このページは旅行記『イスラエル旅行記2008春』 2008 mar. 22 - apr. 1  です。

私の日記 3日目
2008年3月24日(月)
                      
◎ エルサレム新市街散策 ====================
(1) 聖ヤコブ教会
(2) イスラエル博物館
(3) バイブルランド博物館
(4) イスラム美術館
                        エルサレム泊(3/3)
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 私が眠っている間に2回、それぞれ1人旅の男が入ってきた。彼らは部屋の電気が消えていたので、音を立てないようにして横たわった。

2:30 起床
 6時間寝て眠気が消えたので、部屋の外で日記を書く。/ 宿のフロントにいる青いアラブ服を着た黒人は、昨日から連続して仕事をしてる。彼は今、ネットでユーチューブを楽しんでいる。日本もイスラエルも全く変わらない光景だ。私は冷蔵庫の鍵を開けてもらい、ネッスルの紅茶(5シェケル)を買った。このロビーの客は、同じようにネットをしている白人男性1人と、疲れた2人の白人女性がいる。2人の女性は、しばらく休息をしてから大きな荷物を持って外に出ていった。空港に行く様子ではないので、他の安宿に行くのだろうか。/ 室内の温度24℃。温度計の針を見る限りは暖かい感じがするけれど、深夜にチェックインした同部屋の男性は、薄っぺらなシーツにくるまったミイラのように寝ていたから暖かくはない。/ 日本との時差は7時間。ここに来て、ようやくマックの時計を合わせた。

7:50 聖ヤコブ教会
 聖ヤコブ教会には、何もなかった。昨夜、すれ違った観光客の情報によると、本日午前7時にミサが行なわれるはずだったが、私が遅刻したのか初めからなかったのか良く分からない。


上:聖ヤコブ教会の入り口の上にある美しいモザイク

 それから、教会の周りをぐりりと1周しようとしたが、民家の路地をさまよって同じ場所に出てきた。教会と民家の壁の区別がつかないのだ。秘めやかに隠されたような教会の外観は、ユダヤの特徴の1つなのかもしれない。よくよく思い出せば、聖墳墓教会の概観も目立たない。まるで、敵の侵入を阻む迷路のようなのだ。私はモロッコの青い街『シャウエンのメディナ(別ウィンドーで開きます)』を思い出した。

8:20 朝食
 宿の近くにあるホスピスで食べた。30シェケルでお腹一杯になって大満足だった。明日もここで食べよう!
上:バイキング形式になっている。シャケやイワシの酢漬け、食後のデザートがたまらない。

8:55 ツーリスト・インフォメーション・センター
 イスラエル博物館への行き方を尋ねると、中央バス乗り場で市バスを乗り換える方法を教えてくれた。個人タクシーでも良いけれど、市バスも利用してみたい。料金は市バス1回5.6シェケル、タクシー30シェケル。今日は開館10時から閉館5時まで、どっぷり見学する予定だ。

 さて、教えられたバス停で15分以上待っていたがバスは来ない。朝の通勤ラッシュが始まっているようで、他の車も動かない。タクシーもいない。博物館までの地図上の距離は2kmなので、歩いた方が早そうだ。しかし、歩き始めると位置が分からなくなり、1/3ほど歩いたところでタクシーを拾った。タクシーは裏道を走り、開館前に到着した(25シェケル)。

9:55 イスラエル博物館
 切符売り場でメイン会場が工事中であると告げられたが、ここまで来て引き返すことはできない。チケットを20%割り引きで購入し、入場した。

 子どもの作品がとても良かった。複数のワークショップがあった。

11:30 イスラエル博物館で昼寝
 メインの建物が改修工事中なので、今日はこれでお終いかも。なんだか眠くなってきたので、広い庭園で昼寝した。


上:「子どもがたくさん歩いているな、騒がしいな」と思って目を開けたら、私が寝ているベンチの横で、子どものためのワークショップが始まっていた。私もこんな環境で仕事をしたい。


上:イスラエル博物館の中にある死海写本館の外観。てっぺんから水が流れて、室温を下げるようにしている。


上:死海をイメージした映像作品。

12:30 昼食
 博物館のレストランで昼食をとった。サンドウィッチ20シェケル、牛乳入りコーヒー(大)16シェケル。美味しいものとは言えない。


上:ざっと、こんなところで36シェケル(1000円)。サラダの盛り合わせにしておけば良かった。

13:00 バイブルランド博物館
 隣接するバイブルランド博物館は、小さな作品がたくさんあったけれど、私の興味を惹くものではなかった。私は美術に興味を失ってしまったのだろうか。わずかな収穫は『ダビデの街』と現在のエルサレムの位置関係を正確に理解できたことだ。ダビデが造った街のジオラマは、ダビデの城壁と現在の旧市街の城壁の違いを教えてくれた。大昔の河川や、エルサレムが発展し拡大してきた範囲が分かった。。残念ながら館内撮影機禁止だったので画像はない。/ 博物館の庭で、本日2度目の昼寝をした。

15:30 イスラム美術館
 イスラム美術館へタクシーで移動すると(20シェケル)、すでに閉館して30分が経過していた。悔しいので、市バスでヤッホ門へ移動した。市バス初体験だった。また、タクシー運転手は、イスラム美術館を知らなかったが、彼を責めることはできない。ここには多くの観光ポイントがあるし、私の説明は十分とはいえないからだ。住所をいわなければ分からない。


上:イスラム美術館の正面入り口。門が開いていたのは、閉館したばかりだったからだろう。


上:新市街からみた旧市街の西側城壁。中央やや右に見えるのが『ダビデの塔』、そのすぐ左が『ヤッホ門』、私の宿はそれらに隣接している。

 これで、私のエルサレム新市街観光は終了だ。エルサレムで私の興味を惹くのは、『岩のドーム』内にある岩だけになった。私は自分の宿の前を通り過ぎ、旧市街の路地に入った。そうそう、新市街の店で買った缶ジュースは、旧市街よりも安かったのには驚いた。旧市街は観光客のための街になってしまったのかも知れない(私の安宿は5、新市街は6、旧市街は6〜10シェケル)。


上:旧市街の土産物。
右:旧市街の路地。

16:00 本日2度目のインフォメーション・センター
 私の最終目的地となった岩のドームは、入場口と時間が規制されているものの個人で入れることがわかった(複数の入り口に立っている門番は、正確な情報を知らない)。その他にもいくつかの情報をもらったけれど、この近辺には旅行代理店がない。私としては直接旅行代理店の人の説明を聞きたいし、複数の代理店を比較して決定したい。とりあえず、電話をかけるためにキオスクでプリペイドカードを購入しよう。

16:30 嘆きの壁
 エルサレムではここが一番落ち着く。いつでも訪問できるし、人々が祈る姿が美しい。この姿を見ていると、エルサレムはユダヤ人のものだと確信できる。


上:左が男性用、右が女性用。中央にある白地に青色で星が書いているのはイスラエルの国旗。


上:兵役中のイスラエル軍人が祈りを捧げ、壁の前で記念撮影していた。


上:壁の前で、結婚記念写真を撮るカップル。


上:筆者も記念撮影。

 嘆きの壁を撮影していると、そこには1人のカメラマンがいた。彼はドイツに住んでいるドイツ人であるが、彼女はテルアビブで働いているイスラエル人らしい。彼はここで撮影した後、鉄道でテルアビブに移動するそうだ。エルサレムとテルアビブの鉄道は景色が良い山間部を走っているので、是非乗りなさいと勧められたがチャンスがないのが残念だ。また、彼からの情報によると、ユダヤ人はあまり酒を飲まないが、昨日は、お祭りだったので二日酔いになるまでのみ、仮装していたようだ。これで私の疑問も解けたし、先程歩いた広場が静かだったことも何もかも納得がいく。彼らは酔っぱらいでもないし、猥らな生活をしているのではない。

 以下は黄昏れ、ライトアップされる嘆きの壁の連続写真3枚。



 それから、壁へ近づき、さらに祈る人々をビデオ撮影をした。

18:45 聖墳墓教会
 これはイエスを埋葬したと言われる教会であるが、嘆きの壁で祈るユダヤ人に共感を覚えた後では、観光客に取り囲まれている様子にがっかりする。もちろん、時間帯を変えれば、世界中から熱心な信者がツアーを組んで訪れる姿がある。


上:聖墳墓教会の入り口。19:00閉門前に、ほとんど全ての参拝者は追い出される。

19:15 夕食
 岩のドームと聖墳墓教会が見える屋上があるレストランで食べた。ビールは酵母の味をよく感じられる美味しいものだった。合計66シェケル。この料金にはサービス料が含まれていると思う。何のサービスもなかったけれど、、、


上:ロケーションは最高でした。

 帰り道は寂しかったけれど、危険は全く感じなかった。


上:誰もいない旧市街の路地。

 宿に戻ると、たった1杯しか飲んでいないのに、すぐに寝てしまった。次に目を覚ましたのは翌日0時15分だった。

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