南米の旅 1996

私の日記
 19日(今日も、多いに迷う)
 20日(ブラジルのビールを飲む)


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私の日記

19日(今日も、多いに迷う)

 
 01:20に起きた。それからたくさんの夢を見た。
この現実の世界は、親指の先を、ほんの少しだけ動かすだけで動く。

 スクレ美術館
 6:40起床。日記を書いて、出発の準備をしてから外に出た。
 スクレ美術館に行くと、美しい女性が前庭の掃除をしていた。開館前だったが、彼女は私を案内し、2階の扉を開けてくれた。
 朝の光のなかで室内の美術品は静かな輝きを放っていた。
 1階の受付に座っていた女性に、彼女の名前を漢字で書いた。
「魔加里。」
彼女は大変に喜び、展示品のオルガンやハープシコード、それに今まで見たことのない楽器を鳴らし、いっぱいサービスしてくれた。

 多いに迷う
 10:45。タクシーで飛行場へ。1時間前に着いたが、ほとんど誰もいない。
その後、飛行機は順調に飛び立った。
 13:00サンタクルス着。ここまでは良いが、ここで多いに迷うのである。
「サオ・パウロまで鉄道で行こうか?飛行機にしようか?」
「陸路にしようか?一気に飛ぶか?」
あげくの果てには、
「アスンシオンまで飛んでイグアスの滝を見るのもいいなあ。」
と迷っている。
「我ながら困った性格だ。」
しかし、
「サンタクルス市内行きのバスがすぐに出発する。」
と言うのでそれに乗ってしまった。
「これで陸路に決定。」
じゃあ、すぐに航空券が手に入っていたら、、、

「どうなっていたのだろう?」
「、、、」

 キハロ行きの特急券
 市内に着いたのは15:30。宿にチェックインしてから市内散策を始める。 
「鉄道駅で夜行か早朝の切符を買おう。」
ぶらぶらの散歩だ。しかし駅の窓口で聞くと、
「今晩17:00発の列車に乗らないと、悲惨な結果になる。」
ことが分かった。つまり、
「日本に帰れない。」
私は、すぐボリビア国境の街キハロ行きの特急券を買った。そして、駅前のタクシーを捕まえた。
「列車の出発まで1時間しかない。」
ホテルまで舞い戻り、荷物を持って駅にまたまた来た。
「ふー。」
一息ついた。しかし、定刻を過ぎても列車は来ない。
「まあ、いいでしょう。」
 私はジュースを飲みながら、日記を書き始めた。


20日(ブラジルのビールを飲む)

 静かな列車の旅
 知らないうちに朝になって私はまだ、列車の中。窓の外は、カッパドキアの奇岩を大きくしたようなものや、凄い興味ある地層の変化や、人々の生活風景で十分に楽しんだ。そして日記をまとめ、一人のくつろいだ時間を過ごした。

 決断は正しかった
 16:30。私の車両に、一人の女性がやって来た。彼女は一枚の紙を見せながら、
「次の駅で降り、私達と一緒に国境を越えよう。」
と誘った。私は彼女を信用して、次の駅で降りた。
 その駅には、彼女の働いているホテルの日本製4WDが待っていた。
「こちらに手を振っている。」
すでに、私と同じように誘われた観光客が5、6人乗車ていたので安心した。
そして、私達の4WDはボリビアの国境に向かって、ものすごい勢いで走り出した。
 
 キハロの夜景
 17:05ボーダーに着いた。しかし、出入国管理事務所の職員は、
「時間が過ぎたので、翌朝7時に来い。」
と言っている。
「そんな馬鹿なことはない。」
と無理を押して、出国スタンプを押してもらった。
 私達は再び4WDの荷台に乗り込み、ブラジルの道を走り続けた。ボリビア国境の街、キハロの夜景と美しい満月にしばし時間を忘れた。

 ブラジルのビールはうまい
 私達の車は、ブラジル国境の街、コルンバのほぼ中心にあるホテルの前に止まった。列車の中で私を誘った女性は、ここのガイドとして働いている。ホテルも彼女の英語も、非常に感じがよかった。
 自分の部屋に入るとシャワーを浴び、どろどろに汚れたジーパンを洗った。それを窓の外に干し、部屋の扇風機を外に運び出して風を当てた。
「月に見られたかも知れない。」
 それから、夕食をとるために外に出た。人数は少なかったが、屋外のテーブルを囲んだ人々が、うまそうなビールと談笑を楽しんでいた。
 私も1本のビールを楽しみ、寝た。

21日(快適バスの旅、サオ・パウロへ)をご覧ください。

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