私の日記
7月22日(名古屋の地下鉄は快適です)
[自宅からリマまで][ロスアンジェルスで両替]
7月23日(高山病になりました)
[入国審査ゲートを逆戻り][セーターを持ってくればよかった][クスコへG0!][何とかしてよ、タクシーの運ちゃん][コカ茶][高山病の荒治療]
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22日 (名古屋の地下鉄は快適です)
自宅からリマまで
地下鉄の御器所駅からから名古屋駅まで2区、230円。きれいなシートに、どーんと座って、わくわくすることができます。ただ、ニューヨークの全線1ドルと比べると、料金が高くて文化の低さを象徴しているようで恥ずかしい。さて、名古屋駅で予定していた13時18分発、ひかり号のチケットを買う。15時14分、東京駅着。とても順調だ。ここからは下調べをしていないので、てきぱき行動しなければならない。運良く15時33分発、成田エキスプレス(3000円)に乗車することができた。料金のことばかりで恐縮だが、これも高い。人々が移動するために金がかかるのは文化レベルが低いと痛感する今日この頃だ。16時25分、成田国際空港に到着。
ロスアンジェルスで両替
19時発、ヴァリグ・ブラジル航空833便に乗る。翌朝0時30分、リマ国際空港着の直行便だ(時差:14時間)。料理はまあまあだったと思う。また、何より幸運だったのは、給油のためロスアンジェルスに止ったとき、トラベラーズチエック1000ドルを、ドルの現金に両替できたことだ。手数料1パーセントを取られたが、日本で直接両替するよりレートが良く、しかも、後々まで非常に役だった。
7月23日(高山病になりました)入国審査ゲートを逆戻り
入国手続きは順調で、すぐに終わった。税関を通り抜けて案内所に直行。
「クスコまでの飛行機はありますか?」
「朝8時にありあます。」
「チケットはここで買えますか?」
「はい、買えます。」
「何時からですか?」
「2時間前からです。」
私は運が良いようだ。さらに、
「どこかに待合室はないですか?」
すると、
「今、出てきたばかりのを入国審査ゲートくぐって、国際線の待合室に行け。」
と言う。
「一体、、あの入国審査は何だったんだ。」
私は陽気な顔をしてリュックを担ぎ、
「オラ。」
とスペイン語で声をかけると、早くも出国をしてしまった。
「ついに、南米の国ペルーに来たんだなあ。」
と実感した。
セーターを持ってくればよかった
さて、チケットの発売は出発2時間前なので、まだ4時間は待たなければならない。しかし、この待合室は恐ろしく寒い。
「うーん。これが国際線か。」
私は、暖かそうなレストランで時間をつぶそうと思い、飛行機のなかで知り合った日本人の青年二人に声をかけ、赤っぽい色のサンドウィッチとコーヒーをご馳走することにした。乾杯。そして、
「うまい。」
「うまい。」
「うまい。」
JALの機内食より旨い。
閉店3時まで粘ったが、とうとう追い出された。待合室はさらに寒くなっている。私は免税店を探し回り、アルパカ50パーセントのセーターを買った。そして、この幸せなセーターは、
「今日から毎日着られる運命。」
になるのだった。
クスコへG0!
午前5時。銀行が開いたので300ドルをペルー通貨、ソレスに両替する(1ソレス約45円)。
次に、チケットを買うため航空会社カウンターへ行く。1つも開いていない。しかし、ぼやぼやしていては買い損ねる。あちこちで尋ね回っていると、一人の男が近づいてきた。
「クスコ?」
と尋ねる。
「そうだ。」
と答えると、
「8時出発が65ドル。」
と言う。私は男を
「じいーっ。」
と見た。そして信用した。男は、私の目の前でチケットに時間と私の名前を書き込み、そして、エアポート・タックスの支払い場所からチェックインカウンターまで、すべてつき合ってくれた。こうして、訳の分からないままクスコへと飛び立った。
何とかしてよ、タクシーの運ちゃん
クスコの飛行場を出るとタクシーの運ちゃんが近寄ってくる。
「市内まで3ドル。」
値切るのが面倒なので、その値段で乗った。
市街地図を見ながら予定した宿への道順を指示した。しかし、
「スペイン語しか話せない。」
と言う。
「とぼけとんのか?」
と思ったけど、
「まあ良いだろう。」
だんだん頭に来たのはこれからだ。彼は宿に着くと、私より先に宿の中に入り、主人と何やら話しをしている。
「嫌な感じ。」
そして、
「ここは高いし部屋もない。」
と言う。
「ええー、運ちゃん。何か変なことを話したんじゃないの?」
と日本語で叫んだが、主人も、
「無い。」
と言う。
その後、運ちゃんは、彼が言うところの安宿を何件か回り、やっとのことで私と意見があった。
「ほー。もうこれで堪忍してよ。」
長旅と高山病で疲れているんだから。
しかし、運ちゃんは私の部屋までやって来て、
「明日、市内観光をしよう。」
と言う。私は、
「はい、チップ。」
と言って4ドル渡し、自由の身となった。
コカ茶
ベットに横たわると、時差と高山病とで頭が痛くなりそうだ。しかし寝る前に、朝食をとる必要がある。
私は宿の小さな食堂に入った。窓から射し込む柔らかい光と、優しそうな女主人が迎えてくれた。私は台所を覗き込み、パンや玉子を注文した。そして、女主人はコカ茶を薦めた。
日記を書いていると朝食が来た。コカ茶が美しい。白いカップにたっぷりのお湯、その上に生き生きとしたコカの葉が何枚ものっている。真緑の葉は、そのまま怪しい香と蒸気に包まれ、私の鼻と目から脳みそにまで達した。私は2回、お替りをした。
部屋に戻り、ベットの上で目を閉じる。
気がづくと午後3時だった。1時間ほどクスコの市内散策をして、再び寝た。
次に起きたのは、午後8時30分だった。
高山病の荒治療
振り返れば、休む間もなく日本から飛んできた。ベットで10時間寝たが、3500メートルの標高と寒さのために、体調は良くない。
「さらに休息しようか。」
とも考えたが、この症状は、これまでの経験から一日やそこらでは治らない。それならば、
「4日間の高地トレッキングで荒治療をしよう。」
と考えて旅行代理店に直行。
・ 全行程33キロメートル
・ 3泊4日
・ ガイド、ポーター、コック付き
・ 65ドル
・ 参加者数32名
・ 英語圏の参加者多数
・ よーし、行くぞ
しかし、体調への不安から私個人用のエキストラ・ポーターを1日7ドルで雇った。そして、ビタミンの豊富な缶ジュースやチョコレートなどを大量に買こんだ。これを、ポーターに運ばせればよい。荷物は、約24キロの重さになった。ひき続き、私の日記(24日)『マチュピチュへの道。インカトレイル。』をご覧ください。