 流石だけれど、
 私も話ができれば、あと20000リアルまで下がったかもね。

18:00 チェックイン
 ファリーバの勧めに従って、彼女と同じホテルに泊まることにした。今回のイラン旅行で最高級のホテル。朝食付きで20ドルだなんて信じられない。

・ 市内中心から少し離れている
・ ゴヴァーシール・グランド・ホテル

18:30 風呂
・ 夕食は抜き

(上:私の部屋。TV、冷蔵庫、バスタブまで付いている。)

19:00 消灯
 仮眠してから食事に行くつもりが、次に目覚めたのは翌日午前4時だった。

 今日は何の主体性もないままファリーバと一緒に行動した。おそらく私の趣味と近いものがあるから選択としては間違っていなかったと思う。今日はクリスマス。明日は日曜日。

続きをどうぞ!

私の日記 12月26日

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