このページは『イラン旅行記 2004冬』 2004 dec -2005 jan です

宿泊施設
Accommodation

IRAN 
2004年12月〜2005年1月(15日間)

はじめに
 ホット・シャワー、トイレがついている中流ホテルを中心に泊まりました。事前予約はしていません。当日の飛び込みです。料金は10万リアル(1100円)前後です。

DATE
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STAY

23 dec(木)
テヘラン

24 dec(金)
バ ム

25 dec(土)
ケルマーン

26 dec(日)

ヤズド

27 dec(月)

28 dec(火)

エスファハーン

29 dec(水)

30 dec(木)

シーラーズ

31 dec(金)

1 jan(土)
バス内

2 jan(日)
スーサ
(シューシュ)

3 jan(月)
列車内

4 jan(火)
コ ム

5 jan(水)
飛行機内

6 jan(木)
===



12月23日
・ テヘラン
・ 午前2時、チェックイン
・ 鏡のない洗面台、TV、ホットシャワー
・ トイレは室外
・ 料金、忘れました
・ エマームホメイニィ広場東1Kmにある安宿街の1つ。名前も忘れた。この近辺には、他にもたくさん安宿があるので何軒か回ってから決める余裕がある。100メートルに1軒の割り合い。1本裏の細い路地に入れば、ペルシャ語の看板だけの宿がぐぐっとある。

(上:翌朝写した私の部屋)


12月24日
・ 
バ ム(震災1周年の前夜)
・ ホテルは満室(昨年12月の地震以来、営業を再開したホテルは1軒だけらしい)
・ そのホテルの広い玄関ロビーには赤い絨毯が敷き詰められ、奥の喫茶店では背広姿の紳士達が大きなガラス越しに庭園を眺めながらチャイを啜っている。フロントで1泊したい旨を伝えると、「申し訳ありません。本日は満室でございます。」「えっ、じゃあ何処か他のホテルを紹介してくれませんか。」「えっ、ありません。ありませんか・・・」同じ会話を数回くり返した後、鉾先をタクシー運転手に変えた。君の家に泊まらせてくれ! 彼は英語を話せないので、フロントの女性に通訳してもらった。同じように何回もくり返した後、ようやく彼は承諾した。
・ 
彼の家(コンテナの仮設住宅)
・  寝る前、屋外にある共同トイレと手洗い場を教えてもらい、1番綺麗な毛布2枚と、1番ストーブに近い場所を準備してもらった。
・ 謝礼、10万リアル

(上:こんな外国人のおじさんにも興味があるらしい)


12月25日
・ ケルマーン

・ ゴヴァーシール・グランド・ホテル
・ 市内中心から少し離れている
・ ファリーバの紹介
・ 今回のイラン旅行で最高級のホテル
・ TV、冷蔵庫、バスタブ、朝食付き
・ 20ドル(通常の半額。ドル払いのみ。)

(上:私の部屋)


12月26日 〜27日
・ ヤズド
・ ファリーバが紹介してくれたホテル
・ 車がやっと通れる旧市街の中
・ KOHAN KASHANE TARADITIONAL HOTEL

・ colghy_mt2001@yahoo.com
・ 狭いけれど、冷蔵庫、トイレ、ホットシャワー
・ 朝食無し 
・ 20ドル

(上:私の部屋)


(上:ホテルの中庭を背景にして記念撮影)


12月28日
・ 
エスファハーン
・ 気分転換をかねて安宿「アミール・キャビール」
・ トイレ、シャワーなし
・ すきま風が寒い
・ 安全対策が甘そう
・ 75000リアル
・ 翌日、宿を変える

(上:私の部屋)


12月29日
・ 
エスファハーン
・ HOTEL PARS
・ 建物全体が暖かいので大変よろしい
・ 全体に小さいので安全面もよろしい
・ 15ドル(130000リアル)を90000リアルに値引きしてもらった

(上:私の部屋)


12月30日〜 31日(水)
・ シーラーズ
・ ササーンホテル
・ テレビ、冷蔵庫、トイレ、ホットシャワー、朝食付き
・ 12万リアル?
・ 英語をよく話すオーナーがいる
・ 深夜、タクシードライバーに搦まれた時、助けてくれた

(上:私の部屋)


1月1日
・ 夜行バス
・ 
シーラーズ19:30発
・ アフヴァーズ着
・ 途中、どこかのレストランで40分ほど休憩、夕食(23:10〜50) 

(上:私が乗っている光るベンツ・バス)


1月2日
・ 
シューシュ(スーサ)
・ 現在、この街にはホテルが2軒あるらしい
・ バスターミナルから賑やかな通りを徒歩5分、大きな交叉点の角
・ 私の他に客がいないらしく、ピゅーッと風が吹き抜けるフロントで交渉
・ 電波が入らないテレビ、とても暖かいガスストーブ、トイレ、シャワー
・ 10万リアル
・ 全く英語が通じないので、12万リアルを10万リアルに値下げしてくれたことすら分からない。こんなことなら、もっと強気で値下げ交渉したのに・・・
・ フロントの金庫から市内観光パンフレットが出てきた。古びたものだったけれど、道行く人に観光名所を尋ねるには十分。これを無料でもらっただけでも、このホテルにした価値は十分にある。

(上:私の部屋)


1月3日
・ 夜行寝台(
1等
・ 
19:20 アフヴァーズ発→ コム
・ 夕食と朝食つき(素晴らしい!)
・ 列車はほぼ定刻通りに出発した。ここは1等車両だけあって非常に快適だ。金持ちな夫婦と大学教授と同じコンパートメントで知的な雰囲気が漂っている。金持ちな夫婦は、女性の方が教養豊かだ。自分から夫のことを英語で紹介した。大学教授は、歴史を教えている。
・ 快適過ぎて、ちょっと落ち着かない自分が情けない。2枚重ねていたズボンを脱いだり、くしゃくしゃの紙幣を整理したり、不釣り合いな自分を発見する。シャワーは毎日1回以上浴びているけれど、衣服を洗濯していないのが良くない。ちゃんと洗いたての、できれば新品の服を着なければ・・・なお、この1等車両の運賃は高価で、飛行機の60%ぐらい。

(上:私のコンパートメント。スナック、ジュース、チャイがついている。)


1月4日
・ コム(ゴム)

・ 英語の看板がないイラン人専用風安宿
・ 大きな家の間借りをしている気分(雰囲気最高!)
・ ホットシャワー、冷蔵庫、暖房付き
・ 7万リアル
・ 仕事机が最高
・ トイレは共同
・ 共同キッチンもあるけれどイラン人女性が占有しているので、とても日本人男性が入れるような雰囲気ではない。「お湯を沸かしたいんですけれど、、、」/ 尚、食器はもちろん、やかん1つ置いていないので全て持参しなければ台所は使えないかも。

(上:私の部屋)

あとがき
 一般的には、中流ホテルを選択することをお勧めします。料金は日本の1/5〜1/10。安宿をねらうなら、イラン人観光客と同じ宿に泊まることをお勧めします。英語の看板ではなくペルシャ語の看板に飛び込んでみて下さい。外国人用の安宿とは全く違う、アットホームは雰囲気が充満しています。防犯対策が取られているとは考えられませんが、泥棒が入っても取られるものがないような宿です。宿の外見は恐ろしいですが、内部はとても温かいです。具体的な宿探し方法は、まず、事前に選んだ中級ホテルを目指して歩き始め、途中で、それらしいペルシャ語看板を見つけたら飛び込んでみることです。1軒見つかれば、その近くに数軒集まっていることがほとんどです。見つからなければ、予定していたホテルに宿泊して下さい。
 それでは安全で快適な旅をお楽しみ下さい。


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