このページは旅行記『モンゴル旅行記2007夏』 2007 aug. 14 - aug. 28  です。

私の日記 12日目

2007年8月25日(土) 雲1つない朝

◎ ハラホリンからウランバートルへ =================
午前:ハラホリン、エルニデゾー観光
午後:ハラホリン(乗り合いフォゴン)→ ウランバートル
                            ウランバートル泊1
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 昨夜は何度もトイレに起きた。
 頭も冴えていたけれど、腹が良くないのでロクな仕事ができない。
 夜中にクラッビトを1錠飲み、無理して横になった。

 だんだん良くなって来るような気がしたが、気のせいだろう。
 先ほどまで冷えきっていた体は熱くなってきた。
 長袖のシャツを脱ごうかと思ったが危険なので止めた。

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8:00 起床
 窓の外は明るく昼の日差しになっている。

8:30 朝食
 調子があまり良くないで、紅茶1.5杯とクラビット1錠、パン1かけらを頂く。

8:50 出発
 部屋の窓からザハ(市場)の方向を眺めると、それらしい車(フォゴン)が止まっている。「ウランバートルへ行くかも知れない。すぐにチェックアウトしよう。あれを逃すウランバートルに帰れなくなるかも知れない」。


上:旅立ちの前に、ホテルのご主人と記念撮影。

9:30 ザハ(市場)を出発
 車は2倍料金を使ってフロントシートを手に入れた。もちろん2人分の空間を占有している。この場所は「とあるおばあさん」が予約していたが、私は金によって奪い取った。申し訳ない。私はおばさんにも自然にも悪いことをしている(窮屈を我慢すれば2人が移動できるから自然環境にも大変悪い)。罪の意識が芽生えてしまったが、日本で4人乗りの車に1人しか乗っていない現状や市バスの乗車率を比較して自分をなぐさめよう。ヒトは便利さを追い求めて、さまざまなものに犠牲を強いている。


上:市場前のタクシー乗り場。とは言っても、1本の標識、チケット売り場、時刻表など特別なものは何1つない。口コミで車の情報を集めるしかないのである。
 なお、上の写真中央のトラックの荷台にある青い容器には、自家製『馬乳酒』が入っている。私はここで3回購入した。購入したばかりのものなら、下痢の可能性は低い。

9:35 とあるゲル
 ザハから走り出した車は、外国人観光客用のゲルに止まった。そこで、欧米人、ガイド、運転手の長い交渉が始まった。おそらく予定した時間よりも早く来てしまって文句を言っていると思うが、「早く乗ってくれよなー」。それに英語しかしゃべらないのはいけないよ。私も英語しかしゃべらないけれど、もう少しジェスチャーとか交えないと。

10:00 エルデニ・ゾーの前
 欧米人観光客がここで1時間観光するというから、私もそれに便乗した。ここで1時間遊んでいるうちに、その他の乗客をピックアップして戻ってくるだろう。


上:もう一度見学したい方は、上の画像をクリックして下さい。

11:00 エルデニ・ゾーの駐車場
 約束の時間に戻ってきたが、誰もいない。車は当然遅刻するとしても、欧米人もいないのが心配だ。もしかしたら、ザハ(市場)集合なのだろうか。それとも全員遅刻しているのだろうか。

11:20 不安になる
 不安になってバイクをチャーター(1000トゥグリク)してザハまで走らせる。ザハには何台かの車が止まっていたが、私のパソコンと荷物を積んだ車はいない。すぐその足(バイク)で、同じ場所まで戻った。かくなる上は、集合時間を1時間間違えたと考えなけばれ、心配し過ぎで倒れてしまう。

11:45 遅い朝食
 欧米人は、ガイドと一緒に30分以上遅刻して来た。これでかなり安心した。

 私は何もすることもないので、遅い朝食をとった。昨日を同じように小さな店で適当なものを注文した。


上:つくり置き『蒸しうどん』。まずいけれど、料金は高い(1500トゥグリク)。

 バケツから盛り付けた料理が運ばれてきた途端に、車が来た。何というタイミングの悪さだろうと思ったけれど、腹の調子が悪く、食欲も無かったの良かったのかもしれない。4、5口食べ、金を支払って車に乗り込んだ。自分のパソコンと荷物が置いてあったので、ほっとした。

11:50 ハラホリン発
 車は快調に飛ばした。

 数時間走ると、車は修理のために止まった。そこには馬が放牧されていた。


上:水を飲む馬。


上:名前が分からない白い小さな花。


上:道路を悠然と横切る馬。この道路を見てくれたまえ。アスファルト鋪装されている。こんなに良い道があるのに、数日前の私は悪道を延々と我慢して走っていた。


上:モンゴルの草原には特有の強い匂いがある。良い意味での「ソ・ウ・ゲ・ン!」という匂いである。その匂いを放つのが上の植物『アサギリソウ』である。踏み付けたり、手で揉んだりすると良く分かる。


上:アサギリソウの花のアップ。


上:アサギリソウと馬の糞(ほかほか)。その成分のほどんどは植物繊維である。


上:アサギリソウと馬の糞(かさこそ)。そろそろ土に還る頃である。


上:羊、山羊の糞3つ。これらもやがて土に還る。

14:30 昼食
 全く食欲がなく、コーヒーだけを頂くつもりが、食堂にメニューをあったので適当なものを指差した。


上:朝と同じものが出てきた。偶然というよりは、私が食事に興味を持っていないこと、メニューが少ないことが原因だ。

 今は、車に戻ってパソコンをたたいている。早く日本に帰って、美味しいものが食べたい。これ以上羊の脂を食べ続けると、かつての牛乳が飲めれなくなってしまったように、羊が食べられない身体になってしまう。思い起こせば、インドのラダック地方(チベット仏教)でも羊ばかりを食べていた。そこでも身体的にかなり参り、1週間寝こんでしまった。

 白飯や日本でいつも食べている定食が食べたい。私は食事に関しては文句を言わない性質であるが、精神ではどうにもならないほど生理的に参っている。羊以外のもの、羊の脂を使っていないもの、乳(馬、羊、牛など)を使っていないものを食べたい。このように考えると、不本意ながらチベット仏教は私には向いていない。その精神世界にはかなり興味を持っているのに、、、


上:アスファルト鋪装道路から、下の未舗装道路に降りようとする私の車。

 ハラホリン←→ウランバートルの道路は、モンゴル国内随一のアスファルト道といっても良い。しかし、完全には整備されておらず、工事中区間がいくつもあり、寸断されている箇所がいくつもある。どの車もアスファルト道を通行したいので、未舗装道路との間を行き来することになる。しかし、工事中のアスファルト道は一般車両が通行できないように、土砂で両縁を盛り上げたり、溝を掘ったりしてある。4輪駆動車でもほとんど往来できない状態である。それでも、何とか乗り越えたりして頑張るのは一般庶民の当然の行為である。

 上の写真では、アスファルト道を長距離走行してきた後、寸断され、途方にくれている様子である。こんな崖のような斜面を降りれるはずがない。土は中途半端にふかふかで車が横転しても不思議はないのに、ドライバー達は『小さな土手』を崩す相談をしている。私は馬鹿らしくて参加しなかったが、彼らは20分以上頑張っていた。結果はもちろん不可能である。

 走ってきた道を5分戻れば解決するが、そうはいかないのがモンゴルなのである。


上:砂埃を上げて走る車。写真で見ているぶんには美しいが、実際は呼吸できない状態になる。某国首相が「美しい国」という理想を掲げ、煙りに巻いて逃げたこと(2007年9月12日14時)と比較できる。


上:草をむしられ、重い車に何度も踏み付けられ痛めつけられ、西日に照らされる大地を「美しい」と感じることも可能だ。私は写真家にもなってみたいが、それより自分の姿勢や思想を大切に、それを発表したい。


上:修理が完了した私の車。運転手が早く乗れ、と私を呼んでる。

21:30 ウランバートル着
 ウランバートル西部にあるバスターミナルに到着した。ここから市内中心部まで、同じ車に乗って来た欧米人3人と一緒にタクシーに乗った。

22:00 ウランバートル中心部
 私は中心部にある百貨店の前で降りた。ここから数100メートルの範囲にいくつかのホテルがあるからだ。

22:50 ホテルにチェックイン
 予定していたホテルは満室だったので、2軒めのホテルを尋ねたが、そこも満室だった。時間も遅かったので早く決めたかったが、地図に書いてない小さなホテルも満室で、結局5軒めで決まった。

 そして、シャワーを浴びてからホテルが経営するレストランで夜食とビールを頂き、本日終了とした。


上:卵サラダと生黒ビール。

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