このページは、takaのメモ帳のColumnです。

昨日、中日新聞に掲載された私の意見に関する補足

  ─ゆとりと詰め込み、生きる力、選択教科─

 2008年2月16日(土)、中日新聞の朝刊のテレビ番組面の裏に、私の意見が掲載されました。これは同日、文部科学省による新学習指導要領が報道発表されたことに関するものです。おおまかな内容は掲載された通りですが、以下にいくつかのことを補足します。

1 ゆとりと詰め込み

(1)ゆとり
 私は、温泉に入ったりテニスをしたりするのことが好きです。そのためには金や時間という「ゆとり」が必要です。ゆとりを作るために、毎日の生活で切り詰められるところは切り詰め、お金や時間を節約します。涙ぐましい努力して作ったゆとりは、自分の生活に潤いを与えるだけでなく、やがて、相手への「思いやりの心」に変わります。また、ゆとりある生活は「自分らしさ」を生みます。すべての健康な人は、ゆとりある生活をするために努力している、とも言えるでしょう。

 この考え方は、ヒトの心では説明できない全ての自然現象にも当てはまります。例えば、ゆとりがある大きな湖に住む生物は、一時的な環境の悪化があっても、自然に回復します。また、人間が作る機械(例:車のブレーキ)のゆとりは、機械のスムーズな動きやその安全につながります。※ブレーキのゆとりは「遊び」とも言います。

(2)これまでの文部科学省による「ゆとり教育」
 私は、これまでに文部科学省が示していた「ゆとり教育」に反対です。なぜなら、それは時間数と内容の削減に過ぎなかった、からです。とくに、理科はもともと理論的に体系だった内容をばらばらにしてしまい、大きな混乱を招きました。例えば、削減された当時から各界から批判が出されていた「イオン」は、「酸とアルカリ」や「電気分解」、「電子」や「電流」の核となる内容でした。中心が削減されたのですから、最終的な学習の目標が失われたのです。

 今回の要領ではイオンが復活しましたが、胸をなで下ろしているのは私だけはないでしょう。現場の理科教員なら、全員が同じ思いだと思います。この他にも例はありますが、それらはイオンのように中学教師レベルでなければ分からないものです。私は、「文部科学省は中学の現場教師レベルの『自然科学の学問体系』を知らなかった」と、言い切ります。

(3)詰め込み
 私は「詰め込み」が嫌いです。例えば、あなたの机の引き出しの想像して下さい。無理に詰め込めば、引き出しが動かなくなったり、中の物が壊れたりします。これを教育にあてはまれば、さらに酷いことになります。学習内容が壊れてしまうだけでなく、詰め込む教師や詰め込まれた子どもが壊れます。人間が壊れてしまうのです。まさに、現代問題そのものです。

(4)今回の理科は『内容の増加=ゆとり』
 今回の要領では、理科の内容は増えましたが、それを学習するための時間も増えたので問題はありません。むしろ、体系的に教えることができるようになったので、内容が豊かになり、ゆとりができた、とさえ言えます。この意見は、20年以上前から現場で教育をしてきた教員ならすぐに理解できると思いますが、若い先生には難しいかも知れません。しかし、数年間がんばって教材研究をすれば、これまで「どうして、それを教えるのだろう?」と疑問を持っていた内容が、大きなつながりをもった自然科学の体系に組み込まれる喜びを体験するでしょう。頑張って下さい。
参考ページ『Taka先生の単元別カリキュラム

 誤解を防ぐために繰り返します。中学理科は、内容と同時に時間が30%増えました。時間のゆとりができたから歓迎しているのです。これまでは、理科の授業数が少ないので、その他の教科を教えたり、教えるための教材研究、あるいは、総合的な学習のため時間に、時間を割いていました。専門の教科に専念できるのは、本当に幸せなことです。私の幸せとゆとりは、子どもに直接反映されます。

 さらに、補足します。私は中学理科の現場教師なので、小学校や他教科のことは分かりません。わかっていることは、理科の時間数は、過去において980時間から640時間に削減されたこと(昭和52年度から平成10年度)、そして、今回の改定で30%増加したこと790時間、平成24年度)です。私は時間数だけ見ても、これらの一連の変遷を異常だと感じていますが、今回の中学理科に関しては歓迎しています。小学校、および、他教科については十分に分析していませんし、私は発言できる経験をもっていないからです。現場の先生、自分と子ども達のために、自分の経験から得た真実を発言して下さい。お願いします。
参考ページ『理科って何?』『理科はどこへ行くのか?

今回、復活した理数に関する主な内容
出典:中日新聞朝刊(2008年2月16日)24面、25面

学 年 主な学習内容
小学校1年 ・面積や体積の比較
2 年 ・1/2などの簡単な分数
3 年 ・風やゴムの動き(新規)
4 年 ・骨と筋肉の動き
5 年 ・水中の小さな生物
6 年 ・食物連鎖
・月の表面の様子
・角柱や円柱の体積
中学校1年 ・種子を作らない植物の仲間
・球の表面積、体積
・力とばねの伸び
2 年 ・周期表(新規)
・電力量、熱量、生物の変遷と進化
3 年 ・イオン
・遺伝の規則
・地球温暖化(新規)
・二次方程式の解の公式
・有理数、無理数
・標本調査
・医薬品の正しい使用(新規、保健体育)

note
 大きな引き出しにはたくさんのものが、小さな引き出しには少しのものが入ります。つまり、子どもの引き出しや成長に合わせて、文部科学省(教師、大人)は、入れる量を調節する必要があります。少なすぎても多すぎてもいけません。適切な量を見極めるのは大変ですが、基本的な人間の「引き出し」は全世界の人々に共通です。日本だけ特別ではありません。いろいろな国と教育方法について情報を交換し合えば解決するでしょう。それより、目の前にいる子どもと教師に聞く方が簡単だと思うのですが、、、、。いずれにしても、人類は少しずつ発展していかなければなりません。

(6)詰め込み教育を回避する方法
 現在の日本教育界は、先生の数が不足しています。先進諸国で、1人の先生が40人を教えるているのは日本ぐらいです。想像してみて下さい。あなたの家庭に子どもが40人いたらどうなりますか。1組の父母で食事の準備をすることは不可能です。私は自分の子どもがいませんが、双児や三つ子を産んだ母親は大変な苦労をするそうです。単純に子どもの数を減らす(先生を増やす)ば問題は解決するわけではありませんが、国家レベルでは、先生の数を増やすことが必要です。

 また、教育費が高過ぎます。とくに、高校や大学で自己負担する金は、別紙『』で紹介するように、非文明・文化国を言わざるを得ない状況です。各家庭が塾に金をかけるようではいけません。これを回避する方法は、前に述べたように先生の数を増やすことです。1対1の家庭教師のように、とは言いませんが、先生の数が増えれば教育の質が高くなるのは当然です。つまり、現在、日本の教育界にもっとも不足しているのは、教員にかける予算(教員増)と保護者が教育費を軽減させるための予算です。それらが大きくならない限り、何をしても「詰め込む」結果となるでしょう。現在の限定要因は、金と時間のゆとりの不足です。道路や国防ではありません。

note
 内容量が増えたので、それを消化されるための何かを変えなければ「詰め込み」になったり、子どもや教師の「ゆとり」が失われるのは当然です。これを回避するためには、少人数学級にすることがもっとも簡単です。そのためには税金を使わなければいけません。将来の日本を考えれば、教育はまっ先に予算を増やしたい分野です。これからの日本や世界を背負って立つ子どものために、私たちは大人は5〜10%の労力(税金)をかけるべきです。これは、私が教員だから発言しているわけではありません。生き生きとした子ども、若者と共に生活したいから言っているのです。みなさんも、活気ある子どもや若者と仕事をしたいと思いませんか!


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2 生きる力

(1)生きる力
 生きる力は必要です。絶対に必要です。生物であるヒトは、生きるために生きています。さらに、力強く生きるためには「生きる力」が必要です。少し専門(生物学)的に言うと、エネルギーを取り入れ、エネルギーを出すことが生きることだからです(エネルギー代謝)。このエネルギーは、いろいろな現象として私たちの目に見えますが、形をもった物質ではありません。具体的な形をもってるなら分かりやすいのですが、簡単に説明することはできません。 

(2)総合的な学習の時間
 しかし、生きる力を養うための方法として文部科学省が示した『総合的な学習の時間』は、大きな問題点を含んでいました。それを示すために、文部科学省がHPに示した『総合的な学習の時間』に関するページから、重要な文や重要語句を拾ってみます。

文部科学省が示した『総合的な学習の時間』

・[生きる力]の育成を目指し
・各学校が創意工夫を生かし
・これまでの教科の枠を超えた学習などができる「総合的な学習の時間」が新設。

・「総合的な学習の時間」は、画一的といわれる学校の授業を変えて、
・地域や学校、子どもたちの実態に応じ、
・学校が創意工夫を生かして特色ある教育活動
・国際理解、情報、環境、福祉・健康など従来の教科をまたがるような課題

・子どもたちが各教科等の学習で得た個々の知識を結び付け、総合的に働かせる

・「総合的な学習の時間」の時間数・単位数は
・小学校では3年生以上から週当たり3時間程度、
・中学校では週当たり2〜4時間程度
・高等学校では卒業までに3〜6単位

・「総合的な学習の時間」のねらいは、
・知識を教え込む授業ではなく、
・自ら課題を設けて行う学習や将来の生き方を考える
・自ら学び、自ら考える力の育成
・学び方や調べ方を身に付ける

・ボランティア活動など様々な体験活動

・総合的な学習の時間」の特色は、
・時間の
内容は、各学校で決めます
・国が一律に
内容を示していませんので、学校が創意工夫を発揮して行うことになります。
・従来の教科のように
教科書もありません

・小学校で国際理解・英会話の学習もできるようになります
・自然体験やボランティア活動などの社会体験など体験的な学習や
・問題解決的な学習が積極的に行われます。
・グループ学習や異年齢集団による学習、
・地域の人々の参加による学習や地域の自然や施設を積極的に生かした学習などの多様な学習が行われます。
・学校の時間割における総合的な学習の時間の
名称も各学校で決めます
(例)○○タイム、△△山学習など
・地域の人の参加など様々な形の学習が工夫して行われます)

(3)総合的な学習の時間=現場に丸投げの時間
  私は「『総合的な学習の時間』は『現場に丸投げの時間』であった」と言い切ります。上の黄色い部分(囲み内)に注目して下さい。丸投げです。はっきり申し上げますが、私ができることは教職員免許法のもとづいた教諭の免許状の範囲内です。もちろん、それには「基本的な人間として必要なこと」も含まれていますが、全くゼロから新しいことを初めることは不可能です。
関連ページ『特色ある学校

 その一方で、この時間のモデル校に指定され努力をされてきた現場の先生方に敬意を表します。言葉では表せない苦労をされてきたことと思います。今回、総合的な学習の時間は削減されましたが、時間は残されています。これまでの実践をさらに発展的に昇華し、将来、各教科の中に還元できるまで深めていって欲しいと思います。


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3 選択教科
 世間ではあまり注目されていませんが、中学校で最低210時間も教えなければならなった選択教科が0時間になりました。これは、行政が完全な失敗を認め、反省した結果であるといえます。私は0時間にしたことを高く評価しますが、その前に、選択教科を設定した責任者の謝罪を求めます。子どもは大人の真似をします。大人はきちんとした謝罪をするべきです。私なら、きちんと謝罪できます。できない大人は教育に携わってはいけません。

 現場では、あと1年間(2008年度)も選択教科に苦しみます。もちろん、教師が苦しんでいる姿は生徒に見せないように努力しますが、子どもは私たちの大人の心を敏感に感じ取ってしまうことでしょう。

2008年2月17日
福地孝宏

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