このページは、旅行記『中央アジア2001夏/taka』です |
私の日記
8月18日(土) 晴
=<イシクル湖>====================
・ バーニャ(公衆浴場)3度目の正直
カラコル 11.00(乗り合いタクシー)→ 13.10 チョルポンアタ
・ イシクル湖で水泳
・ 岩絵博物館
チョルポンアタ泊
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0.00 消灯
クラビット、ロキソニン服用
7.50 起床
夜もばたばた五月蝿かったけど、朝もどたばたしている
お陰で、眠くもないのに寝袋に潜ぐりこんで、、、
寝過ぎた
8.10 バーニャ(公衆浴場)
今日は気合いが入っている
一昨日、昨日と失敗したので、今日は絶対みんなの入っているサウナと
洗い場に挑戦したい。
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9.50 朝食
・ さらうどん
・ りんごジュース
・ コーヒー(ミルク入り)
・ パン
・ 42ソム
10.25 両替(100ドル→ 473ソム)
11.00 チェックアウト
タクシーに頼んで、ビール1本(昨夜飲もうと買っておいたもの)で
長距離バスターミナルまで走ってもらった。
バスターミナルには大型バスもあったけど、チョルポンアタ
行きは『おんぼろ』だったので、出入り口にいた『乗り合いタクシー』
にしようと歩いていくと、まさにマイカーって感じのお父さんに「チ
ョルポンアタまで100スム」と声をかけられ渡りに舟だったんだけど、
その直後、プロのタクシー運ちゃん3人に囲まれ、まじで私を引っ張
りあう。握力55kg重以上は間違いない。痛い。そして、「幾らだ?」
と言って、もっっと引っ張る。そんなの知らんけど、結果としてプロ
のタクシーに120スムで乗ることになってしまったけど、ワーゲンゴ
ルフだったので凄く速かったから許す。
13.10 チョルポンアタ着
タクシーを降りようとすると運ちゃんが言った。「私の家に日本人が泊ま
っているから君も来い。場所は博物館の裏。料金は食事込みで250ソム。」
だけど、同乗していた女性客が海岸近くのホテルにらしきとこに歩いて
いってしまったので、私は「ちょっと待って」ということで、その辺の
人に聞いたら14ドルで宿泊できるということのなので彼の誘いを断って
しまった。しかし、これは大きな間違いだった。
まず、敷地内に入る前、ポリスの相手をして10分無駄にする。彼の分か
らない英語の説明によると、5、6箇所に分散していているホテルは、
どれもこれも海岸から遠いらしい。
何だか分からないまま、重い荷物を背負って彼の後を歩いた。
レジストレーション(登録)事務所では15分並んだけれど、ロシア語で
あっちのホテルに行けと言われていったものの、ホテルにはフロントも
空き部屋もない。
この周辺のホテルは諦めて、もときた道を戻ってバザール付近で声が掛
かるのを待つ。だけど、声も掛からない。ガイドブックによると、客引
きで一杯のはずなのに、、、
昼食しかない
・ 羊肉うどん 大変美味しい
・ パン
・ ミルクコーヒー
・ ウエイトレスが知り合いとかぶっていた
それから、もう一度、そのホテルに言ったけど、どうにもならなくて、
ロシア語と日本語で無意味な会話をしているところに英語が話せる女性
が通りかかって、さっきのレジストレーション・オフィスまで同行して
くれることになったけど、そこでは、「さっきのホテルで14ドル払っ
て領収書をもらってこい。」と言うので疲れてしまったけど、そこに
並んでいた1人のおばさんに「私の部屋にいらっしゃい。7ドルよ。」
と言うので、英語の話せる婦人に「場所がどこか聞いて下さい。それか
ら、2食込みで250ソム(5ドル)が相場だから聞いてください。」
と頼んだら、裕福な婦人は料金のところで笑っていたけど、結局、
歩いて5分、食事無しで7ドルのままだったけど決定した。
ここに至るまで、2時間を必要としたので、運ちゃんの言うことを聞
いておけば良かったと後悔。
<7ドルの部屋>
・ 集合住宅の1室
・ 狭い
・ 1部屋を用意してくれた
・ バスタブだけど冷水のみ
・ すぐに洗濯した
18.05 岩絵博物館
時間をかけてゆっくりしたい。
↑ 写真をクリックしてゴー
20.10 夕食
・ 羊肉うどん かなり旨い 50ソム
・ 生ビール 良く冷えて旨い 25ソム
・ 主人の名前は、イッシェンベーグ
それから宿に帰るが、完全にぶち切れ、洗濯物をかたずけて夜の街
に飛び出した。宿の当てはない。
私が切れた理由は、昼7ドルを払おうとしたら、両替えしてスムで
払ってくれと言うので、わざわざ銀行レートを調べて325ソムを用意
したのに350くれと言うからだ。差額の25ソムは大した額じゃない
けど、ただでさえ料金が高いのに、食事もなしで、、、
私は7ドルか325ソムを選択させたけど、相手はどちらも受け取らな
いので切れた。始めに交渉した7ドル以上払う必要はないし、第一、
そんな常識を知らない人に一晩世話になるなんて考えられない。
その後、イッシェンベーグ(レストランのオーナー)の知り合いのお
ばあさんの家を紹介してもらった。150スム。大変、愛想のよい老婆
が出てきて嬉しかったなあ。彼女は、78才だと言っていた。
22.00 消灯
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8月19日
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