コパカバーナの祭り
1 私の日記(8月4日)[カメラの置き引き][平戸さんの悲劇]
2 コパカバーナ祭りの写真集
3 率直なアドバイスと行き方
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私の日記(8月4日)
コパカバーナ行き大型バス
ドカン。ドカン。朝5時、文字どおり宿の主人に叩き起こされた。宿中の客が起きてしまうほど、力いっぱい金属製ドアをたたき、私を起こしてくれた。さっそく服を着替え、朝食を取りに外へ出た。空には、まだ南十字星が輝いている。路地には、ろうそく明かりの中、数軒の店が湯を沸かし始めているだけで、私の空腹を満たしてくれそうにない。それに、バスターミナル前の宿に泊まったというのにバスが1台もいない。昨夜描いた「朝一番のバスで出発しよう」という夢は叶いそうにない。私はいくつかフルーツを買い宿に戻った。リンゴを食べて一眠りすると、6時30分になっていた。荷物をまとめ、宿の主人に礼を言って外に出る。すぐにコパカバーナ行き大型バスを見つけた。ラッキー! 幸運な私は、バスに飛び乗ったのだが、何と、プーノ市内に連れて行かれてしまった。そして、小さな旅行代理店の前に止まると、「乗車券を買ってきなさい。10ソレス(500円)です。」拍子が抜けたが、まあ、3ソレス以上は安く買えたので良しとしよう。
大久保氏との再会
「バスは7時30分に出発する。」
と言う。外に出て待っていると、ばったり大久保さんに出会った。情報交換すると、
「祭りのため観光客がいっぱいで、宿をとるのが難しい。」
やっぱり。私達は、「コパカバーナのバスターミナルかアルマス広場(市内で一番大きい広場)で再会し、宿を一緒にとろう。」と約束した。私は彼より一足早く出発した。
ペルーからボリビアへ
バス内では、美しいポーランド婦人の隣になり、会話を楽しんだ。11時30分。ペルーの国境に着いた。そこで、全ての乗客はバスを降り、各自のパスポートを持って出入国管理事務所へと歩いた。長い行列だったが、ごく簡単に、出国できた。しかし、私の前にいた日本人女性が出国カードを紛失したようだ。しかし、いくらかのお金を払うことで、スタンプを押してもらっていた。
次に、ボリビア側の出入国管理事務所へ向かった。その途中には、小さな電卓を持った両替屋がぎっしりと座っていた。私は何人かに両替率を聞いたが、両替しなかった。
さらに、500mぐらい歩き、ボリビアの入国スタンプをもらう人々の列に並んだ。バスの中で記入した出入国カードを提出すと、ペルー側と同様、簡単にスタンプを押してもらえた。そこで分かったことだが、
「ペルー国籍の人に限り、パスポート無しで特別入国ができる。」
こうして入国した何パーセントかが、次のような『事件の犯人』になるのだろう。
カメラの置き引き
12時30分。コパカバーナに着いた。すごい数のバスと車。私達の運転手は、停留所に着く前に乗客を降ろした。同じバスに乗っていた一人のツアーガイドが、
「一緒に来れば宿を紹介する。」
と言ったが、断わった。そのガイドは、日本語で書かれた推薦文を持っていて、
「うさん臭い。」
私は宿探しを始めた。しかし、どこにも無い。ひどい人ごみで、今にも背中のリュックをナイフで切られそうだ。宿はどこも、
「満室だ。」
と言っては断わられるし、腹の虫も泣き出した。10件はまわり、やっとのことで、
「部屋はあるが、それは3人部屋だから駄目だ。」
と言われた。つまり、3人部屋ならあるわけだ。早速、
「お金を余分に払うから泊めてくれ。」
と交渉したいのだが、何と言えばいいのか分からない。そこで、リュックを降ろしてスペイン語辞典を取り出そうとした。すると、横から女が現われ、
「ケ・オラ・エス・アオラ(今、何時)?」
と聞く。私は
「1時50分。」
と答えたが、また、同じことを聞いてくる。女と一緒にいた男が立ち去った。女も出ていき、やっと辞書を開けようとしたのだが、その瞬間に、
「ピーン。」
と来た。
「糞ったれ。」
床を見ると、そこにはリュックがあるだけで、一緒に置いたはずのカメラバックが無い。リュックを宿の主人のほうに蹴飛ばし、走って外に出た。ひどい人ごみの中、右手に女が見えた。二手に分かれ、男は左手に逃げたに違いない。そのどちらかが、私のバックを持って。私は、女のほうに走った。私の脳裏に、
「女がバックを持っていなければ、なんの証拠もない。」
と不安がよぎった。女に追いつくと、女は私のバックをしっかりと抱きかかえていた。
「おー、凄い。」
「やったー。」
「嬉しい。」
「私のカメラだ。」
私は不思議な喜びを感じながら、女の腕をぐいっと掴んだ。わめく女に負けじと喚きながら、先ほどのホテルまで引きずっていった。宿の主人に、電話で警察を呼んでもらった。
その間も、女は周りの人に都合の良いことを言っているようだったので、私は胸元をつかみ大声で怒鳴り散らした。あまりの勢いに、周りの人が私を止めたが、真実は伝わったようだった。
警察所の中
警察所まで、女と警察官と一緒に歩いた。女は、また何か言っているので、私も怒鳴った。警察所の中に入ると、私はパスポートの提示を求められ、そして、簡単な書面にサインをした。
「しばらく待て。」
と言われ、奥のほうに目をやると、両手を後ろに縛られた男女8、7人が一列に並び、警官に質問されていた。近くにいた警官が、
「彼等はペルビアーノ(ペルー人)だ。」
と教えてくれた。 室内の中を見回すと、壁面に人相の悪い顔が並んでいる。一昨年の、この祭り3日間で捕まった人の顔写真で、数えてみると60枚ある。すると、
「実際の犯罪者の数は、10倍と考えても600人。」
「ぞっとする話だ。」
やがて、何人の警官が出てきて、しらを切る女を締め上げた。私は身振り手ぶりを混ぜ、自分の時計を指さしながら状況を説明した。警察官達は口々に、
「ケ・オラ・エス・アオラ?」
と言っては笑い合い、女を白状させた。
平戸さんとの出会い
警察を出ると、3時。お腹は減るし、宿探しも絶望的な時間になっていた。
私は、アルマス広場(市内で一番大きい広場)へ行き、私と同じように、大きなリュックを持った旅行者に声を掛けることにした。露天で買ったサンドウィチを食べていると、赤い帽子をかぶった日本人男性を見つけた。フリーカメラマンの平戸さんだ。彼は一人部屋だったが快く、
「床なら空いています。」
と言ってくれた。彼の部屋は、畳2枚分の広さで35ボリビアーノス(700円)だった。荷物を置き、二人で撮影に出かけた。湖畔で写真を撮っていると、平戸さんの知人の女性に出会った。彼女も、つい先ほど、
「背負っていたリュックを切られた。」
と言う。幸いなことに何も取られなかったそうだが、物騒な話だ。
歩き疲れてお茶を飲む。すると、平戸さんが、
「コンパクトカメラが無い。」
と言う。よく思い出してみると、先ほど、あやつり人形を見ていた時に、
「後ろの子供が変に体を押し付けてきた。」
と言う。私達はその場所に戻ってみたが無駄だった。 再び、アルマス広場に行くと、大久保さんに出会った。彼は、
「私のためにベッドを取っておいた。」
と言うので、平戸さんに話し、宿を移ることにした。ドイツ人男性と同室で35ボリビアーノス(500円)だった。
二度目のスリ
新しい宿には、国境で出会った日本人女性二人がいた。そのうちの一人、hさんは大学院生で、インカ文明を研究している。当然、スペイン語もペラペラだ。私達は情報を交換しあい、そして、祭の中心となる小高い山の頂上で、
「日没を楽しむ約束。」
をした。平戸さんと私は、カメラを持って一足先に出かけた。しかし、しばらくすると平戸さんが、
「バックにつけてあった防犯用クリップが無い。」
と言う。
「信じられない。」
彼は、二度もスリにやられてしまった。
コパカバーナの祭
祭の本番は、独立記念日の明日になるが、その日を挟んで、盛大なパレードが行われる。前夜祭の今日は、アルマス広場で花火の打ち上もあり、最高に盛り上がりそうだ。
さて、5時になり、平戸さんと私は街中を見渡せる小高い山、つまり、祭の中心となる教会のある山に向かった。
人々の流れについていく。市民の大半は、敬虔なクリスチャンだ。大人も子供も、ミニチュアの家、馬、自動車、そして、子供銀行のような札束を持って、急な斜面を登っていく。
教会に着くと、それらの品々を捧げて祈る。そこにはたくさんの祈祷師がいて、香を焚き、ビールを振っては人々の頭に振りかけ、願をかけている。あちらの方では、酔っ払い、爆竹を鳴らしてはビールをかけあう。香とビールの混じりあったものすごい匂いに、
「うっ。」
と来たが、私も負けじと爆竹を鳴らしてはカメラのシャッターを押した。そして、日没の直前になって大久保さん達と出会い、記念撮影をした。
その後、ブラジルの美しい娘ターニャと一緒に夕食を楽しんだ。ターニャはギターを弾き、美しく低い声でブラジルの歌をうたった。
「恋をしそうだった。」
「したのかも知れない。」
平戸さんの悲劇
夕食の後、私達7人はアルマス広場に向かった。しかし、私は腹の調子が悪くて一足先に帰った。が、ベットに横になっても、
「どおーん、どおーん。」
という花火の誘惑には勝てず、カメラ片手に飛び出した。私は、アルマス広場の後ろにあるフェンスによじ登り、写真を撮った。ブラスバンドの演奏と共に点火される仕掛け花火は、コパカバーナの夜を美しく飾った。
体の芯まで冷えきって部屋に戻った。驚いたことには全員帰っていた。私達はとりとめのない会話を始めたが、私は、
「予定を早めて、明日コパカバーナを発つ。」
と話した。なぜなら、
「ここは非常に危険だし、第一、写真が撮り難い。」
11時を過ぎ、平戸さんも自分の宿に帰った。しかし、数分後、青ざめた平戸さんが飛び込んできた。彼は叫んだ。
「やられた!」
「、、、」
「、、、」
「何をやられたんだ?」
彼は、後ろから羽交い締めにあい、カメラバック全てを奪われた。私達は、現場に走ったが何があるわけでもない。状況を確認して宿に戻った。スペイン語の話せるhさんを起こし、一緒に警察に来てもらった。
一人の警官が私達に対応した。
そして、平戸さんを宿に送り、自分達の宿に戻ると午前1時になっていた。
部屋に戻った大久保さんと私は、互いに後ろから羽交い締めをかけあい、防犯の研究をした。その結果、羽交い締めをされた場合、気を失う前に、鉛筆などで相手の太腿を差すのが精いっぱいなこと。つまり、後ろから羽交い締めにされてからでは、完全に手遅れであること。したがって、「一人で歩く場合には、常に後ろに注意し、脇道や人が隠れれるようなゴミ箱などがある場合は、必ず人の有無を確認すること。」と結論づけた。
率直なアドバイス
コパカバーナの祭は薦めない。理由は、置き引きから強盗まで非常に多くいること。そして、何よりパレードそのものが良くない。フォルクローレのパレードが見たいのなら他の小さな街を選択するべきだ。どの街でも衣装、意気込み共に遜色ない。『キラコージョの祭』など。どうしても訪問したいなら、是非とも山の頂上にある教会から街を眺めて欲しい。とても美しいと思う。ティティカカ湖畔での休養も捨て難いので、コパカバーナを訪れるなら祭の時期を避けること。なお、祭の期間の宿泊料金は数倍に跳ね上がる。
コパカバーナへの行き方
ティティカカ湖畔にあるボリビア側の一番大きな街なので、どこからでも大型バスで簡単に行ける。大型バスの会社は10社以上あるが、お薦めは1、2を競う大会社『コパカバーナ』である。