このページは、旅行記『中央アジア2001夏/taka』です |
私の日記 7月29日(日) 晴れ
=<サマルカンド3日目>==============
◎ 終日サマルカンド観光
1 グリ・アミール廟
2 ルハバット廟
3 ウルグベク天文台
4 サマルカンド歴史博物館
5 アフラシャブの丘
(休 息)
6 アル・ブハリ
7 結婚パーティー
サマルカンド泊3
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6.50 起床
6.51 シャワー
7.00 朝食
(上:昨日と同じだけど豪華でしょ)
昨夜ルティフィに誘われて、もう1日サマルカンドを観光することになった。
彼はサマルカンド外語大学で英語と日本語を勉強している生っ粋のサマルカ
ンドっ子。19才なので「彼女はいるか?」と訊ねたら、「彼女はいないけ
ど、僕のことを好きな女性が2人いる。」とのこと。男性は19才、女性は
17歳から結婚できるので自分が希望すれば、もう結婚できる。それから、
彼は今年9月に東京世田谷区にホームステイして日本語を勉強するそうだ。
授業料として1800ドル(3ヶ月)必要だから、今からどうしようか悩んで
いるところ。
8.30 ツーリストインフォメーションセンター
・ ルテゥフィと待ち合わあせ
8.45 グリ・アミール廟
(上: ルトゥフィと門前で記念撮影 →写真をクリック)
9.45 ルハバット廟(グリ・アミール廟の北すぐ)
・ 無料
・ ルハバットとは、タジク語で『霊の家』
・ 中国人が眠っているらしい
・ お勧め度 *
(乗り合いタクシー 70スム)
・ no.17、no.45
・ 降ろしてくれ!と頼んでおかないと乗り過ごすだろう
10.20 ウルグベク天文台
(上:地下構造になっている六分儀)
・ 六分儀の弧長は63メートル
・ 館長ウルグベクはティムールの孫で、数々の非凡な才能を持っていた
・ サマルカンドで一番高い土地にある
・ 750スム
・ お勧め度 **
(乗り合いタクシー 100スム)
・ 白タクシーを使った
・ 通常は125スム
10.50 サマルカンド歴史博物館
アフラシャブの丘から発見されたフレスコ画を展示している
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11.25 アフラシャブの丘(博物館の裏から入る)
・ 旧サマルカンド(モンゴルに破壊されるまで)
・ 何もない荒れた(黄〜黒色の)大地を散策
・ 帰り道は、徒歩で天文台から戻ったことになる
・ 気温は34度だったが、暑く感じなかった
・ お勧め度 **
11.45 昼 食
・ シャルク(東)・レストラン
・ シャブバザールの近く
・ 初めてピラフを食べた
・ 650スム
フトゥフィによると、タジク人は油がいっぱいのピラフが好きらしい。また、サ
マルカンドの『パン』が中央アジア一帯で一番美味しい(本当に頷ける)理由は
サマルカンドの空気(雰囲気)が良いからである。(パンが美味しいので、この
雰囲気説には従うしかない)
12.30 シャワー → 昼寝
15.00 Macで執筆
16.30 インフォメーションセンター
・ ルテゥフフィさんの案内で観光
乗り合いタクシー1 70スム
・ 少し離れた『タクシー乗り場』まで
乗り合いタクシー2 250スム
・ アル・ブハリまで
・ サマルカンドの西18キロ
17.30 アル・ブハリ
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今日の予定は終了したけど時間があまっているので
旧市街を散策することにした。場所は1番初めに訪
れたグリアミールの裏。
(上:車輪をまわして遊ぶ少年たち)
(上:ウォッカ工場の門)
ぶらぶら歩いていると、男ばかりが集まっている。
近づいてみると、そこは結婚パーティー会場だった。
18.40 結婚パーティー
・ 無料(『祝い金』を置こうとしたら、それは失礼なんっだって、、、)
・ 今日は結婚式の1週間前で、男達だけのパーティーが開かれている
・ 女達のパーティーはない
・ この前に、花嫁が持参した品を親族に見せていたらしい
・ このような結婚パーティーはたくさん開催される
<結婚1週間前><当日><40日後><1年後><赤ちゃんが生まれて
40日後>・・・
今日は、これでお終い
そして、ルトゥフィともお別れなのでe-mailを教えてもらった。ついでに私
の部屋にきて、パソコンを見ていたら9時半。そして、さようなら、、、
21.50 消灯
寝る前に、一番絞り(ビール)を飲む
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7月30日
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