takaのメモ帳 2009年10月
Column
1 熊谷守一と僕の人生
2 絶対的なルールと自分
2009 10 1(木)
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勤務(体育大会)
===19.00 クロッキー
23.00 消灯
2009 10 2(金)
5.50 起床===
勤務(朝の挨拶7.40)
===21.30 消灯
2009 10 3(土)
1.20 起床
久しぶりに早起きできて嬉しい。心身共に休養がとれ、体調も改善してきた。不要なストレスもない。今は『五感』というテーマについて研究し、たくさんの収穫をあげているので面白い。この2連休は充実したものになるだろう。熊谷守一と僕の人生
そうそう、最近よく読んでいた本について少し記述する。熊谷守一と僕の人生を比較すると、我慢する点では同じように感じるが、自分勝手に生きた点では負けているように思う。もっともっと素直になって、やりたいことだけをやろう。特に注意したい点は、過去の自分に縛られないこと。つまり、過去の仕事、過去の実績、昔の自分ができたこと、過去の思い出、過去の夢から解放されることだ。過去の僕と今の僕は違う。今の自分と正確に向き合い、新しくできるようになったことを見極め、今できることとやりたいことを追求する必要がある。そうすれば、もっと面白い仕事ができると思うし、たくさんの人に喜んでもらえると思う。僕は欲張りな人間なのかも知れない。それから、熊谷は嫌なことから退き退きしながら生きた非国民のような人間だ、と自分について記述しているが、その点においても僕は負けている。もっと嫌なことから退くようにしなければいけない。ここでいう退くとは、無条件降伏のような撤退であり、相手に対して何の意見も述べることなく静かに自分の身をひくことである。僕はこれまでに何度もそうした行動をとったが、まだまだだと思う。相手と戦うことなく身を退くことは卑怯者と言われるが、それは完全平和主義を貫きたい者にとって、とくに社会的立場を利用しない個人にとっては唯一の方法であるような気がする。戦う前は、もちろん言うべきことを主張し、やりたいことをやる。しかし、相手が戦闘体勢に入ったら、速やかに撤退するのだ。僕の目的は戦闘ではない。
こうした行動を繰り返していると、全てのことから撤退して何もできなくなってしまうような気もするが、実際のところ、どれだけ撤退しようと心掛けていても、人間という生き物は自分が好きだから、自分が死んでも守らなければいけないものは守っている。とくに心の中は誰にも見られないから、安心して全ての嫌いなもの、したくないことから撤退するように日頃から準備しておくこと。世の中を見渡してみたまえ。戦いによって自分の全てを失う愚か者が、何と多いことか。愚か者か卑怯者かの選択を迫られたら、僕は迷わず卑怯者を選択する。一方が卑怯者として退けば、相手も自分もそれぞれの新しい道で生きていくことができる。そうした卑怯者は、深い悲しみを知った勇気ある賢者と言える。
9.00 テニス
2009 10 4(日)
6.30 起床
9.30 テニス11.30 平和園
13.00 撮影、クロッキー
19.00 炎の国23.00
今日は夜になってから不幸な出来事があって、未だ起きている。悪いことはいつも同じところから発生する。根本的な解決をしなければ、ムダに体力と精神力と時間を消費するだけだ。僕にはもっと他にやれることがある。
2009 10 5(月)
5.30
一晩中、寝ているのか起きているのか分からない状況だったけれど、数時間必要とする写真の選別ができたので良かったとしよう。===
勤務
===今日、大きな決断をした。その決断は、今の自分の能力(我慢する力を含む)の限界を知る機会となり、スッキリした気分だ。自分の限界を知り、それ以外は能力的に不可能と公言することは、今の範囲の充実を意味する。この当たり前の行為をすることが、何と難しいことか! 自ら己の可能性を摘み取り、手許にあるものを豊かにする行為。
24:00 消灯
2009 10 6(火)
5.55 起床===
勤務
===18.45 クロッキー
21.00 チキンカツ定食
22.30 消灯
一連の事件は収束を始めている。ただ、より強固な防御策、予防策を構築しておく必要がある。このような作業を進めると、自分が本当にしたいことを見失いかねないので、やり過ぎないように注意すること。ただでさえ、他の仕事が手につかない状況にあるのだから、、、もう一度、現状維持で十分なことを思い出し、その地点へ戻りたまえ。チャンスはあっても、不用意に拡大してはいけない。
2009 10 7(水)
4.15 起床===
勤務
===17.30 クロッキー講座
18.50 クロッキー
21.00 夕食
猛烈な台風18号が接近中。実家へ戻り、安全対策の確認をする。それからアトリエに移動し、植木を取り入れ、雨戸を閉める。僕がこのアトリエで雨戸を動かすのは初めてで、少なくとも27年分の砂埃がたまっていた。
22.30 消灯
2009 10 8(木)
5.30 起床
短い間隔の連続音ポタポタポタポタで起きる。雨漏り。僕のアトリエは古い。天上には過去の歴史も刻まれている。この連続音が続くようなら、重要な作品やPC、カメラなどの電気器機の対策をしなければいけない。ネットで名古屋市交通局の現状を調べると、名城線の金山〜名古屋港が始発より運転を見合わせている。したがって、僕は出勤不能。自宅で待機しながら勤務するしかない。まず、来週からのテストの準備をしよう。
6.30
幸いなことに雨漏り音が止まった。ただ、これからどうなるか分からないので、対策をとっておこうか。7.00
雨戸がしまってたから分からなかったけれど、雨が止み、車らなら通勤できる状態のようだ。急いで出勤するしかない。===
勤務(午後から授業)
===20.40 テニス
いろいろな予定がキャンセルになり、急遽テニスをすることになる。今日に限っては学校でテスト作成をしたかったな。
24.00 消灯
2009 10 9(金)
6.15 起床
台風一過の晴れ。どこも被害がないことを願っています(僕はテレビやニュースを見ていない)===
勤務
===18.00 クロッキー
23.00 消灯
2009 10 10(土)
13.00 ナゴヤ路樹絵クロッキー会16.30 デッサン・クロッキー展
18.00 天白高校1回生同期会
2009 10 11(日)
7.40 起床10.00 テニス
2009 10 12(月、祝)
10.00 テニス
15.00 クロッキー
20.30 桜山のラーメン屋
2009 10 13(火)
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勤務
===18.50 クロッキーF
21.00 杏花村で夕食
いつもの中華料理屋で1人で食べる。ビールと餃子定食で1000円。店長、ごちそうさまでした。
2009 10 14(水)
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勤務
===19.30 サッカーテレビ観戦(日本vs. トーゴ)
2009 10 15(木)
2.50 起床
不思議な時間に目覚めて仕事してから寝直す。次に起きたのは6.30だったので十分な仕事ができなかった。===
勤務
===22.30 消灯
2009 10 16(金)
1.40 起床
今日もまた早い時間に目覚めた。僕の周りは混乱している。正確な判断をするためには、正確な情報を集めることが必要になる。しかし、虚言あり、核心を濁すことあり、目的を見失っていることあり、言動の不一致ありで容易ではない。繰り返すが、諸問題はごく少数の者から発していることは間違いない。単純に分かることは明確な嘘、明確な嘘をつく者を特定することだ。嘘を明確にした後は、嘘をついたという罪を許す作業に入るが、僕も人間だから我慢にも限界があるし、トラウマが形成されてしまったものを許すことは精神的に不可能だ。
ここまでの作業が終ったら、各自の活動目的を明確にする段階に入る。とくに大勢の人が集る活動の責任者となるなら、目的を明確にすることは絶対条件だ。それが金銭目的であっても何ら問題はない。目的が複数あるなら、それらに順番をつけたり、階層分けしたりする。常にクリヤーにしておかなければ集った人に迷惑をかけることになる。それができないなら、責任者を降りるのが正しい判断といえる。
目的が明確になったら、実際の活動と目的が一致しているか点検する。これが一致していないことを言動の不一致というが、このような活動をしている人は大変多い。私自身も時々失敗する。どんなに正しく美しい目標や目的や気持ちややる気があったとしても、実際の行動がそれと違うなら、その差が大きければ大きいほど大問題を引き起こす。自分自身が混乱するのは当然だが、周囲も混乱する。
現在の私の周囲は、これら全て段階において問題を抱えているから、完全な解決はかなり難しい。もちろん、この問題は私の本来の目的とは違うので、身を退くことも一案だろう。しかし、それは将来の私の活動に重大な支障をきたす可能性をもつ。しがたって、私は自分が退くのと同じような重大な決断をしなけばいけない。そうした時間が今後も続くだろう。
私は自分の限界を知り、判断し、やりたくないことであっても自分ができる能力があるなら、それを引き受けなけばならないことになる可能性がある。繰り返そう。私が常に念頭におかなければいけないことは、自分の第1目的との関係を見失うことなく決断すること。現在の私は混乱の中にあり、まともに活動ができない状況にある現実も忘れてはいけない。すでに限界に達している。
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勤務
===18.00 石田屋、デニーズ
22.30 消灯
2009 10 17(土)
6.15 起床
2連休の始まり。体調は不完全だけれど、ぼちぼち仕事をしていこう。10.00 テニス
15.00 クロッキー
18.30 焼そば(肉)
それから、HPを少し作ってから実家へ行く。CSシリーズに出場した中日ドラゴンズのテレビ観戦をしたが、午後9時で放送時間終了。優勝決定戦なら延長して最後まで見られるだろうし、そんな程度だったのかと、わざわざ時間を作った自分とテレビ番組欄をしっかり見なかった自分を叱る。それから、同じ放送局の映画『スパイダーマン』を見てしまう。最近はストレスが溜ることが多いので、ソファーに身をゆだねて画面を見入るだけの時間が嬉しかったし、日常と違う世界に入れたのが嬉しかった。こんな些細なことで喜びを感じている自分をちょっと寂しく思うけれど、それが現実だ。23.30 消灯
2009 10 18(日)
6.30 起床10.00 テニス
2009 10 19(月)
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勤務
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2009 10 20(火)
6.20 起床===
勤務
===19.00 テニス
失敗した時にその本人がどうするか、他者にとってはどれだけ、どのように許せるかどうかで決まる。上手くいっている時は、判断の対象外だ。
2009 10 21(水)
6.40 起床===
勤務
===17.00 クロッキー
21.00 二次会
23.00 消灯君子、怪しきに近寄らず
2009 10 22(木)
6.40 起床
4時に目覚めたけれど、起き出さなかった。体調を大きく崩していることはないけれど、、、。===
勤務
===18.00 クロッキー
2009 10 23(金)
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勤務
===18.00 クロッキー
2009 10 24(土)
9.00 テニス
2009 10 25(日)
10.00 テニス
15.00 クロッキー
ここ数日、クロッキーの描画速度と完成作品の魅力を「古典力学の立場から説明するための実験」している。短時間で結果が得られそうな気もするけれど、物理学に関する自分の理解度が浅いので苦労している。また、僕の研究成果は包み隠さず一般公開することを目的としているので、いわゆる芸術家が自分の技法を守秘する立場とは対極にある。その点において、僕の活動は科学的だ。そもそも、インターネットも自然科学者達が無償で研究結果を交換しあうために生まれたものだから、自分の仲間だけを対象にした活動は科学的ではない。その内部で何が行なわれていようと、断じて非科学的である。現在、明確な科学の定義はないが、僕は「万人に対して開かれたもの」でなければいけないと思う。
2009 10 26(月)
5.40 起床===
勤務
===18.00 クロッキー
2009 10 27(火)
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勤務(合唱コンクール)
===19.00 テニス
受講生が私のほかに1人だけだったので、ゆったりとレッスンできた。たくさんの質問をして、たくさんのことを学んだ。1番の収穫は、コーチのテニスに対する真摯な姿勢である。
2009 10 28(水)
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勤務
===18.50 クロッキー
21.00 二次会
とある作家のクロッキーを見た。その作品はとても正直で、制作現場をありありと伝える。もちろん、これは良く訓練した鑑賞者にしか分からないものだと思うけれど、そのリアリティーに後ずさりしてしまうほどであった。感動的に素晴らしい経験だった。
2009 10 29(木)
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勤務
===18.00 クロッキー、撮影
23.00 消灯
2009 10 30(金)
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勤務
===18.00 日本表現派展
20.00 写真選考会
23.00 消灯
2009 10 31(土)
8:00 起床
たくさん寝た。疲れていたのだろう。若者には若者の、中年には中年の、老人には老人の、それぞれに解決しなければならない問題がある。絶対的なルールと自分
さまざまな問題解決をする上で重要なことは、絶対的な自分は存在しないことを認知することである。私は私1人で決められるものではなく、私の周りにある全ての人によって規定される。例えば、日本とは違う国へ行けば、その国の法に遵わなければいけない。さもなければ逮捕されるか国外退去処分になる。つまり、場所や時間が変われば人間関係のルールも変わるので、新しい環境で「自分は変わらないぞ!」と叫ぶことは自分の存在場所を失うことになる。だから、本当の自分はどこにも存在しないこと、現在の自分と過去や未来の自分が違うことを理解しなければいけない。絶対に変わらない自分があるような気がしても、新しい環境で生き残るためには、自分を変える必要がある。自分の身体条件だけを考えても、確実に変化している。その変化を認めず、過去の状態を保とうとする徒労はほどほどにするべきだ。特別な努力をしなくても自分、および、環境は変わる。変化に合わせてつくるものは、自分の行動を規定するルールである。他人が作ったルールを理解し、納得し、自分のルールブックに書き加えることも重要な作業だ。この作業は生きている限り、新しい社会にチャレンジする限り続く。ただし、環境は必ず改善していくものではなく、悪くなる場合も多々ある。そうした現実の中で、より良いルールを作るように努力しなければいけない。その努力を惜しむようになったとき、私たちは社会的人間としての生を終えることになる。
結論として、自分らしさは自分のルールに遵って生きることに他ならないが、不変なルールはどこにも存在しない。だからこそ人生は楽しい。
10:00 テニス
14:30 打ち合わせ
18:00 お食事
22:30 消灯
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25日 私の日記7日目(バルカン半島9ヵ国の旅)
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