このページは『イラン旅行記 2004冬』 2004 dec -2005 jan です |
私の日記
2005年1月3日(月) 曇り時々小雨
◎ エラム期の遺跡巡り ==================
1 チョガー・ザンビール(世界遺産)
2 ハフト・タッぺ遺跡と博物館
15:50 シューシュ(乗合いバス)→ 18:30 アフヴァーズ
19:20 アフヴァーズ(夜行寝台)→
列車内泊
==================================7:45 起床
・ ちょっと朝寝坊
・ さっさと行動しよう8:00 朝食
・ バス停の隣の店で
・ 肝焼き5本とジュースで6000リアル
・ ソーセージを指差したら、レバーを勧めてくれた
・ さらに、レバーを追加したら、とても丁寧な仕上げに感激
・ 食後の大きなカップのチャイはサービスだったかも知れない
(上:心遣いありがとう。)8:50 バス出発
・ 1100リアル(微妙な値段が地元感覚をくすぐる)
・ カウンターでチケットを買ったら、乗り場まで案内してくれた
・ タクシーで行く必要は全然ないと思う
・ 待ち時間10分
(上:昇降口の1人を選んだから、邪魔だったかも)
9:20 ハーフタッパァー(ハフトタッペ)着
・ 存在感のある小さな村だった
・ そこからチョガーザンビールの遺跡まで、タクシーの運ちゃんは40000リアルだと言うけど
・ バスターミナルから30メートル離れた交差点で
・ 1人の男が30000リアルで同意する
(上:チョガー・ザンビールへの道)
(上:羊を放牧して生活している人々→ さらにアップする)
(上:サダムフセインが潜伏していた場所とイラン軍の?)9:50 チョガー・ザンビール(世界遺産)
下の画像をクリックして見学しよう。
どうですか。世界遺産を満喫してくれましたか。私自身は、もう1時間ほど1人で散策したかったのですが、なんとなく運転手のペースにハマってしまい、小1時間ほどで遺跡を後にしてしまいました。もう一度、ゆっくり訪れてみたい遺跡の1つです。ただし、修復の手が入り過ぎないうちに訪問したいです。
さて、それから運転手の友達や彼の兄弟、家族を訪問する旅となる。
(上:まず、誰の畑か分からないところで5分ほど楽し気にお喋り。)
(上:話の内容は全く分からないけれど、彼と彼らは友達以上の関係みたい。)大きな家に到着。
彼の家だと思うけれど、親戚の家かも知れない。車から降りると、彼は前庭に咲いていた薔薇を手折り
私に差し出した。えっ、僕にですか?!
あ、ありがとうございます。私は男なんですけれど、、、
男が男に薔薇を手渡すなんてカッコよすぎ。
日本でやったら、どんな感じなんでしょう。それから、私は大きな部屋に案内された。
とても暖かく、大きな赤い絨毯が3枚並んでいた。男は満面の笑みを浮かべて、外に出ていき、
私の手許には一輪の薔薇が残された。
(上:くんくん、匂いを嗅いでみると薔薇だった。)暫くすると、彼が帰ってきて
ビニールの風呂敷を広げた。その上に、ナン、トマト、タマネギ、卵焼き、蜜柑、チャイが並んだ。
あー、男2人だけのピクニック。
言葉は通じないけれど、妙に盛り上がるんだよなー。
(上:親指を立てて完璧に満足しています。・・・私も、)→ ナンをちぎって、卵焼きとトマトとタマネギを載せて食べる
あー、ため息が出るほど
何でこんなに美味しいのだろうと
俺って可笑しくなってるんだろうか。
それとも、イラン文化を体得したのか!!
(上:右から、彼、そのお兄さん、叔父さん、私。)チャイを飲んで、言葉が分からないのに騒いで、
もー、やっぱり男のイラン文化を体得したに違いない。
チョガーザンビールも貴重だけれど、
彼との時間はもっと貴重かも知れない。↓
男同士で握手をして別れを惜しみ、
彼の車でハフトタッペ遺跡へ移動する。
(上:日本ではなく、フランスとイランの合弁会社らしい。)おや、ここはハフトタッペではない。
「オランダ、オランダ。」
と言っているから、オランダ軍の何かだと思うけれど、
さっぱり分からない。
鉄条網で仕切られている居住区へ進む。とある住宅の中に入った。
彼のマイホームだと思う。玄関から室内に通された。
奥さんと子どもが出てきた。
間違いない。
ここは彼の家だ。
食事を勧められたけれど、さすがに今食べたばかりなのでチャイを注文。
(上:彼の家族と記念撮影)それから、ハフトタッペ遺跡に移動した。
彼は博物館の見学をつき合い、
私をアフヴァーズまで送る勢いだったけれど、
さすがにそれは申し訳ないので辞退した。
料金は、初めに契約した30000リアル。
もうお金ではない関係だったので、契約通りが気持ち良い。
本当にありがとうございました。13:00 ハフト・タッぺ遺跡と博物館
下の画像をクリックして見学しましょう。
(上:チョガーザンビールで発見された女性の骨壷)13:50 それから、ローカルバスでシューシュへ戻る
・ バスは、手をあげても止まらない
・ 博物館から200メートルほど戻った停留所へ移動すると、5分でバスが来た
・ バス停があったのだ
・ それまでに2本見過ごした14:20 シューシュ着
14:25 昼食
・ 心臓3本、肝3本、コカ・コーラ1本を注文した
・ サービスでミックスの串が出て来た→ これが一番美味しかった
・ 金を払おうとしたら断られた
・ 御馳走様です
・ アラブ系のイラン人は、本当に優しいなあ
・ 昨日は女子大生に声を掛けられたし15:30 チェックアウト
・ 金庫の中から我がパスポートが出てきた
(上:ホテル前の通り。かろうじてホテルの看板 NASR が読み取れる。)15:50 乗合いバスでアフヴァーズへ
・ タイミングよく大型バスに乗車できた
・ 最後の乗客だったようで、一番後ろの席
(上:女性は全員黒いチャドルを着用しているが、男性は白黒の布を巻いている年輩の人と何もしない若者に大別される。白黒の布はアラブ系であることを示す。)
(上:アフヴァーズ近くなると油田の炎が立ち上がった。)
(右:私に席を譲ってくれた青年達)
18:30 夕食
・ 駅前の小さな店で
・ 豆スープにタマネギを炒めたものをかける
(上:味は悪くない。)
(上:アフヴァーズの駅前。警備員がたくさん立っているので、こっそり撮影してみる。)
19:20 アフヴァーズ(夜行寝台)発→ コム
列車はほぼ定刻通りに出発した。ここは1等車両だけあって、非常に快適だ。金持ちな夫婦と大学教授と同じコンパートメントなって知的な雰囲気が漂っている。金持ちな夫婦は、女性の方が教養豊かだ。英語を話すし、自分から夫のことを紹介したり、小さな心配りができる。金持ちと結婚するためには豊かな教養が必要なのだろう。
(上:とっても快適な4人コンパートメント。スナック、ジュース、チャイがついている。)快適過ぎて、ちょっと落ち着かない自分が情けない。2枚重ねていたズボンを脱いだり、くしゃくしゃの紙幣を整理したり、不釣り合いな自分を発見する。シャワーは毎日1回以上浴びているけれど、衣服を洗濯していないのが良くない。ちゃんと洗いたての、できれば新品の服を着なければ・・・なお、この1等車両の運賃は高価で、飛行機の60%ぐらい。
(上:夕食も出てきてしまった。高価なチキン。お腹一杯なので残念!)22:30 消灯
・ イランの教員の給料300アメリカドル/月
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