takaのメモ帳   2011年11月

Column
1 写真は、言葉に置き換えることができるか
2 写真撮影の方法
3 TPP条約は、日本をアメリカに売る条約に等しい
4 どうでも良い毎日の出来事を本気で話す
5 閲覧に耐えられる品質をもった作品づくり


2011年11月3日(木、文化の日)
 今日は文化の日。僕は、文化という言葉が好きだ。使い古された言葉だけれど、僕と一緒に時を過ごすブランディーのように、甘さという透明度を増していく。ということで、今日は、久しぶりにHPを3ページ公開しました。
何年か前のことを復習する若手教師のためのワンポイント・レッスン
塩化銅の電気分解3年:2011年度
純物質を水に溶かしたときの変化3つ同上

 いつも考えている普通のことを形や言葉にして一般公開するのは、とても楽しいことです。これが僕にとっての文化で、1番興味あることです。


2011年11月5日(土)
写真は、言葉に置き換えることができるか
 メールで質問が来た。上のような内容だったと思うが、すでにビールを飲んでしまったので確認する気力がない。勝手に変型して『写真は、言葉に置き換えることができるか?』にする。その答えはイェース! できる、だ。言葉に置き換えられなんてものはない。初めはわからなくても、次第に言葉に置き換えることができるようになる。逆に言うと、言葉に置き換えることによって、初めて真実が明らかになる。その証拠に、あなたは僕の文章だけを頼りに、僕が伝えようとしていることを受け取ろうとしているではないか! 数式であろうと、絵画であろうと、写真であろうと、生け花であろうと、歌であろうとすべて同じで、言葉という共通言語(?)を使うことで人は共感することができる。日本人は日本語を使って、フランス人はフランス語を使って、それは民族性そのものであり、日本語は日本の独自性をつくっている。なお、日本人が世界的に優位な位置にあるのは、難解で複雑な言語を使っているからに他ならない。簡単な話だ。

 さて、写真を言葉に置き換えるとき、日本人は日本語を使って置き換える。これは写真を鑑賞するときも撮影するときも同じだ。おっと、質問は、写真を撮影するときのことだったと思うから、私が写真を撮影するときのテクニックを紹介しよう。まず、おっ、これは! と思ったら、迷わずシャッターを押す。そのためにはカメラを持っていることが1番大切で、カメラがなければ写真は撮れない。次に、シャッターを押す。これが写真撮影の基本だ。もし、カメラを選ぶことができるなら、シャッターを押した瞬間にシャッターが切れるカメラを選ぶこと。

 シャッターを押した後に余裕があるなら、露出やシャッタースピードがあっているか確認する。真っ黒や真っ白はダメなので、露出を確かめる。シャッタースピードを速くして、ぶれぶれの写真にならないようにする。これができたら、ピントがあっていることを確かめたい。ここまでを2枚目としょう。

 次の3枚目から日本語を使って撮影する。おっ、これは! と思ったものは何か。何に感動したのか。何を撮りたいと思ったのか。日本語を使って動機を分析する。もちろん、偶然に出くわした被写体が失われてしまう状況なら、何も考えずに、自分の感性を信じて、フレーミングを考えながらシャッターを何度も押す。非言語の感性を信じる。しかし、言語に勝るものはないので、できるだけ言葉に置き換えながら、自分が感動したものを分析し、それを適切に表現するための手段を選択する。選択するといっても、カメラの場合は次のような方法に絞られる。

写真撮影の方法
(ア) 被写体に近づくか、被写体から遠ざかるか
(イ) 望遠を使うか、広角を使うか
(ウ) 絞ってピントを深くするか、開いてピントを浅くするか
(エ) シャッタースピードを速くしてとめるか、遅くしてブラすか
(オ) ローアングルにするか、ハイアングルにするか
(カ) 順光にするか、逆光にするか
(キ) フラッシュを焚くか、焚かないか
 大雑把にはこれぐらい。撮影に関する手引書はたくさんあるけれど、要約すれば大したとこはない。

 とにかく、自分の衝動を分析し、それを適切に表現するための方法を上の中から選び、あるいは、組み合わせて撮影する。自信や時間がないときは、とにかくたくさん撮影する。学校の授業風景を撮影するときやモデルを撮影するときは、1秒にも満たないチャンスが連続しているので、とにかくシャッターを押しながら考える作業をくり返す。

 良い写真は、言語化された自分のイメージが、撮影上のテクニックと一致しているものである。そのような写真は奥が深く、くり返し鑑賞することに絶えられるものであり、時代を越えて愛される写真作品となる。ということで、作者が明確な言語を使って意識して製作した作品は、絵画であれ写真であれ音楽であれ共通した普遍的価値をもつのであり、制作手順は違ったとしても、最終的な制作段階で言語が大黒柱のようにしっかり経っていることが共通していることがお分かりになったと思う。


2011年11月9日(水)
 新しい本につては悲しいことばかりで涙が出るよ。これが杞憂で思い違いであること願っている。

 その他は少しずつペースができてきた。常に新しいことにチャレンジすること。失敗すること。今日1日のほんの僅かな素敵なこと、楽しかった場面を思い出して眠ることが大切だ。それができることが僕の最大の長所の1つさ。


2011年11月15日(火)
TPP条約は、日本をアメリカに売る条約に等しい
 昨日、夕食に入った店のテレビを見た。最近話題になっているTPPについて激論が交わされていたけれど、あれはひどい条約だ。日本をアメリカに売るための条約に等しい。

 政治家は何もしないのが一番国民のためになる、と誰かが言っていたけれど、野田さんは酷いことをしている。彼の目的は何だろう。男は黙って行動するのが良い、とでも考えているのだろうか。彼は何も話さないけれど、きっと、何も知らないから話せないのだろう。国会で議論せず、国民に説明せず、たった1人で決断して実行する。異常だ。条約会議のテーブルにつかせてもらえないのにリーダーシップをとる、という彼の発言は狂っている。

 私はシンナーを吸引している中学生に対応したことが何度もあるけれど、吸引者に常識は通用しない。説得は無理、話を聞くことは無意味だ。これは薬物使用者に対する対応の基本であり、警察官なら誰でも知っている。彼はその状態に極めて近い。質問に答えない。口を開いたかと思えば、ぼんやりした曖昧なことを話す。国内では何も不明瞭な一方、国外では笑顔で良く話す。重大な決断をしていることは間違いないが、その内容は国民を苦しめることだ。その証拠にアメリカの大統領は大喜びで大歓迎している。

 正直な話、条約の詳細は私もよく分からない。しかし、少なくともアメリカの企業が不利益を被ったとき、日本国が莫大な補償金をアメリカに払う制度であることは間違いない。その裁判はアメリカ国内で行われ、条約は日本の法律より優先される。日本国益、国民の命の安全よりアメリカ企業の利益が優先される条約だ。私には信じられない不平等条約だ。日本そのもの、日本国憲法を売るに等しい。何を得ようというのだ。

 条約のターゲットの1つは日本の医療、薬剤、保健である。著作権や特許を保護するという名目で、これまで広く行われていた治療を受けるために、アメリカに特許使用料を1回ずつ払うことになるだろう。この文章を読まれた方は自分でTPPを調べ、本気で反対してください。私はテレビで30分ほど聞いただけなので細部は間違っているかもしれませんが、本質的にとんでもない不平等条約であること、人類に無償で供するべき英知を独占しようとする条約であることは間違いありません。外国の珍しいものが安く変える、なんてものではありません。おちおち研究もできません。立ち上がろう、日本国民!

 追記です。数日後、外国で満面の笑みを浮かべて記者会見をしている野田さんを見ましたが、彼は日本人なのでしょうか。私は大きな疑問を持ち始めました。首相として失格であることは間違いありませんが、日本にこれだけ不利益なことを笑顔で実行できる人は異国人でも多くないでしょう。良心があれば、それが痛むはずです。それから、諸外国のみなさんは日本の首相が目まぐるしく変わること、ろくな政治家がいないことを良く知っています。それとは逆に、サッカー、野球、スケート、バレーボールなどのスポーツ界で立派な成績を残していることから、日本国民については一目おいているようです。


2011年11月16日(水)

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勤務(萩山合唱祭)
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 生徒達は120%の力で歌い、私は審査員としてがんばりました。とても疲れましたが、会場のみなさんは有意義な時間を過ごし、審査結果に納得いただけたのではないかと思います。萩山は素敵な中学校です。

18.50 クロッキーF
 大切にしたい人と肩を並べてクロッキーできて幸せでした。1分1秒を大切に、最後の一瞬まで悔いが残らない人生を歩みたいです。うまく表現できずに無駄を感じることはたくさんあるけれど、少しずつ前進していることは間違いないから、がんばらないとね。
21.00 二次会
 楽しい二次会で美味しいものを頂き幸せな時間でした。


2011年11月17日(木)
 もうすぐ2期末テストが始まります。とても忙しい季節になりますが、がんばりたいと思います。


2011年11月20日(日)
 特記事項なし、と書くことに意味を感じます。細かいことはたくさんあるけれど、特記ではないわけです。


2011年11月28日(月)
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勤務
・2学期期末テスト初日(理科)
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19.00 テニス・スクール

どうでも良い毎日の出来事を本気で話す 
 テニスクールの話です。女子高生が話しかけてきて、腹筋が痛いんだって。・・・どうでも良いことを楽しそうに本気で話すから吃驚したけれど、よくよく考えれば、どうでもよい毎日の出来事を本気で話すことがとても大切なんだ、とうことに気づきました。より効果的な腹筋トレーニングとか、その他のトレーニングをアドバイスするのではなく、「腹筋痛いんだ!」で十分でなのです。もっと言えば、話を聞く必要もなくて、僕は僕で自分勝手な自分の出来事を話せば良いのだ、ということを後になって気づきました。

 同じようなことが職場でもあって、年に数回、ごく少人数の同じ歳の酒豪が集まり、大酒を飲みながら自分勝手な話をばらばらにするんだって。・・・どうでも良いことを喋りたいだけ話す。その場に好きな酒と気の置けない(気を使わなくても良い)人があるというのは人生最高の幸せの1つだと思います。素敵な時間だよね。私は何か役立つことを答えなければ、と考えてしまいがちなので、今後がんばって毎日の出来事を気ままに喋ってみようと思いました。私と同じような性格の子どもは多いので、これを学校でも教えようと思いました。 →結局役立つようにと考える自分がいて、とほほです。

 それから、今朝の夢のテーマは『失われる記憶』でした。夢の中の登場人物は、『全ての物質は風化するけれど、作品の本質は失われることなく、むしろ風化によって明らかになっていく。したがって、意図的に作品を残す必要はない』と主張していました。確かに、絵画やピラミッドなど物質から構成されるものは最終的に地上から消え去ります。このHPのような電子媒体は風化しない可能性もありますが、100%とは言い切れません。

閲覧に耐えられる品質をもった作品づくり
 しかし、私は夢の登場人物の考えに反対です。意図的に残さなければいけないと思います。残す方法は重要で、他人が簡単に閲覧できるようにするべきです。科学的な作品です。例えば、このnoteは整理されていないので、将来重要な部分だけを取り出して新しいものをつくるつもりです。
追記:2012年11月5日よりtaka-note のコラムの整理を始めました。

 私は私ですが、過去の私と現在の私は明らかに違います。別人といっても良いと思うのです。昔のメモ帳を読むと、何とかギリギリ過去の自分を思い出せるような気がしますが、実際は無理です。とくに中途半端な資料では100%不可能です。本質のかけらもありません。過去の自分は、肉体・精神・その他もろもろ完全に消失しています。しかし、私がつくった作品は私と切り離された存在として存在します。作品が作品として存在できる可能性は、作品の完成度と作品を閲覧する人の量に比例します。

 別件で、作品は意図的に作るものではありません。私は作品をつくることにとても興味をもっているし、何かを作っているときが1番楽しいから、私は作家です。将来、作ることが1番の楽しみでなくなったら私は作家でなくなりますが、今は、今日のメモの冒頭に書いた「毎日のたわいない出来事」を加えて、より新鮮で刺激的な作品をつくりたいと思います。このnoteも手を加えなくてもよいレベルの作品になりますようにと願いを込めて。(翌朝記す)


2011年11月29日(火)
5.10 起床

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