takaのメモ帳   2011年10月

Column
1 本づくりは70%〜80%の力で
2 自然災害、防災に関するメモ
3 自然災害と社会的(人的)災害の区別
4 言葉に置き換えて『みる』こと


2011年10月15日(土)
3:00 起床
 早起きしなくてもよいのに、習慣で起きてしまった。昨夜、久しぶりにリラックスして就寝できたことが深い眠りに繋がり、睡眠時間は同じでも十分なのだろう。すぐにこれまで置き去りにしたり壊れたまま放置したりしてきた日常の補修にとりかかった。執筆作業はまだまだ終っていないけれど、今集中している山場は越えたので、少しずつ日常を取り戻せると思う。このnoteを書くことができるのも嬉しい。30分ぐらい使うつもりだ。

 全力で走り始めたのは東日本観光の途中だったから、8月中旬になる。写真展を決断し、決行し、クロッキーFを再開し、執筆依頼が舞い込んでFを再中断し、執筆に専念した。振返れば、たった2ヶ月のことだったけれど、体力的にとてもきつかった。ロングランに感じたけれど、それは違うようだ。

 睡眠時間を削ることはできなかった。連続して眠る時間は平均4.5時間で、その他、数回に分けて数時間眠った。そうしなければできない仕事だった。この手法は自分が10代の時に獲得したものだから、いつもの方法をくり返しただけだ。新しく工夫した点は、後半数週間にテニスを取り入れたこと。若い時よりも、積極的に運動しなければいけない身体になってしまった。

 食事は大きく制限した。土日休日は、朝食も昼食もほとんど食べた感覚がなかった。夕方5時までに食べたものは、ヨーグルト、コーヒー1杯(カフェインレスなら数杯)、ポテトチップス1袋。その他、プリン1つぐらいかな。夕食は、いつものように外食したけれど、ご飯は小盛りにした。胃袋が小さくなっているので、あまり食べることができないし、腹8分目が丁度よい。もちろん、私の胃袋にとっては10分目になっているけれど、、、

 とまあ、ここまでで30分使ったのでお終い。お疲れさまでした。

 ===

16:00 散髪
 ようやく髪を切った。歯医者に定期検診の予約をした。F再開のための会場予約をした。白衣を漂白した。夕食でビールを飲んだ。音楽を20分ほど聞いた。少しずつ日常に近づいてきたけれど、何が日常なのか、大きな問題に直面している。

20:00 消灯
23:40 起床
 こんな時間に寝たり起きたりすることは、私にとって1つの日常だ。僅かなプレシャーの中で生活することは充実している。自分の意思とは無関係なところで生じる圧力はとても魅力的だ。プレッシャーのない生活は、人間をダメにする。


2011年10月16日(日)
 くだらなことを書いているうちに日付けがかわった。今日は公務員の給料日。でも今日は日曜日だから、先週金曜日付けで僕の通帳に入金されているはずだ。僕は公務員で、今はそこそこぐらいの給料をもらっている。給料は年齢と比例するシステムになっているから若い時は随分大変だったけれど、今はその逆だ。我慢すれば帳尻があうシステムなのだ。これが一般企業と違うところだから、定年まで続けなければ損をするけれど、損するものは金銭だけなので、残された時間、人生を計算すれば潮時かもしれない。最近、政府は年金支給開始年齢を68歳に引き上げようとしているけれど、目が見えなくなり耳が聞こえなくなり体力が落ちた老人に何をさせようというのだろう。私達は一部の政治家の奴隷でない。死ぬまで働くつもりはサラサラない。私達は助け合って生きる社会をつくろうとしているのだから、子どもに教育を与え、老人は社会の番人になるべきだ。


2011年10月26日(水)
4:40 起床
 イイ感じのペースになってきました。昨日は、約1年半ぶりに歯医者さんへいって、定期検診を受けてきました。とくに何もなくて、掃除をしてもらっただけです。今度は1年後に来てくれれば良い、ということなので、本当に良い歯医者さんに巡り会ったものだと思います。彼はまだ若いので、私が死ぬまで診て欲しいです。

 今朝は寒いので、部屋の暖房をつけました。設定温度は見ていませんが、27℃ぐらいになっているのかなあ。かなり暑いです。でも、暑めの方が身体が休まるので、このまま暑さを感じることにします。

 学校は今日から中間テストが始まります。昨日の生徒のみなさんはテストモードに入っていました。合唱コンクールも3週間後に迫り、テスト直前でも本気で練習に取り組んでいる姿に感激しました。中には、涙している生徒もいました。私が吃驚したのは、『先生、大丈夫だよ。あの子は泣いているけれど、その悔しさをテスト準備のバネにして、いつも以上に勉強するから』と教えてくれたことです。素晴らしい洞察力に感心しました。なるほど、の一言です。同情する前に、客観的に1人ひとりの特性を分析しなければね、と思いました。

 ここ数週間、毎日のように銭湯に通っています。行き初めの動機は、気分転換と思索でした。でも、最近は身体のリフレッシュが目的です。その副次的効果として気分転換と思索がある状況です。これは素敵なことですが、良く考えると、風呂の究極の目的は、汚れた身体を洗うことだから、ということは毎日風呂に入る必要はありません。肉体労働をしているわけではないので、簡単に汚れないのです。

本づくりは70%〜80%の力で
 リラックスできている原因は、最近集中していた本づくりが終ったからです。今回の本づくりはでわかったことは、100%の力を出すより70%〜80%ぐらいにしておいた方が、よい本ができる、ということです。読者層をどこに絞るか、にもよりますが、いずれにしても、読者としては100%出されるより、少しゆとりがあった方がいい、ということです。これは他の分野にも当てはまることで、肩の力を抜くことは、入れるよりも難しいということです。もちろん、初めから緩みっぱなしの人は問題外です。力の抜き方、これを今後のテーマの1つにしようと思います。いろいろな分野と場面で、さまざな力の抜き方テクニックを考察してみたいと思います。これは、とても面白い発想だから、この文章をよんだ人はまとめてみると何冊かの本ができると思うよ。だけど、大きなテレビ番組制作に利用されるのは嫌だな。くだらないことになりそうだから。

 僕のアトリエにはテレビがない。もう30年以上になるから、ほとんどテレビを見ていない。たまに、どこかで見ることがあるけれど、本当にくだらなくて、がっかりする。くだらない番組を見るために、日本人は働いている。テレビ関係にたくさんの金が流れていることは知っていると思うけれど、それは、僕達が汗水たらしたお金だ、ということを知っているのだろうか。本当に悲しい。みんな見ないようにすれば、みんなの汗は、よりよいもののために使われるようになる。でも、すでに生活習慣病になっている人が多いので、それを治すのは大変だ。もっと楽しいことは、世の中いっぱいあるんだけど。たった150年前はテレビはなかったんだけどな。

 そうそう、本づくりの位置は、3番以下にしようと思う。1番はクロッキー、2番はHP。僕は公務員だし、無償ということに興味がある。HPの自由度は高く、僕はいくつかのノウハウを知っているから、書籍より大勢の人が喜ぶものを無償で簡単につくれる。それから、教育にはそれほど興味はなかったかれど、最近は少しずつ興味を持つようになってきた。人に何かを教えたり、人を育てるのは面白い。おそらく、最高に面白いことの1つだと思う。面白い、という表現はちょっと不適切だけれど、ここでいう面白いは、私の自由にならない部分があるから面白い、という意味が込められている。私が思った通りの人間ができるなら、すぐに興味を失うだろう。私と違う考えや行動をする人が生まれることは、もっと面白く刺激的で、より素早く社会が発展していくことになる。

===
勤務
===

18:50 クロッキーF
21:00 二次会
 期せずしてモデルさんとツーショットになりました。5年以上通っている店ですが、店長が中国へ帰国してしまい、新しい店長になっていました。とても感じがよい方なので、上手くやっていけそうです。消灯時間不明ですが、23時には熟睡していました。あ、それから、今日はクロッキーF復活の記念すべき日でした。とても嬉しいく思います。でもね。全然クロッキーモードになれない自分がいたことに驚きました。これからどうしようなか。僕は自由だよ。


2011年10月27日(木)
4:40 起床
 不思議なことに、計ったように昨日と同じ時間に起きました。目覚まし時計でもついているのでしょうか。

===
勤務
===

 いつもの店で定食を食べ、マンガを読み、ビールの中瓶を飲んで帰ってきました。これから寝ます。何時起きるのか不安だけれど、起きたらHPを書こうと思います。充実したページができる予感がします。本づくりは楽しいときもあったけれど、悲しく落ち込んだ時間があまりに長かった。僕は自分らしく生きていきたい。だいだい、本よりもHPの方が充実していることは明らかだ。本は本であって、絶版したらお終いだ。僕のHPは、僕が死んだら著作権フリーで誰でも自由に使ってください。写真も膨大な量があるから、かなり使えると思うよ。とりあえず、自然科学関係だけで10万点ほどあります。だからといって、僕の命を狙わないでくださいね。もう少し、みなさんのために活動させてください。


2011年10月28日(金)
0:40 起床
 やっぱり早起きしてしまいました。今日は自然災害についてつれづれなるままに記します。東日本大震災や最近の洪水を通して考えたことのメモです。

自然災害、防災に関するメモ
1 自然災害は、災害だと思うから災害になる

2 自然災害=自然の恵み、自然からの教訓とすることができる

3 自然災害が発生する場所は、危険な地域に限られている
 → それは自然の恵みを受けている地域でもある
 → 自然の恩恵を受けようとすればするほど、危険と背中合わせになる
 → 安価な土地を求めることは、危険な場所を求めることに等しい

4 大雨によって起こる洪水は、自然の摂理

5 自然の摂理に逆らう行為は、ほどほどにするべき
 → 人はほどほどを知らなければいけない
 → 100%を求めることは不可能、無謀、無知

6 自然災害によって、そこに人が住んでいはいけないことを学ぶべきだ
 → 自分の土地だと主張しても、それは地球の土地であることを忘れてはいけない

自然災害と社会的(人的)災害の区別
 一見、自然災害のように見えても、実は人がつくった災害であることが多くあります。例えば、よく津波が発生する地域に家を建てること=よく津波に襲われること=人的災害づくり、です。古人の教訓(科学的事実)を忘れてはいけません。そこに家を建てるな、と警告してたはずです。

 と記述してみたけれど、誤解を招いていないか心配です。でも、がんばって発言しないと、人間社会全体が衰退する可能性もあるので、言うべきことは言うべきだと思います。それから、私は防災という考え方も嫌いです。上のメモでも書いたように、災害と感じるのは人間です。防災のために自然を破壊する行為は許されない、と私は考えています。人は安全な地域で慎ましい生活をするべきです。あるいは、自然の恵みに感謝しながら自然の巨大な力を受け入れるべきです。

 自然は自然です。ヒトという生物が、ヒトの生活に被害を与えることを災害としているに過ぎません。鳥や魚や植物達に聞いてみれば分かります。自然の摂理を曲げることは不可能です。自然の力を知り、自然から学ぶことが大切です。これは自然に恵まれた日本に住む日本人の国民性です。自然を克服するものとしている西欧文化の対極に位置する文化です。私達日本人は、自然に対して自己主張をすべきではないし、するならほどほどにすべきです。

 それから最近、自然の定義ができそうな気がしてきました。がんばります。


2011年10月29日(土)
4:50 起床
 よく寝たような寝ていないような不明な時間。寝ている間に鼻血を出して、止っていた。たくさんのプレッシャーの中で生きていることがわかる朝だった。それからHPを書き、クロッキーの整理をして、朝寝をして、いつもの麺を食べ、再びHPをつくる。つくること=生きていること=形あるものをつくること=熱エネルギー第2法則に逆らうこと。僕の反逆は物質なのか精神なのかよくわからないけれど、自然の摂理に反していることは間違いない。今はラジオを聞きながらnoteしている。つまらないことを書いているのではないかと思う。休憩はこれぐらいにして、仕事を再開しよう。

21:00 ウノ
 友達に迎えに来てもらって、とある研究室で翌日1時頃までウノをする。ゲームは好きだけれど、ウノの経験は浅い。これで2回目ぐらいかな。不思議な楽しい経験だった。8000円もするシャンパンを飲み、山ちゃんと風来坊の手羽先を食べ比べたり、堂島ロールを食べたり。私はチャンピオンになり、自宅まで送ってもらった。地下鉄が無くなってしまったからだ。


2011年10月30日(日)
 午前0時を挟んで起きていることがない私は、かなり衰弱してしまった。朝7時から仕事をしてみたけれど、集中力がないので、10時からテニスへ出かけた。しばらくすると小雨で中止になった。それから、ご飯を食べ、昼寝をして、銭湯へ行き、仕事を再開する。流れとしては悪くない。これで、21時までに就寝すれば、いつものペースに戻ると思う。そうそう、今日はテニスコートで尊敬する先生とお話ができたので、とても嬉しかった。彼は放射線の内部被曝を研究されている。世界中の庶民のために真実を究明しようとする姿に頭が下がる。私も見習わなければ。

 夕食はいつもの麺屋でカレー麺を注文した。うーん、って感じ。

言葉に置き換えて『みる』こと
 ものが見える、ということは、言葉に置き換えることができる、ということだ。カレー麺うーん、じゃなくて、カレーの辛さは十分にあるけれど、つけ麺の汁にしては水分量が多く、麺にからむ量が少なくて物足りなさを感じる、というように言葉で表現しなければ伝わらない。絵画をみるときも同じで、どれだけの言葉で置き換えることができるかで決まる。人物クロッキーを描くときは、モデルの身体表現、非言語による表現を、どれだけの言葉に置き換えることができるかできまる。言葉にできたものは概ね描くことができる。絵が書けないという人の多くは、モデルを見てないか、言葉に置き換えることができない、あるいは、言葉を知らない、言葉の意味を実体験していないのである。

 たくさんの言葉で置き換えることができる場合でも、私は「その何というか。すごいですね。」のように誤魔化ているような表現を好む。明確な言葉で認識している場合でも、それが言葉によって正確に伝わるかといったら、そうではないと思うからだ。カレー麺の話をすれば、私の感じる辛さと君の感じる辛さは違う。麺にからむといっても、僕の食べ方と君の食べ方は100%といって良いほど違うから、僕の食べ方ではからまないだけで、他の食べ方なら程よく絡むこともあるだろう。だから、僕は自分の言葉で明確に認識できても、言葉にはしない。だから、福地は何を考えているかわからないと言われることが多いけれど、僕はそれを甘んじて受けいれている。もう少ししたら、明確な言葉で表現するときが来ると思うけれど、まだまだ、今の自分の力では、自分の押しつけや押し売りになると思う。もう少し自分のボキャブラリーや視点を増やし、押し売りにならないように精進する必要がある。

続きをどうぞ!
2011年 9月 taka-note 2011年 11月

↑このページのTOPへ
[→home] (c) 2011 fukuchi takahiro