このページは旅行記『モンゴル旅行記2007夏』 2007 aug. 14 - aug. 28  です。

私の日記 5日目

2007年8月18日(土)

◎ 世界遺産『ウブス湖』 ======================
終日:ウブス湖
                  ウブス湖にあるツーリストキャンプ
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8:30 起床
 コールドシャワーを浴びてさっぱりした。身体が冷えきっているときの冷水シャワーは、足先から少しずつ洗うとよい。

 それから、長袖のシャツを除いて、全ての衣類を洗濯した。衣類はシャワールームの床に置き、その上に乗って足踏みをするだけでよい。それ以上の丁寧な洗濯は不可能だ。

 さて、これからの旅は、正直なところ「ウランバートルに戻って外国人向けツアーに参加したい」が、もうここまで来てしまったので、ぼちぼち自力で頑張るしかない。観光名所はたくさん見逃すと思うけれど、仕方あるまい。ここで一踏ん張りして、やってみよう。上手く行かなければ飛行機でウランバートルに戻ろう。

 また、地道な旅はお金を使わないので、現地通貨がたくさん残ってしまいそうだ。ぱあーっと大金を使いたいが、この国で大金が必要なのは交通費だけである。

9:00 朝食
 ザハ(市場)の中にある小さな食堂に入った。まだ時間が早いので、ほとんどの店は準備中だった。


上:メニューは読めないので、今回は1番上の料理を注文してみた。何が出てくるかなー。


上:ジャガイモと羊肉の炒めもの、生キャベツ、白米。かなりのヒットでした。右にあるのは、スーティーツァイ。


上:オラーンゴムのザハから、大通り方向を写す。手前にある軍事色の車は、ロシア製の乗り合いミニバス『フォゴン』。故障が多いから乗りたくないけれど、他に交通手段がなければ乗るしかない。平均時速は10〜30kmである。


上:巨大パラボラアンテナも販売している。30000トゥグリク(3000円)。直径は2メートル近くある。こんな巨大なものも、ほどほどに売れるようである。


上:何だか分からないフルーツのジュースを飲んだ。何杯も飲むと確実に下痢になるが、1杯程度なら寝込むまでにはいたらないだろう。水分とビタミン補給には最適だ。100トゥグリク。

11:30 タクシーを拾って、ウブス湖にゴー!
 ザハ(市場)でタクシーを拾った。客待ちをしている適当な車に声をかけ、「ウブス湖に行きたい。往復40000トゥグリク」と言った。言葉は全く通じなかったが、ウブス湖の写真とモンゴル語で理解できた。1台目で交渉が成立し、その車でホテルに戻った。

11:45 ホテルを出る(チェックアウト)
 一晩15000トゥグリクの約束だったが、フロントでは10000トゥグリクしか請求されなかった。5000トゥグリクの追加自己申告する選択肢もあったが、部屋の設備をほとんど利用していないし、そもそも料金は『時価』なので黙っていた。

12:00 ウブス湖へ向けて旅立つ
 約40kmの道のりだった。タクシー1台を1人で貸し切るのは本当に気分が良い。自分の好きな場所で写真をとったり、水を買ったりできるからだ。

 ところで、ウブス湖へ行く途中、私は車の無免許運転をしたかも知れない。断定することはしないが、運転手の彼が何回も何回も勧めた。それから、私は断じてしていないが、彼はビールを飲みながら運転していたかも知れない。それはモンゴルの風土にあまりに適合しているし、誰も咎めることはないだろう。モンゴルにはモンゴルの法がある。ここに来たなら、さまざまな常識、作法、法を体験しなければいけない。それが異国を旅し、その国に生きる人々を尊重する行為なのである(これらの行為が合法であるか否かは別にして、国民全体の合意ならば、誰も非難することはできない。異邦人がとやかくいう問題ではない)。

13:00 世界遺産『ウブス湖』着


上:世界遺産の記念碑。記念碑の隣に立っているのは運転手のテテニシ。彼はとても良い人だった。


上:トラックで来ている人々。ザハ(市場)でトラックに乗り込む大勢の人々を見たが、もしかしたら彼らがそうなのかも知れない。楽しそうだなあ。

  湖畔に車を止めた。この湖は琵琶湖よりも広いし、専用駐車場もないけれど、何台かの車が停まっているところがある。とりあえず、見晴らしの良い場所なのだろう。


上:とりあえず、ズボンの裾を上げて入る。

 いくつかのパーティーが食事をしていたが、1つのグループに声をかけられて合流した。とても英語が堪能な女性がいたからだ。

 敷布の上に座り、スーティーツァイ(ミルク茶)と揚げパンを頂いた。運転手も一緒だ。そうこうしているうちに、羊の解体が始まった。


上:解体作業は最終段階に入った。


上:胃袋の内部。緑色に見えるのは、草。


上:料理を待つ間、今度はパンツ1枚になって泳ぎにでかけた。すると、1人の男性が両手を挙げているので、私も真似をした。


上:これは「モンゴル相撲をしよう」という意味だったらしく、組み合うことになってしまった。彼はモンゴル、私は日本代表になってしまった。結果は私の勝ち。かなり偶然の部分があったけれど、勝ってしまったのだ。当然モンゴルの面子が立たないので、もう1試合することになった。第2試合は、手で脚をもたれて負け。日本の相撲にはない技なので、対応し切れなかった。


上:骨を煮込み、だしをとる。


上:レバー(肝臓)。


上:腎臓。

 1時間ほど遊んでいたが、料理はまだできない。

 その間、茶色の粉末を鼻から吸い込む、という行為を行なった。これは客人をもてなす一般的な作法だったが、私は初体験だったので咳き込み、涙が出た。その粉末はとても良い香りで、数時間にわたって香りが残っていた。この粉末はモンゴル国内では合法であるが、日本に持ち込めるか否かは不明である。

 また、料理は食べることができなかった。1つだけ頂いたものは、炭焼きラングである。「ラングって何?」と問い返してしまったが、ラングとは肺である。まさか、肺を食べるとは思わなかったが、かなり美味だった。形態は、直径1.5cmの管に真っ白な脂肪が厚く付着していたから、正確には「気管肢」だと思う。

 それからツーリスト・キャンプに移動した。運転手のテテニシとは会話ができないから、珍しいラングを持ってきてくれた彼女に通訳を頼んだ。そして、明日の10時から11時に、タクシーで迎えに来るように交渉した。また、オラーンゴムに戻ってから「ハラホリン行きの乗り合い車」を探して欲しいこと、オラーンゴムのホテルに私が忘れてきた「タオル」を受け取ってきて欲しいことを頼んだ。テテニシは快く了承した。

18:00 ツーリスト・キャンプに移動
 遠くから見たツーリストキャンプは湖に面しているように見えたが、実際は徒歩20分の距離だった。かなりショック! 幸いなことは、ニヤムカという日本語を話す女子大生が働いていることだ。

18:30
 食事ができたと言って起こされる。食堂ゲルに移動して食事。味は良いけれど、これで5ドルは高すぎる。あまりに観光客料金なので面白くない。もし、紅茶ではなくコーヒーが飲めるなら許せるのだが、、、。うどんは、おかわりのつもりじゃなかったけれど、2杯目が出てきてしまった。それから、その足で湖に出発。私が歩き出すと、ニャムカとスフバトがついてきた。彼らのお陰で楽しい散歩になった。会話はあまりできなかったけれど、バッタを追いかけたり、花を撮ったりした。
花はもっとたくさん咲いているかと思ったけれど、咲いていなかった。また、鳥も想像以上に少ない。たくさんの期待をしてくると失敗をするけれど、私はあまり期待していなかったから、ほどんど見られなくても残念な思いをしなくてすんだ。
人がいるところには鳥はいない。鳥がいるところに人が行くと、鳥がいなくなる。同じように、人が逃げなければならないようなものが必要だと思う。人は弱い存在であることを忘れてしまっているようだ。
モンゴルの人口は少ないからゴミの問題は発生していないけれど、車窓からビール瓶を捨てるのは日常茶飯事だ。


上:夕食のうどん、紅茶。


上:ニヤムカとスフバト


上:大きな音を立てて飛ぶ昆虫。


上:塩。


 発電機のうなり声を上げ、その電気による公害を避けながら、夜空を撮影した。北極星が高く、北斗七星と小熊座が美しく見える。天の川も見えるが、私のレンズでは一部分しか撮影できない。魚眼レンズを使って、美しい全天を撮影したい。


上:天の川を撮影した。
撮影データ
・露光時間30秒、200mmにすると、星の軌跡が写る。

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