このページは『イラン旅行記 2004冬』 2004 dec -2005 jan です |
ハフト・タッぺ遺跡と博物館
2005年1月3日(月)曇り時々小雨→ 私の日記へ戻る
エラム王国(紀元前1300年)の3つの遺跡の位置関係は次の通りで、
それらはカナートで繋がっていた。
世界遺産
チョガー・ザンビール遺跡
↓
ハフト・タッペ遺跡
↓
スーサ(シューシュー)遺跡
(上:チョガーザンビールで発見された女性の骨壷)
遺跡を見学する前に、ハフトタッペ博物館を見学しました。この博物館には、
ハフトタッペだけでなくチョガー・ザンビールに関するものも沢山展示されていました。なお、シューシュ(スーサ)遺跡に関するものはスーサ博物館にあります。
(上:ハフトタッペで発見された棺とその蓋)
(上:左は赤ちゃんの棺、右はカナート)
(上:チョガーザンビール遺跡のジオラマ)
(上2枚:チョガーザンビール遺跡の模型)
私は見逃してしまったが、地下の墓室(5箇所)も見学できたらしい。
深さは2メートルほど、奥行きは5メートルほど。
(上:イラン国内の遺跡マップ)
ここからハフトタッペ遺跡
遺跡は、博物館の裏手に広がっていました。
(上:発掘中です。)
(上:これが何なのか、さっぱり分かりません。)
アフヴァーズ→ ゴムの夜行列車で同席した大学教授(歴史)に質問してみましたが、
答えはわかりませんでした。
遺跡の頂上から反対側を見遣ると、羊を追っている人々がいました。
少なくとも2家族。悠久のイランの人々の生活を垣間見る思いでした。
(上:遺跡に登って、幹線道路方向を望む。)
(上:同 上)
ハフト・タッぺ遺跡と博物館は、時間がなければカットしても構わないと思います。 ・ 250リアル
・ レザーをいう人は日本製のペンをねだったけれど、良い男だった
・ 羊飼いを見て、悠久のイランを想った
・ 本当はチョガザンビールで寝転びたかった
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